第一章 描写不足の世界

第一章 1

 小林の両目を刺激が襲った。


 なんだ、と驚いてからすぐ理解する。眩しいのだ。太陽? 夢と同じく季節は夏のようだ。


 ……ようだ? まだ、夢心地である。


 ミーンミーンミーンミーンという鳴き声が聞こえる。ミンミンゼミだろう。だが、ミンミンゼミにしては妙な鳴き方だった。ミーンミンミンミーン、という感じではなかったか。


 疑問に思いながら、日差しに慣れてきた目を徐々に開く。同時に、尻に硬い感触があって、自分が椅子かなにかに座っているのだと知る。


 陽光に照らされたアスファルトの地面と、裸足が視界に入った。小林の足だ。


「なんで裸足……?」


 高校の制服であるスラックスを穿いていて、半袖の制服も着ているのだが、なぜか靴も靴下も履いていない。


 小林は木製のベンチに腰かけていた。目の前には車一台ぶんほどの細い道路がある。アスファルトの隙間から雑草がチラホラ生えているような道だ。道路を挟んだ向かい側には、ブロック塀がある。古い一軒家の塀のようだ。随分と黒ずんでいる。ここは、住宅街の一角、なのだと思う。小林には見覚えがある風景だった。


 小林は、右手で額の上に庇を作ろうとした。そして、右手になにかを持っていることに気づいた。先っぽが小さなスプーンになっているストローだった。と、左手に冷たさを感じた。左手にかき氷の入ったカップを持っていた。氷は、オレンジ色のシロップに染まっている。みかん味だと思われる。


「ここ、かき氷の……」


 小林はようやく、自分がいまいる場所を完全に把握した。通っている高校の近くにあるかき氷の店だ。高校を出て自転車で三分ほどの距離にある。端から見るだけでは営業しているのか否かが判断しづらく、かつ初見では入りづらい趣の、年季の入ったお店だ。おそらく九十過ぎのおばあちゃんが、インスタ映えなんて一切しない、シンプルなかき氷を売っている。小林はこの店でかき氷の良さを再認識した。ただ、何度も来ているが、店名は不明である。


 いまは放課後で、小林はかき氷店の店先にある木製のベンチに座り、かき氷を食べていたようだ。……ようだ、とはどういうことだろう、と小林は首をひねる。どうもさっきから、思考がふわふわしている。


 ミーンミーンミーンミーンと、どこからともなく違和感のあるセミの鳴き声が聞こえてくる。そういえば、と小林は奇妙なことに気づく。セミが鳴いているし、かき氷を食べているくらいだから、いまは夏だろう。なのに、なぜか暑くない。ただ、日差しは眩しい。


「なんか、変やぞ」


 そう呟くと、右隣から聞き慣れた声がした。


「なにが変なんや?」


 ギクリとしてそちらに顔を向ける。大きな蜂の巣みたいなものが目に入り、さらに驚いたが、それはこんもりとした天然パーマの髪の集合体だった。


 人一人ぶんの距離を置いて、クラスメイトで友人の宇城がベンチに座っていた。インテリチックな銀縁の眼鏡のレンズが、陽光を受けて白く光っている。小林と同じ夏仕様の制服を着ていて、片手にスプーン付きストロー、もう片手にかき氷の入ったカップを持っている。一方で、小林と違ってちゃんとローファーを履いている。宇城は、この国の未来を憂うような気難しそうな表情を浮かべるが、実際は大したことは考えていないと、小林は知っている。なんといっても小学校からの付き合いだ。


「なにが、変なんや?」


 宇城は質問を繰り返した。視線は前方のブロック塀に向けられている。


「なにがって、気温が」


「気温?」


「ぜんぜん暑くないんやけど。夏やのに。ここまでクーラー効いてるとか?」


「え、どういうことや」


 気難しい表情で前方を見据えたまま、言葉だけで驚いている宇城の様子が、なんだか奇妙だなと思いつつ、小林は肩越しに背後を振り返った。開け放たれたガラス戸の先に、こぢんまりとした飲食スペースが設けられている。木製の小さなテーブルがひとつと、薄っぺらい座面の丸椅子がいくつか。店内から冷風が届いてくる感じはしない。店の奥にはレジがあり、その傍らに、背もたれのある椅子に座った、店主のおばあちゃんが、うとうとしている。彼女は、どういうわけか、エプロンしか身につけていなかった。


 小林は「ええっ」と声を上げた。すぐさま視線を逸らす。


「今度はなんあ」


 なんあ、ってなんやと気になったが、そんなことはどうでもいい。


「おばあちゃん、エプロンしか着てへんのやけど!」


 なにかないかと周囲を見渡してから、ええい仕方ないと、小林は制服の半袖シャツを急いで脱いだ。肌着は着ていなかった。なんでだと不思議に思うが、それより先におばあちゃんだ。小林は立ち上がり、顔を上げないように気をつけて店内に入り、「とりあえず、これを!」と脱いだシャツをおばあちゃんにかけた。寝ているのか、なんの反応もない。余計なことではないはずだ、と自分に言い聞かせながら、小林はベンチに戻る。


「暑いから!?」宇城に問う。「いや暑くないねん!」


 宇城はなぜかまったく表情を変えることなく、口だけ動かす。


「ちょとまてくて」


 さっきからなんだその変な喋り方は?

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