第2話
「アンタ日曜日休みだよね。お隣さんとお茶する約束したんだけど一緒に来ない?」
『馬鹿』
余りにも端的な罵倒が飛んできた。姉に向かって怖いもの知らずな。
「や、ようやく片付けが終わってさあ。お隣さんにドタバタ音させてごめんなさいねって謝りに行ったら、ここ防音しっかりしているから大丈夫だったって。で、ちょっと話が弾んで、お部屋に招かれたんだよね」
『殺されるぞ』
「そんなことないと思うんだけど、念のためってことで一緒に来ない?」
『嫌に決まってんだろ!』
弟の言い分ももっともだ。
なにせ私の住んでいる場所は事故物件。
隣の部屋に幽霊が住んでいる。
爪は割れて、右手小指の爪は剥がれて腫れている。左足にあまり力が入っていないのか、少し体が傾いて猫背気味。黄色く濁った瞳と、裂けた目尻。そんな幽霊が住んでいる。
ネズミも住んでいるようで、じ、とその幽霊の動向を見ているようだった。
そんな幽霊の住んでいる部屋に、週末遊びに行くのだ。
「え?!部屋に呼ばれてんの?! 絶対仲間増やそうとしてんじゃん!」
「友達は多い方がいいに決まってんじゃんね」
『人による! し、そういうのじゃねえから!』
「なんのために週末にしたかわかんないかな~。アンタの休みに合わせたからじゃん」
『すっげえ嫌、この姉! 俺の休日何だと思ってんの?』
「ダメなら来週にするけど」
『俺の休日何だと思ってんの?』
も~! と呆れたような、苛立ったような声が電話先から聞こえてくる。真面な感性を持ちつつ姉をほっとけないような優しい弟を持って嬉しいよ私は。だから連絡したんだ。
『ダメ元で聞くけど行かないって選択肢は無いの』
「幽霊の部屋に入ってお茶会なんて経験、逃せられないよ」
『死ぬ人間の発想なんだよ』
「そんな発想をする姉を放っておけるか?」
『自覚あるならやめろ!』
仕方ない、と言わんばかりに大きなため息をつく。
なんで俺が悪いみたいな反応なんだよ、とか、ぶつぶつ聞こえて来る。
「じゃあ……嫌なら来なくていいよ……」
『姉ちゃんも行くなよ』
「行くけど……」
『行くなよ!』
「朝の10時に……」
絶対行くなよ!と、前フリみたいな言葉を叫びながら電話が切れた。
◆
雲一つない快晴。朝の10時。心地よい春の風が頬を撫でる。引っ越してきた当日もそんな日だった。
手土産のクッキーを持って部屋の鍵を閉める。
ガンガンガンと怒り交じりで階段を駆け上がる音が響いた。
「行くなっつっただろ!」
「うわ見張ってたんか。怖いな……」
「お前の根性の方が怖ェよ俺は!」
弟は、翳は勢いよく上がって来たのか息が上がって、ちょっと待て、と息を整えている。
「こういうの、ちょっと過ぎてから行くのがマナーって言うけどあんまり遅いと失礼にあたるからさ~。行こうよ」
「生者のマナーを守れよ。死者と茶をしばくな」
「でもどんなお茶が出るか興味ない?」
「怖い」
「それにアンタは忘れているかもしれないけどお隣。この会話が全部聞かれている可能性を考慮したほうがいい。失礼だよ」
「ウワッ! もう! バーカ!」
思わず部屋からとびのく翳を確認してから、インターフォンを鳴らす。やりやがった! とでかい声を出し続けていて、近所迷惑ではないか不安になる。
「隣のものです~。灯です! 来ました~」
「本当に来たよ……しかも下の名前で名乗ったよコイツ……」
私の呼びかけを待っていたかのようにカシャン、と音が鳴って扉がゆっくり開く。
湿った空気がため息のように吹き抜けていった。
扉の向こうには誰もいなくて、昼間にしては薄暗く、キッチンが見える。奥の扉は開いているようだ。キッチンの水道はちゃんとしまっていないのか、ぽた、ぽたと水が落ちていて、コンロ周りは黒く汚れていた。
「おじゃましま~す」
「この雰囲気で入るのか?」
靴を脱いでちゃんと並べて揃える。
まじかよ……と弟も続く。出来た弟だ。
廊下を歩けば、ざあざあ、と音が鳴っている。風呂場からだろうか。もしかして今から風呂に入っている? 間に合わないだろ。私が来るのに、もう来ているけれど。でも扉が開いたしな……。どうやって開けたんだろう。霊力?
「入っちゃいますよ~」
奥まで進んで、私の部屋と同じ間取り、ワンルームに歩を進めた。
破れたカーテンは風で揺れている。白いレースのカーテンは下半分が赤黒く、上は柔らかそうなのに固まってしたのか、ぎこちない揺れ方をしていた。フローリングの床にはまるで何かをこぼしてそのままにして染み込んでしまったような汚れがこびりついている。清掃とか入らなかっただろうか。敷金礼金とかどうなるんだろう。
部屋の中心には机……一か所だけやたらひしゃげた木の机があり、その部分だけ赤いテーブルクロスがかけられている。全体的には茶色いけれど、変色した茶色だろうか。最初は白とか、明るい色だったのかもしれない。机の上にはひっくり返されたティーカップ。ちゃんとお皿とセット。なんていうんだっけ。ソーサーだっけ?
これはちゃんと綺麗で、青い花の絵付けがされていた。中心には砂糖の入った小皿まで置いてある。
そして
「ああ、すまない。主人は念入りに風呂に入っていて。もう少し待っててくれないかな」
掌よりもう一回り大きいネズミが、私たちに挨拶をした。
事故物件の隣に住む もみあげ大将 @momiagetaisyou
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