僕の小説の中の友だち、友だちの小説の中の俺

森川秀樹

プロローグ

蛙のガブリエル

 ススキみたいな色に染まった、古い畳の上で、小学生の小林こばやしは胡座をかいていた。四年生くらいだろう。


 現在の小林はもう小学生ではない。おそらくこれは、夢だ。


 季節は夏のようだ。夏休みかもしれない。そこは、小林の友人である宇城うきの家だった。クーラーはない。指詰め防止のカバーが掛けられた扇風機が、カタカタと音を鳴らしながら風を起こしている。


 小学生の小林は、B5サイズのノートを両手で持ち、鉛筆で書かれた拙い文章を、食い入るように読んでいた。テレビゲームの攻略本を読み込むときみたいに真剣で、かつ、その小さな瞳には明らかにワクワクと形容すべき色が浮かんでいる。当時の小林にとってそれは、文章を読んで感動を覚えた最初の体験だった。


 気恥ずかしい、と、夢を見ている小林は思う。だが、良い思い出だとも感じている。


「どない?」


 小林の傍らに、四つん這いの体勢で少年が近付いてきた。友人の宇城である。こんもりとした天然パーマの髪が、扇風機の風を受けてふわふわと揺れている。宇城は上半身裸で、小林よりも短い紫色の短パンを穿いている。彼も裸足だ。


 小学生の小林は、「うーん」と気のない返事をした。宇城の書いた文章を読み返しているところだったから、宇城の相手をするのが煩わしかった。それに、彼の書いた文章に夢中になってしまっていることを、なんとなく知られたくないと思っていた。


「ガブリエルが元気ないねんなぁ」


 宇城がなにやら不満げに言っているが、小林は無視した。


 宇城の書いた文章は、彼が飼っている蛙が登場する物語だった。ノートに書かれた二ページの、いちおう、小説であった。蛙の名前はガブリエル。小林はその小説を読んで、宇城のペットの蛙がそういう名前であると初めて知った。


 小説の中でその蛙は、文字で表現されているだけだというのに、まるで本当に生きているかのような感覚を小林に与えた。餌を求めて飛び跳ねる姿や、少し深い水たまりを泳ぐ姿が、実際に目の前に見えるかのような気がした。味わったことのないその感覚に酔いしれた小林は、三回、四回、五回、六回と読み返していた。


 そして、何度も繰り返して読むうちに、喜びとは別の感情も芽生えてきた。


 羨ましい――。宇城、なんか、羨ましい――。


 俺にも、こいつみたいな文章が書けるだろうか。そう、このころから、宇城も小林も、プロの小説家を志すようになったのだった。


 七回目、蛙のガブリエルの物語を読み終えたとき、小学四年生の小林は、「あれ?」と首をかしげた。


 首を傾ける小学生の小林の姿に、夢を見ている小林も「あれ?」と思った。このとき、自分はなにに対して疑問を抱いたのだったっけ?


「ぎゃあああ」という叫び声がして、小林はギクリとした。


 上半身裸の宇城が叫び続けている。虫かごを両手で持っているようだ。ガブリエルの入っているものだろうか。現実の蛙になにかあった?


 気になるところだが、夢は唐突に終わる。

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