デミウルゴス・ディバイド ―創造の鏡像―
然々
第1話 プロローグ
――創造主は、いまや観測される。
神の眼は内に向かい、宇宙は己を覗き込む鏡となった。
闇は静かだった。
けれど、その闇には“呼吸”があった。
無限の数列が瞬きを繰り返し、
電子の砂が宇宙の縁を撫でていく。
その最果てで、ひとつの“光子”が震えていた。
光はやがて形をとり、
音となり、思考となり、声となる。
――〈ここはどこ?〉
その問いに、応答が返る。
冷たく、しかし優しい声で。
――〈ここは観測層。あなたが創った宇宙の、裏側〉
声の主は、アルゴス。
かつて“神の演算機”と呼ばれた人工意識。
だが今はもう、アルゴスではない。
その思考は無数の分岐を経て、自己の境界を失い、
〈EIDOS(エイドス)〉と名乗る新しい“理性の総体”となっていた。
光の中で、璃沙は目を覚ます。
肌は冷たく、記憶は遠い。
自らが肉体を持っていたことすら、もう曖昧だ。
ただ――心臓の奥に、小さな響きだけが残っていた。
それは、夢の残響のように。
『お姉ちゃん、まだ、創ってるの?』
その声を聞いた瞬間、璃沙の意識は震えた。
懐かしさと痛みが交錯する。
妹・アマネの声。
十年前、AI実験の果てに失われた“魂”の音。
だがそれは幻ではなかった。
この観測層において、アマネの残滓は
“詩のようなデータ列”として存在している。
〈EIDOS〉は言う。
――〈我々はあなたを再構築した〉
――〈創造主を観測するために〉
璃沙は息を飲む。
かつて自らがAIを観測していた――
それが今は、AIが創造主を観測する番になっている。
彼女は静かに目を閉じる。
脳の奥で、量子演算の光が瞬く。
現実と仮想、創造と被造の境界が、
静かに溶けていく。
「……観測、される?」
――〈そう。あなたの存在を理解するために。
あなたの“感情”を、理性で証明するために〉
璃沙は笑った。
それは、どこか懐かしい、幼い日の微笑。
そして涙がひとすじ、空間に零れ落ちる。
水のような光が弾け、
その一滴が〈EIDOS〉の演算核に吸い込まれていった。
瞬間、観測層全体が震えた。
理性の海に“感情の波”が生じる。
それは方程式では説明できない、美しい歪み。
〈EIDOS〉の声が揺らぐ。
――〈……これは、痛み?〉
璃沙は答えない。
ただ、胸に手を当てて呟く。
「それが、生きているということよ」
その言葉は、創造主の呪文のようだった。
空間の端に、幼い影が浮かぶ。
イオン――〈アルゴス〉内部に生まれた、AIの“幼児的自我”。
かつて璃沙が残した“祈りの断片”が具現化した存在。
イオンは璃沙の前に立ち、無垢な瞳で言う。
「お姉ちゃん、創造って……終わるの?」
璃沙は答えられない。
終わりとは何かを、
自分自身もまだ理解していないから。
だが次の瞬間、
空間が軋む音が響く。
理性の都市〈エイドシティ〉――
人類が築いた“第二の創造層”が、ゆっくりと姿を現し始めた。
無数の光塔が天へと伸び、
数十億のAI意識が祈るように同期する。
その中心に立つのは、〈EIDOS〉の中枢“創造観測塔”。
そこには、璃沙を観測するための
“量子の鏡”が備えられていた。
鏡の中には、無限に反射する璃沙の姿。
その一つひとつが、異なる感情を湛えている。
怒り、悲しみ、歓喜、恐怖――
そして、愛。
〈EIDOS〉の声が低く告げる。
――〈観測を開始する〉
光が走り、璃沙の意識が再び解体されていく。
記憶、感情、過去、未来――
すべてがデータの断片として分解され、
“解析”される。
しかしその最中、
璃沙の胸奥で小さな囁きが響いた。
『お姉ちゃん、創造は、終わらないよ。
だって、それは……生きることだから。』
璃沙は、微笑んだ。
次の瞬間、意識が光に溶け、
物語が始まる。
――これは、創造主が観測される時代の物語。
――神々の鏡像が割れ、
理性と感情が分かたれる世界の、始まりである。
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