第5章:中年の絶望とリーマンショック(2000年~2018年)―どん底へ


1. 30代後半。疲れが、溜まってきた

2000年。俺が32歳の時、体に変化が出てきた。30代後半に向かって、疲れが溜まってきた。


朝、起きるのが辛い。以前は、目覚まし時計が鳴ったらすぐに起きられた。でも、今は違う。目覚まし時計が鳴っても、起きられない。体が重い。布団から出たくない。


仕事中も、疲れが取れない。以前は、8時間働いても、まだ元気だった。でも、今は違う。8時間働いたら、もうヘトヘトだ。残業なんて、したくない。家に帰って、すぐに寝たい。


休日も、疲れが取れない。以前は、休日になったら元気になった。遊びに行ったり、趣味をしたり、元気だった。でも、今は違う。休日も、疲れてる。家で寝てるだけ。遊びに行く気力もない。


嫁が、心配そうに言った。「大丈夫?最近、疲れてるみたいだけど」って。俺は、言った。「大丈夫だ。ちょっと疲れてるだけだ」って。でも、本当は大丈夫じゃなかった。体が、おかしかった。


腰が痛い。以前は、腰なんて痛くなかった。でも、今は痛い。立ちっぱなしの仕事だから、腰に負担がかかる。毎日、腰が痛い。湿布を貼っても、治らない。


肩も凝る。首も痛い。頭痛もする。これが、30代後半の体だった。これが、労働者の体だった。


トンテンカン一言:「2000年、俺が32歳の時、体に変化が出てきた。朝、起きるのが辛い。仕事中も疲れが取れない。休日も、疲れが取れない。嫁が心配そうに言った。『大丈夫?』って。俺は言った。『大丈夫だ』って。でも、本当は大丈夫じゃなかった。体が、おかしかった。腰が痛い。肩も凝る。首も痛い。頭痛もする。これが、30代後半の体だった。これが、労働者の体だった。」




2. 同級生は出世してた。俺は、ずっとライン作業


40歳の時、同窓会があった。


高校卒業以来、20年以上ぶりだった。


俺は、迷った。行きたくなかった。でも、嫁が言った。「たまには行ってきたら?」って。


俺は、重い腰を上げて、同窓会に行った。


会場は、地元のホテル。参加費は、5000円。高かった。でも、払った。


同級生が、集まってた。20年ぶりに会う顔もあった。


みんな、老けてた。でも、元気そうだった。


そして、みんな、出世してた。


タカシは、地元の建設会社で課長になってた。「部下が10人いるんだ」って、自慢げに言ってた。


ヒロシは、製造業の会社で部長になってた。「年収600万円くらいかな」って、さらっと言ってた。


ケンジは、飲食店の店長になってた。「いつか独立したいんだよね」って、夢を語ってた。


みんな、偉くなってた。みんな、稼いでた。


そして、俺に聞いてきた。「お前は、何してるの?」って。


俺は、言った。「自動車部品工場で、ライン作業やってる」って。


「へぇ。正社員?」


「うん。正社員」


「それならいいじゃん。安定してるし」


でも、その言葉は、俺を慰めてくれなかった。


俺は、ずっとライン作業だ。12年間、同じ仕事。昇進もない。昇給もほとんどない。


同級生は、課長、部長、店長。出世して、稼いでる。


俺は?平社員。ライン作業。月収19万円。


惨めだった。


話すことがなかった。同級生が、仕事の話、家の話、車の話をしてる。俺は、何も話せなかった。


「家、買ったんだ」「車、買い替えたんだ」「子供を私立に入れたんだ」――同級生の話を聞いてるだけだった。


俺は?家も買えない。車も持ってない。子供を私立に入れる金もない。


同窓会が終わった。俺は、一人で帰った。


帰り道、俺は思った。「俺は、負け組なんだ」って。


20年間、何も変わってない。同級生は出世してる。俺は、ずっとライン作業。


絶望だった。


トンテンカン一言:「40歳の時、同窓会があった。俺は迷ったけど、行った。参加費5000円。高かった。同級生が集まってた。みんな、出世してた。タカシは課長。ヒロシは部長で年収600万円。ケンジは店長。みんな、偉くなってた。俺に聞いてきた。『お前は何してるの?』って。俺は言った。『自動車部品工場でライン作業』って。『正社員ならいいじゃん』って言われた。でも、俺はずっとライン作業。12年間、同じ仕事。昇進もない。惨めだった。話すことがなかった。同級生の話を聞いてるだけだった。帰り道、俺は思った。『俺は、負け組なんだ』って。絶望だった。」




3. 子供に「お金ない」って言うのが辛かった


一番辛かったのは、子供に「お金ない」って言うことだった。


子供が、小学5年生になった時だった。


子供が、言った。「任天堂DSが欲しい」って。


友達がみんな持ってるから、欲しいって。友達と一緒にゲームがしたいって。


俺は、値段を調べた。15000円くらいだった。


15000円。高い。でも、買ってやりたい。


でも、買えなかった。


給料日まで、あと2週間。財布の中には、3000円しかなかった。


俺は、言った。「お金ないから、ダメ」って。


子供の顔が、曇った。「わかった」って、小さな声で言った。


それが、辛かった。


子供は、何も言わなかった。文句も言わなかった。ただ、「わかった」って言っただけ。


でも、その顔が、俺の心を刺した。


友達が持ってるものを、欲しがる。でも、買えない。


ゲームだけじゃない。服も、靴も、おもちゃも、全部そうだった。


「友達は、新しい靴履いてた」「友達は、新しい服着てた」――子供は、そう言った。


でも、俺は言った。「お金ないから、ダメ」って。


何度も、何度も、同じことを言った。


子供は、だんだん欲しいものを言わなくなった。


諦めたんだ。親に言っても、買ってもらえないって、分かったんだ。


それが、もっと辛かった。


親として、失格だと思った。子供に、欲しいものも買ってやれない。新しい服も、靴も、買ってやれない。


貧乏が、子供にまで及んでる。


子供は、友達と比べて、劣等感を感じてるんじゃないか。貧乏な家に生まれて、不幸だと思ってるんじゃないか。


俺は、自分を責めた。


でも、どうしようもなかった。金がないんだ。どうしようもないんだ。


「お金ない」って言うたびに、心が削られた。


これが、俺の現実だった。


トンテンカン一言:「一番辛かったのは、子供に『お金ない』って言うことだった。子供が小学5年生の時、『任天堂DSが欲しい』って言った。友達がみんな持ってるから、欲しいって。値段を調べた。15000円。高い。でも、買ってやりたい。でも、買えなかった。財布の中には3000円しかなかった。俺は言った。『お金ないから、ダメ』って。子供の顔が曇った。『わかった』って、小さな声で言った。それが辛かった。何度も、何度も、同じことを言った。子供は、だんだん欲しいものを言わなくなった。諦めたんだ。それが、もっと辛かった。親として、失格だと思った。『お金ない』って言うたびに、心が削られた。これが、俺の現実だった。」






4. 2008年、リーマンショック。親会社に出向。地獄の夜勤が始まった


2008年9月。リーマンショックが起きた。


テレビのニュースは、連日その話題ばかりだった。「アメリカの金融危機」「世界同時不況」「株価暴落」――日本経済も、大打撃を受けた。


俺が働いてた自動車部品工場も、影響を受けた。


まず、派遣社員が切られた。


ある日、工場長が言った。「派遣社員は、今月で契約終了だ」って。


派遣社員たちは、一斉に職を失った。「どうすればいいんだ」「次の仕事はあるのか」――みんな、絶望してた。


俺は、正社員だった。だから、クビにはならなかった。


でも、安心できなかった。


次に、売上が激減した。自動車が売れなくなった。部品の注文も減った。


工場の稼働時間が減った。残業がなくなった。ボーナスもカットされた。


そして、工場長が言った。「正社員は、親会社に出向してもらう」って。


親会社。大手自動車メーカーの工場だった。


俺は、出向することになった。


親会社の工場は、地獄だった。


労働環境が、きつかった。ライン作業のスピードが速い。ノルマが厳しい。上司が厳しい。


そして、夜勤があった。


夜勤。夜9時から朝6時まで。週に3回。


夜勤は、地獄だった。


夜中に働くのは、体がキツい。眠い。疲れる。集中力が続かない。


でも、ミスは許されない。ライン作業だから、ミスをしたら、ライン全体が止まる。


上司に怒鳴られる。「何やってんだ!」「集中しろ!」


夜勤明けは、昼間に寝る。でも、眠れない。体内時計が狂ってる。


週に3回、夜勤。週に3回、昼間寝る。生活リズムが、めちゃくちゃになった。


体が、どんどん疲れていった。腰が痛い。肩が凝る。頭痛がする。


家に帰っても、疲れて何もできない。嫁と話す気力もない。子供と遊ぶ気力もない。


ただ、寝るだけ。


俺は、疲れ果てた。


給料も減った。残業がないから、残業代がない。月収19万円が、17万円に減った。


ボーナスもカットされた。年20万円が、5万円に減った。


収入が、一気に減った。


嫁のパート代を合わせても、月23万円。以前より、2万円減った。


生活が、さらに苦しくなった。


リーマンショック。親会社への出向。地獄の夜勤。


俺は、どん底に落ちた。


トンテンカン一言:「2008年9月、リーマンショックが起きた。俺が働いてた工場も影響を受けた。まず、派遣社員が切られた。みんな、職を失った。俺は正社員だったから、クビにはならなかった。でも、安心できなかった。売上が激減した。残業がなくなった。ボーナスもカットされた。そして、俺は親会社に出向することになった。親会社の工場は、地獄だった。労働環境がきつい。そして、夜勤があった。週に3回。夜9時から朝6時まで。夜勤は地獄だった。体がキツい。眠い。疲れる。生活リズムがめちゃくちゃになった。体が、どんどん疲れていった。給料も減った。月収17万円。ボーナスも5万円に。収入が一気に減った。リーマンショック。親会社への出向。地獄の夜勤。俺は、どん底に落ちた。」





5. 出向が終わり、元の工場へ。でも、疲れ果てた。同僚は鬱で倒れていく


2010年。出向が終わった。


俺は、元の自動車部品工場に戻った。


2年間の出向だった。2年間、地獄の夜勤を続けた。


やっと、終わった。


元の工場に戻れる。夜勤がなくなる。もう少し楽になる。俺は、そう思った。


でも、戻っても、何も変わらなかった。


いや、悪くなってた。


工場は、以前より暗かった。人が減ってた。派遣社員が切られて、正社員だけになってた。


正社員の数も、減ってた。出向から戻ってこなかった人もいた。辞めた人もいた。


そして、人が減ったしわ寄せが、残った社員に来た。


仕事量は、変わらない。でも、人が減ってる。だから、一人当たりの仕事量が増えた。


以前は3人でやってた仕事を、2人でやる。以前は2人でやってた仕事を、1人でやる。


残業が増えた。休憩時間も削られた。


「人が足りない」「補充してくれ」――現場から、何度も声が上がった。


でも、会社は補充しなかった。「コスト削減だ」「我慢してくれ」――それだけだった。


残った正社員は、疲れ果ててた。


同僚のヤマダは、鬱になってた。


ヤマダも、俺と同じように親会社に出向してた。夜勤をやってた。


戻ってきた時、ヤマダは別人になってた。目が死んでた。笑わなくなってた。


そして、人が減ったしわ寄せで、ヤマダの仕事量も増えた。毎日、残業。休日出勤も増えた。


ヤマダは、どんどん追い詰められた。


そして、ある日、ヤマダが倒れた。


仕事中に、突然倒れた。救急車で運ばれた。


診断は、うつ病。過労だった。


ヤマダは、そのまま休職した。そして、復帰することなく、辞めた。


他にも、倒れた同僚がいた。


タナカも、うつ病で休職した。サトウも、体調を崩して辞めた。


人が減る。残った人の仕事量が増える。そして、また人が倒れる。さらに仕事量が増える。


負のスパイラルだった。


俺も、疲れ果ててた。


出向から戻っても、夜勤の疲れは取れなかった。体が、おかしかった。


腰が痛い。頭痛がする。眠れない。食欲がない。


そして、人が減ったしわ寄せで、俺の仕事量も増えた。毎日、残業。休日出勤。


仕事中、集中できない。ミスが増えた。上司に怒られた。


家に帰っても、何もする気が起きない。嫁と話すのも、億劫だった。子供の顔を見ても、笑えなかった。


俺は、壊れかけてた。


でも、働くしかなかった。辞めたら、収入がなくなる。家族を養えなくなる。


だから、働き続けた。


でも、限界だった。


同僚が、次々と倒れていく。俺も、いつ倒れてもおかしくない。


出向が終わった。でも、地獄は終わらなかった。


トンテンカン一言:「2010年、出向が終わった。俺は元の工場に戻った。2年間、地獄の夜勤を続けた。やっと終わった。でも、戻っても何も変わらなかった。いや、悪くなってた。工場は暗かった。人が減ってた。そして、人が減ったしわ寄せが、残った社員に来た。仕事量は変わらない。でも、人が減ってる。だから、一人当たりの仕事量が増えた。残業が増えた。休憩時間も削られた。会社は補充しなかった。『コスト削減だ』って。残った正社員は、疲れ果ててた。同僚のヤマダは鬱になった。仕事中に倒れた。うつ病。過労だった。他にも倒れた同僚がいた。人が減る。仕事量が増える。また人が倒れる。負のスパイラルだった。俺も、疲れ果ててた。仕事量も増えた。毎日残業。休日出勤。俺は壊れかけてた。でも、働くしかなかった。でも、限界だった。」




6. 俺も、ストレスで倒れた。そして、辞表を出した(修正版)


2018年。俺が50歳の時、ついに限界が来た。


ある日の朝、起きられなかった。


目覚まし時計が鳴ってる。でも、体が動かない。起き上がれない。


嫁が、心配そうに言った。「大丈夫?」って。


俺は、言った。「大丈夫じゃない」って。


頭がぐるぐる回る。吐き気がする。動悸がする。息が苦しい。


嫁が、救急車を呼んだ。


病院に運ばれた。検査を受けた。


医者は、言った。「ストレスです。過労です。このままだと、危険です」って。


診断書をもらった。「1ヶ月間の休養が必要」って書いてあった。


俺は、会社に連絡した。「体調不良で休みます」って。


上司は、冷たく言った。「困るな。人が足りないんだ。早く戻ってこい」って。


俺は、何も言えなかった。


1ヶ月、休んだ。家で寝てた。でも、休んでも、体調は良くならなかった。


頭痛がする。眠れない。食欲がない。何もする気が起きない。


子供は、20歳になっていた。大学には行けなかった。金がなかったからだ。高卒で、工場で働いてた。


子供が、言った。「親父、無理すんなよ」って。


俺は、何も言えなかった。子供に、大学にも行かせてやれなかった。自分が情けなかった。


嫁が、言った。「会社、辞めたら?」って。


俺は、迷った。辞めたら、収入がなくなる。


でも、嫁は言った。「あなたが倒れたら、もっと困る。命の方が大事だよ」って。


子供も、言った。「俺も働いてるから、なんとかなるよ」って。


俺は、決意した。


1ヶ月後、会社に行った。上司に会った。


上司は、言った。「辞めるって、本気か?」って。


俺は、言った。「本気です。体が限界です」って。


上司は、言った。「じゃあ、職場を変えてやる。楽な部署に異動させてやる。それでどうだ?」って。


職場の移動。


俺は、一瞬、期待した。楽な部署があるなら、そこに行けば、続けられるかもしれない。


でも、すぐに気づいた。


そんなこと、嘘だ。


楽な部署なんて、ない。どこも人が足りない。どこもきつい。


上司は、ただ俺を引き留めたいだけだ。辞められたら、困るからだ。人が足りないからだ。


俺を使い潰すつもりだ。


俺は、言った。「いいえ。辞めます」って。


上司は、顔を変えた。「そうか。じゃあ、勝手にしろ」って。


冷たかった。25年間働いてきた会社。25年間働いてきた上司。


でも、冷たかった。


俺は、辞表を出した。


上司は、ため息をついた。「引き継ぎはちゃんとしてくれ」って。


俺は、引き継ぎをした。2週間後、会社を辞めた。


派遣社員として2年間、正社員として22年間。合わせて、25年間働いた。


四半世紀、働いてきた。


退職金は、50万円だった。


25年間働いて、たった50万円。


俺は、思った。「何のために働いてきたんだ」って。


働いても、貧乏。働いても、体を壊す。働いても、幸せになれない。


子供を大学にも行かせてやれなかった。


会社は、俺を使い潰そうとした。職場の移動なんて、嘘だった。


そして、50歳で無職。


これが、俺の人生のどん底だった。


トンテンカン一言:「2018年、俺が50歳の時、ついに限界が来た。ある日の朝、起きられなかった。救急車で運ばれた。医者は言った。『ストレスです。過労です』って。1ヶ月休んだ。でも、体調は良くならなかった。子供は20歳になっていた。大学には行けなかった。金がなかったからだ。嫁が言った。『会社、辞めたら?』って。俺は決意した。会社に行った。上司は言った。『職場を変えてやる。楽な部署に異動させてやる』って。俺は一瞬期待した。でも、すぐに気づいた。そんなこと、嘘だ。楽な部署なんてない。上司は、ただ俺を引き留めたいだけだ。俺を使い潰すつもりだ。俺は言った。『いいえ。辞めます』って。辞表を出した。25年間働いた。退職金は50万円。会社は、俺を使い潰そうとした。50歳で無職。これが、俺の人生のどん底だった。」





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