ベル

紫以上

第1話 いつもの朝

 遮るものが何もない、焼けた砂と岩の広がる荒野。それは一見すると大きな岩にしか見えない塊でしかない。

 手を伸ばし、砂のこびり付いた表面をそっと指でなでる。乾燥した砂の塊がボロボロと崩れて落ちて、すこしだけ本当の姿を覗かせる。

 今度は少しだけ力を込めて、手のひら全体を使って拭うように擦る。砂埃のむこうに金色に輝く傷一つない金属プレートが出てくる。

 半分以上が荒野にうずもれた全体とは対照的に、そのプレートは見入るほどに綺麗だった。この様子だと、もしかしたら本体もまだ生きているかもしれない。

 見た目よりも保存状態が良いから、プレートの文字は風化せずにしっかりと刻まれたまま。

 読み方は知っている。ちょっと癖のあるフォーマットだけど、これは今は亡き連邦軍黎明期の共通書式だ。どこに何が書いてあって、どんな意味をもってるのかはもうずいぶん前に教わった。

 上から順番に所属、製造年月日、責任所在。生産ライン、採用フレーム型、搭載動力系。形式(モデル)、用途別ナンバリング、そして機体個別名称(パーソナルネーム)。

 ええと、そう、だからこの子の名前は……



「おはよう、ベル」

 何か懐かしいような、でもバッチリ良いとは言えないような夢を見た気がする。そんなびみょうな気分を振り払うように、いつもの言葉を口にする。

 朝、目が覚めて先ず初めにすることは無口な同居人におはようを言うこと。

 おはようが返ってこないことは判ってる。さっさと寝床から這い出して着替える。

 それから清潔なフェイスタオルで顔を洗って、クリップボード大の携行式モニタ・インターフェイスを機動するまでが目覚めてからの自動的な一動作。

 そこに映し出されるものは感情も何もないただの機械的な文字列。だけど、その実用性だけを考えられた文章こそが私の同居人。

【人格OSを再起動・起動メッセージ:おはようございます■】

「おはようベル」

 改めて挨拶を交わしてから、二人で食卓を囲むんだ。朝ご飯を食べるのは私だけだけど。


 私の名前はエレカ。

 特技は機械いじり。

 趣味も機械いじり。

 工場の駆動機の保守点検とか廃品(スクラップ)の修理再生をやってなんとか食い繋いでいる。

 今は相方と二人暮らし。

 相方の名前はベル。

 本名は『BEnt-La-3200』。だから『BEL』。

 彼はニンゲンではない。F要素の発見とともに訪れた新技術ブームの初期段階に開発された自己情報処理回路搭載型重力制御式航宙艦。テラフォーミングのための機材を自動的に未知なる星に送りつけるために作られた人類の夢の一片。

 砕いて言えば人工知能を積んだ宇宙船。

 の、なれのはて。

 作られた直後、今の戦争の第一波が世界全土を総ナメ。世界中が呑気に新天地を探してなんかいられなくなっちゃって、しかも製作者一同が周囲一帯ごと焼き払われて身寄りも無くなった。長期化した戦争は彼のような存在を扱う技術もふっ飛ばしちゃったもんだから、彼は荒野で完全に忘れられちゃった、という曰く付き。

 それを私が発掘して、住居兼相方として有効活用してるってわけ。

 ちょっとばかり無口なのが珠に傷だけど(外部音声出力が壊れて機能していないみたい)、今では信頼し合える良い相棒だ。


「ごちそーさま。さて、ねぇベル、今日の予定は何だっけ?」

【通常メッセージ:買出しとなっています■】

「ああ、そっか、そろそろ発電素子とか摩耗したベアリングの替えとか無くなってきたんだっけ。

 じゃあ今日は街に行こうか。ベルトは何か欲しい?」

【リスト:

・Hr F-device 1890030A

・Deen drive FOX Ver.3.00

・■】

「あー、前から言ってたしねぇ。でもそんなレアパーツ市場に出てるかな?」

【通常メッセージ:工場長に依頼し、すでに発注してあります■】

「あ、相変わらず自分の事となるとしっかりしてるねぇ。

 まあいいや。じゃあ今日買うものはそんなもんかな。さっさと出発……」

 確認を切り上げて席を立とうとすると、非常用のビープ音が短く鳴った(数少ないベルの文字以外の意思表示だ)。

【警告メッセージ:以下が不足しています。

 リスト:

・エレカ用の飲料水

・エレカ用の食料

・エレカ用の日用品各種

・エレカの人並みの生活■】

 ……いっちょまえに皮肉まで交えおって。

 まあ確かにこうしてベルに突っ込まれないと自分の生活も危うい私がしっかりしていないのが悪いんだけど。

 なんとなく憮然としながら端末をシャットダウン。サブ人格システムを呼び出し、部屋のコンソールを操作してベルの本体、人工知能の中枢機能を携帯用デバイスに簡易常駐させて再起動。

 こうしないとベルトは本体である我が家から離れて買い物に同行できないのだ。


 四駆のバギーのアクセルを吹かしながら、変わり映えしない荒野をすっとばす。

 この辺りは昔は大きな国の勢力圏だったらしいけど、そのせいで敵対勢力の攻撃対象になって集中砲火を受けた。

 当時最先端のF要素技術を取り入れた新兵器も実験的に導入され、徹底的に破壊された。想像以上に効果的だったF要素兵器は占領後のうま味までそれはもう完膚なきまでに破壊しつくしてしまった。

 敵対勢力も、その敵対勢力も後に残されたガサガサの荒野には見向きもしなかった。また別の場所に戦場を移し、今でもどこかで戦争は続いている。

 それでも私が生まれた時にはもう荒野だったし、今ではブリキ缶みたいに空っぽの中立地帯指定と誰も欲しがらない無価値な土地のお陰でむしろ穏やかな日々が続いている。ベルの本体があるポイントから1時間程度の位置には難民キャンプから進化して成り立った市街が存在し、それなりの数のヒトが思い思いに生活を営んでいる。

 私はその生活の末端をちょこちょことつまみ食いしてなんとか生きている。

 フロントウィンドの先に市街の外壁が見えてきた。荒野の中に人工物の色が浮かんでいるみたいに存在してる。暮らしを営むために、今回も頑張らなきゃ。生身のエレカは働いて身銭を稼いで、それと食品とを交換しなくちゃ生きていけないんだから。

 左手で自分の頬をぱちぱち叩いて気合いを入れ、声に出さずに、よし、と呟いた。

 ベルは何も言わなかった。



「あらエリカちゃん! 今日はお買い物?」

「あの、おばさん……私エレカ……」

「あらごめんなさいねエリカちゃん! で、どうするの? 何か買ってく?」

「あの、これお願いします」

 いつも行く食品店のおばちゃんはいつもテンション高く私のことを気にかけてくれる。

 名前を正しく発音できてない以外はすごくいい人。でも、ちょっと苦手。テンションついていけてない、かな。

リストアップしておいた食料品のリストを手渡すと、慣れた手つきで在庫と照会してくれた。

「はいはい、これなら全部手配できるわ。でもねぇエレカちゃん、こんな機能食品と人工の大量生産品ばっかりじゃなくてもっと美味しくって体に良いモノ食べなくちゃだめよ! 栄養ありそうなものだと、そうねぇ、柑橘類のジュースなんかが出来が良いわよ! なんならエレカちゃんにだけ特別にサービスしといたげる!」

「いえあの、今日は……」

「なんなら後でバギーにまで届けて積んどいてあげるわ、またあの外れのパーキングでしょう? 大丈夫よ遠慮しなくて!」

 私がどう対応していいのかすらも判らずにあうあうしていると、小脇のベルの端末がビープ音で会話に割り込んできた。

【警告メッセージ:設定限度額を超過する可能性があります■】

「あ、ほら、ええと、ごめんなさい。ベルも余裕がないって言ってますので、今日はいいです」

「あら、そう? じゃあ仕方ないけど、また寝食削って機械いじりばっかりじゃ駄目だからね。食事はちゃんと、それでいて楽しくとらないと」

「いえ、いいんです。じゃあすいませんがバギーまでお願いします!」

 最後は結局、前回と同じように小言から逃げるように店を後にしたのだった。


「ふぅ。ありがとね、ベルト」

 私は、ニンゲンと話すのが苦手だ。

 ずっと昔に両親を亡くしてから、殆どの時間を独りで過ごしたからかもしれない。

 鉄や銅や、金属の塊とはずっと昔から語り合ってきた。

 機械はみんなが思っているよりずっと多くのことを考えている。

 どこかの本で銅線一本でも電気を流せば意識が生じる、なんて主張を聞いたこともあるけれど、それに近いものなのかもしれない。

 まるでヒトみたいな疑似人格を成す物や、F要素の応用で直接ニュアンスみたいなのが感じ取れる程度の物までいろいろあるけど、私は昔っからそういう声にならない声を聞いてきた。

 彼らの声は単調で静かで、透明だ。例えるなら、石を投げれば正円状の波紋を描くような言葉で話す。このことを人に説明しようとすると大体の人は「機械は冷たい」と言う。でも私はそのたびに思うんだ。冷たいことは悪いことなんだろうか。

 ニンゲンは怖くて上手に話ができない。どうにもヒトの声の底にノイズを感じてしまう。機械とは心を通わせることができる。みんなが言う冷たい状態が心地よい。

 そんな自分は実は機械なんじゃないかと思うことがある。機械よりもニンゲンの方が自分にとって異質で、別のモノなんじゃないかと思ってしまう。

 そうすると、もうガチガチの鋼鉄のインゴットみたいに緊張して、うまく話ができない。

 ベルトはそういう時にいつも助け船を出してくれる。

 そして私はいつもありがとうと言うのだけど、無口なベルトは一度だって返事したことが無い。

 ただ黙って、必要な時に必要な分だけ助けてくれるんだ。

 情緒性や感情値の低い非人間的な設計のAIだけど、ベルは最近の動作も滑らかでニンゲンと区別がつかないようなAIよりも温かい気がする。


 ベルと一緒に街を歩き回り、日用雑貨や消耗品、摩耗したりした交換パーツを買い揃えていく。時々必要なことだけ声をかけて、文面でベルの返事を聞く。二人で壊れた機械を回収したり、修理した機械の点検整備をしてまわったりするうちに、太陽も天頂を通り過ぎてだいぶ低くなってきた。

「えっと、2件の納品に1件の契約確認、食品と生活雑貨の買い出しに部品や交換パーツの補給、と。最後に動力系統の手配もしたし、今日の予定(トゥードゥー)はこれで全部かな?」

【応答メッセージ:1件の未実行タスクがあります■】

「あれ? 他に何か必要だったっけ?」

【応答メッセージ:必需品の補給は完了しています■】

「……もしかして、必要じゃないけどベルトが欲しいって言ってたあのパーツのコト?」

【応答メッセージ:はい■】

 感情機能未発達の初期型AIのくせに、最近の人間臭いAI並みにちゃっかりしてからに。


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