僕の、特異点 ──この未来に、僕はいない。
yolu(ヨル)
第1話
『君は“どの時間のコマを見てしまうか”を決められる。決して、それが望んでいないものでも。しかし、それが君の、
半透明の博士は、夏休みの夜、教えてくれた。
それは、僕の未来の結末を観測していくことなんだと、今ならわかる。
だからこそ、僕は、僕の未来を救うんだ───
もうすぐお盆なのもあり、『夏祭り』『花火大会』と、青春の予定が騒がしい時期だ。
しかし、僕は進学する大学について調べていた。
──きっかけは、高校に入学して早4ヶ月、物理の授業になる。
箱の中を観測するまで、猫は「生きている状態」と「死んでいる状態」が同時に存在する“シュレディンガーの猫”という有名な思考実験を学んだ。
それをきっかけに、量子論の独学をはじめたのが、2ヶ月前になる。
そこから「量子を観測すると世界が決まる」という“コペンハーゲン解釈”にとても惹かれた。他にも、エヴェレットの“多世界解釈”、「観測すると振る舞いが変わる」という“二重スリット実験”……すべて【SFの世界】と思っていたことが、現実に学べる学問であることを知った。
そこから量子論を深掘りできる大学がないかと検索を始めたわけだ。
AIを駆使ししながら、数日かけて見つけたのは……──
「……当面の目標は、H大学の理学部、かな」
学習スケジュールも組み終えたが、目下の目標は英語の強化だ。
スケジュールをカレンダーに同期させようと、スマホを取り上げた。瞬間、震える。
見れば、裕真からメッセージがある。しかも12通目だ。
ただ裕真とは、不安からつながった関係だ。
同じ中学からK高校へ進学したのは、僕らだけだった。
卒業式に『よろしく』とスタンプを押したきり、連絡などなかったのに。
メッセージを開くと、
新手の詐欺か? 警戒しつつ、返信を打ち込んでみる。
なに
すぐに文字が返ってくる。
肝試しいこー!
唐突になんだよ
そう、返しそうになるが、やめた。
いかない
裕真の返信も早い。
宙さ、幽霊みえるっていうじゃん
覚えてたのか。
つい、舌打ちが出る。
中1の頃、怪談話の弾みで話してしまった自分が悪い。
自慢げに話した僕だけど、僕にはそれほどの信頼を築けていなかったのに、だ。
友だちだったクラスメイトに笑われ、学年が変わっても“変人”というレッテルは剥がれることはなかった。
おかげで3年間、勉強に没頭できたわけだけど。
しかし、その半透明の白髪男以外、視たことがない。
今更だが、視えるといっていいものか、自分でも判断できていない。
薄暗く湿気った記憶から現実に引き戻したのはスマホだった。
画面の文字に、僕は二度見する。
内海ちゃんが、宙にも来てってうるさくって
唐突な『内海』という文字に、僕は即返できずにスマホを手から滑らせた。
表を向いた床のスマホに、さらに文字が増えていく。
カノジョが内海ちゃんの家庭教師なの
いいじゃん、内海ちゃん、絶対くるからさー
車も出すから、いこー!
……ええいままよっ!
いく
ヤッターというスタンプが現れた。
8時、迎えにいくねー
OKと返信しつつ、今からシャワーに入って、髪型整えて、服は何着ればいい?
「大急ぎね」
階段を降りた背中に声がかかった。
振り返れば、部長らしからぬよれたスーツのジャケットを脱ぎながら、母が「ただいま」と笑っている。
「母さん、おかえり。あと、出かける」
「これから?」
「8時に裕真たちが迎えに来る」
「え、肝試し?」
母親の直感をまざまざと見せつけられた気がする。
図星の質問に僕の体が固まって、どう答えようかとモゴついていると、
「塩、持ってきなね」
母のおおらかさに救われた僕は、改めて身支度を急いで整えていく。
腹ごしらえに菓子パンを頬張っていると、父が帰宅した。
部屋に向かうと思っていたら、リビングに顔を出してくる。
その目は尖り、顔も紅潮し、泡を飛ばして叫んだ言葉は、
「宙、絶対に、いくなっ!」
ひどい怒鳴り声だ。
「肝試しなんて、廃墟にでもいくんだろ! それは不法侵入だ! 誰に迷惑かかると思ってるっ!」
母が楽しげにスマホをいじっていたのは、父に報告していたからか。
母は父が小言を言い出すと思っていなかったようだが、これはいつもの流れに変わりない。父は僕の行動を否定するのが生きがいだ。
こういうとき、僕の心に薄氷がはられる。
鏡のような透明な氷の下から外を眺めて、消えたいと願ってしまう。
ここからいなくなれれば……
消えてくれたら……
漆黒の水をかき分けるようにスマホが震え、僕は現実に戻った。
ついたよー
僕は「出る」と打ち込み、立ち上がった。
「……じゃ、いってくる」
「宙! 待てよっ!」
「塩、塩!」
引き止めようとする父を遮るように、母が僕の背中を押してくれる。
母がいてくれてよかった。穏便に外に出れた。
いなかったら、強引に出るしかなかった。
それは、かなり見苦しい。
小さなジップロックに入れられた塩をいつの間にか握らされて玄関を出れば、赤いEVのコンパクトカーが停まっている。
近づくと後部座席のドアが開き、僕は裕真のとなりに腰を滑らせた。
「ねーねー、なんか言われたー?」
裕真のニヤついた顔に、僕は片眉を上げる。
「父に、不法侵入するなとか言われたけど、無視して出てきた」
それっぽく答えた僕に、
「そういう強引なことするんだ」
この声は間違いなく内海さんだ。
助手席で前を向いたままなのに、いつもの凛とした響きに背筋が伸びる。
だが一方で、胃がぎゅっと縮んだ。
小さな嘘が痛いのだ。
僕は無視して出てきていない。
むしろ、帰ったあとの父に少なからず恐怖がある。
「あ、ソラくん、初めましてだよね? あたし、ユウちゃんの彼女の陽真理」
バックミラー越しに手を振られた。会釈した僕に裕真が続ける。
「ヒマちゃんはね、H大の女子大生なんだ」
大学名に驚きながら、
「ど、どの学部ですか?」
「理学部の1年。……あ、興味あったり?」
また陽真理さんとミラーごしに目が合ってしまう。
僕は乗り出した体をシートに沈めなおして、息を整えた。
「あったり、します」
「オレといっしょだー」
「私だって。だから陽真理さんが家庭教師なんだし」
『──お前は、いっつも人の真似ばっか。母親に似たんだなぁ』
嘲笑った父の声が聞こえてくる。
暗い気持ちをどうにか抑えこんだが、そのせいか、続く会話が途切れてしまった。
静かな車内は信号から左折し、繁華街に入っていく。
だが目的地がわからない。
「……ね、裕真、どこに行くの?」
「それは内海ちゃんからどーぞー」
内海さんの鼻先が向いた。
「水野くん、C廃校の怪談、知ってる?」
「えっと、方位磁石が狂ったりとか、理科室に白い人が立ってるっていう?」
「そこ! あ、スピリットボックスってわかる!?」
「いや、し」
「スピリットボックスっていうのは、ラジオノイズを通して、幽霊の声を拾えるもので!」
いつもの生真面目な内海さんとは別人だ。すこし早口で、声も大きい。
陽真理さんの左手が上がった。チェーンベルトの腕時計がネオンの光で白く煌めいている。その意味は、内海さんに対し『抑えてね』という意味だ。
モゴモゴと口を塞いだ内海さんに代わり、陽真理さんが続けた。
「C廃校はH大学附属の小学校で、今は大学の物置。今回はデータの持ち出し任務の、ついでの訪問だよ。違法じゃないから安心して」
どうやら、幽霊を検証するための肝試し、らしい。
不意に内海さんが助手席から体を乗り出した。
「……あの、水野くん? 視た幽霊って……?」
繁華街を横に、駅前に差し掛かったときだった。
裕真から話を聞いていたのだろう。
僕はフロントガラスの、さらに先に向かって指を向けた。
「白髪のおじさん。ほら、そこの交差点あるでしょ? ……あ、もうすぐ横切るよ」
車内が静まり返る。
そのせいで、やかましい繁華街の音が、ドップラー現象になって車内にこだまする。
一瞬の静かな間を埋めるように、ヒュッと息を吸う音が裕真から聞こえたが、僕もごくりと唾を飲んだ。
「……そこ街灯の下。今も、いる」
高架線が近くに伸び、新しいビルが建ち始めたにもかかわらず、古い街灯から離れようとしない。
ただ半透明の男は、微動だにせず立っている。
俯いたままの顔は青白く、雰囲気は灰色だ。
煌々とライトの光が注いでいるのに、影がかからない地面がまた奇妙なのだ。
「その、でも、そのおじさん以外、視たことなくって……」
「そうなんだ」
内海さんは生返事で、僕が教えた街灯をじっと睨んでいる。
運転席の後ろのため、助手席の内海さんが見えてしまう。
制服姿とはちがう、私服のブラウス姿は新鮮だ。光沢のある淡いグリーンのシャツは、内海さんの清潔さとおしゃれな雰囲気がマッチしている。
辛うじて見える横顔に見惚れていると、裕真は僕の肩を叩いて笑いだした。
「オジさんしか視えないの、めっちゃウケるんだけどー」
陽真理さんがハンドルを手のひらで回しながら、左折した。
またバックミラーで僕に話しかける。
「その霊と波長とかが合うのかな? すごいね!」
幽霊の話はそこで終わり、すぐに他愛のない雑談が始まった。
おしゃべりな陽真理さんにつられ、会話が途切れることがないまま、20分ほどで廃校が現れた。だが管理されているのもあり、見た目はとても普通だ。
ぐるりと覆われた鉄網フェンスの一角に、カードキーをかざして開ける門がある。
陽真理さんはカードをかざしながら、
「自動でまた閉まるんだよ」
車内にあった勢いはどこかに消えてしまったようだ。
口数が少なくなり、点々と灯る校内の街灯を頼りに進み、停車する。
「こっちから入るから」
陽真理さんの案内で、職員玄関だろう入り口から入った僕らは、備え付けのスリッパに履き替えた。おかげで足音がペタペタと騒がしい。さらには蒸し暑さがこもっていて、決して快適とはいえない。
しかし、内海さんが飛び跳ねながら、廊下の奥に指をさした。
「じゃ、理科室に行きましょっ。スピリットボックス、出しておきますねっ」
内海さんは僕の気持ちとは真逆だったようだ。
抑えこんでいたテンションを、今、爆発させている。
ほぼスキップで理科室に向かう内海さんの楽しそうな表情は、初めて見る顔だ。
まるで遊園地に遊びにきた少女のように、暗がりや静けさを楽しんでいて、とても可愛らしい。
だが、廊下には人感センサーライトはもちろん、スイッチを上げれば電気も灯る。
せっかくの恐ろしさが減衰していくのを感じながら歩いていく。
もちろん、スピリットボックスも砂嵐ばかりで、面白みもない。
陽真理さんの案内で、4回目の角を曲がったとき、内海さんは手のひらを眺めて立ち止まった。
「……回り始めたっ」
僕の前に差し出された小さな手に、方位磁石が乗っている。
それは方角を示さず、針が回転している。噂通りだ。
「あー……」
それを見た裕真が指をさした。
【理科室】と書かれた表札がある。
僕の足がすくんでいる。
僕の意気地なし!
心で怒鳴ってみても、運ぶ足の歩幅はとても狭く、理科室のドアに嵌め込まれたガラスすら、目に映すのが怖い。
「……やっぱ、誰もいないねぇ」
ドアの窓を覗いたのは陽真理さんだ。
真っ暗な室内は校舎の裏側なのもあり、街灯すら届いていない。
陽真理さんは理科室の鍵を開け、すぐに部屋のスイッチを跳ね上げた。
しかし、見えた室内に、僕の足が止まる。
……いる……!
「宙?」
裕真の声に返事をする前に、スピリットボックスが、
『はぁ……肝試しか』
あまりにはっきりした声に、僕らは顔を見合わせた。
あとずさる僕と正反対に、内海さんは一歩前に踏み出していく。
「そこに、いますか?」
反応がない。
嫌そうに僕らを眺める怪異は、すらりと縦に長い白衣姿の男性だった。
年齢は50代ぐらい。髪の毛は白髪とブロンドが混ざっている。目は青く、無精髭がとても似合っていて、間違いなく見た目は外国人だ。だが、喋る言葉は、流暢な日本語で、映画の吹き替えを観ている気になる。
裕真が小声で尋ねた。
「……いるの?」
「うん、怪異、いる。そこ……」
僕が場所をさして答えると、怪異はこぼれた前髪をなでながら、いぶかしげに僕を見た。
『君、わたしが、視えるのか……?』
「え? あ、……はい?」
つい答えた自分に怒りが湧いた。
安易な自分の行動に、だ。
だが、唐突な耳鳴りと痛みに、僕は顔を歪めて立ち止まる。
「宙、大丈夫ー?」
裕真の声に、手を上げこたえる。大丈夫、と示したつもりだが、かなり顔は歪んでいると思う。
どうにか頭を上げると、男性の怪異は驚いているようで、大きな目をさらに大きく見開いた。
その顔は生身の人間と差がないリアクションで、恐ろしさを感じない。
むしろ心配そうな表情に、そういうホログラムと対峙している気さえする。
僕は現実感のないまま、向かい合わせに立った。
背の高い怪異は、怯えたように目を細め後ずさるも、覚悟を決めたように足を止めた。
怪異の男性は、彼は恐る恐る口を開く。
『……ま、まさか、わたしと話せるのか?』
「き、聞こえるので、まあ……」
答えた僕に、怪異の表情がやわらいだ。
嬉しそうに笑顔をつくり、握手をしようと手を差しだされる。
僕は半透明の手を見つめ、動けないでいると、僕の気持ちを察したのか、そっと手が引っ込んだ。
右手首をなでながら、申し訳なさそうに眉をひそめた怪異に、僕は親近感を覚えてしまう。
まるで、人間だ。
意思疎通ができる、半透明の人間でしかない。
驚きと、嬉しさと、安堵が僕の顔をほころばせる。
それを見て怪異はもう一度微笑んだ。
ふと、思いついたことがあるのか、眉を揺らして、僕に人差し指を立ててみせる。
『なあ、君、今は何年なんだ?』
質問の動作らしい。
しかし、“今”というのがわからない。
「あの、今って……?」
『西暦何年かを知りたい』
あーと僕は言いながらうなずいたとき、内海さんが叫んだ。
「20X7年ですっ」
怪異を視たが、口元をゆるませたまま、じっと僕の反応を窺っている。
やはり、僕の声しか届かないようだ。
「えっと、20X7年です」
『……ん? 今は、わたしが死んだ、百年も
怪異はそう言ってから、自分の言葉の違和感に気づいたのか、愉快そうに笑いだした。
『そうか、君が見ている
どういう意味だ……?
なぜ、
僕は反論しようと唇を開く。
開いたが、声が出ない。
……なぜなら、背後がおかしい。
僕ら以外いないはずの学校で、ドアが鈍い音を立てて開きはじめたからだ。
僕の、特異点 ──この未来に、僕はいない。 yolu(ヨル) @yolu
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