卵とフライドポテトの遺書

箔塔落 HAKUTOU Ochiru

卵とフライドポテトの遺書

 詩穂が寮の窓から落ちた、と聞いたとき、わたしが真っ先に「しなければならなかった」ことは、彼女の部屋のテーブルの上を見ることだった。つねづね自身の希死念慮を告白していた詩穂に、ささやくようにこう言われたことがあるからである。

「わたしは自殺をするときも遺書を残さない。テーブルに朝食の用意をして、いかにも事故であるかのように死ぬ。ただし、摩耶、おぼえておいて。その朝食が卵とフライドポテトだったらわたしは事故で死んだんじゃなく、自分で死を選んで死んだの」

 覚えておいて、ともう一度繰り返す詩穂に、わたしはうなずいた。だって、「死なないで」という言葉もとどかないくらい遠くにいる彼女に対して、うなずく以外に何ができただろう?

 警察の到着はまだだったが、詩穂の部屋の前にはすでに人だかりができていた。わたしは彼女たちを押しのけるようにして詩穂の部屋に入る。詩穂のいちばんの友人である、と見做されていたわたしにとって、それはたやすいことだった。

 整然と片付いた詩穂の部屋のテーブルの上、赤と白のランチョンマットに残されていたのは、厚めのハムを挟んだマフィンとグラノーラの入ったヨーグルトだった。朝食は残されている。けれどもそれは、卵とフライドポテトの遺書じゃない。自殺じゃない。詩穂は自殺じゃなかったんだ。安堵の代わりにゆっくりと喪失のかなしみが広がろうとするなか、わたしの後ろで誰かがわっと泣き出した。

 美和だった。美和は顔を両手で覆い、その場にしゃがみこんでしまった。何人かの寮生たちが美和に近づき、彼女の背中をやさしくさする。わたしは茫然とする。美和が突然泣き出した理由が、うたがいもなく瞬時にわかってしまったからだ。つまり? 厚めのハムを挟んだマフィンとグラノーラの入ったヨーグルトは、詩穂の美和宛の「遺書」だったということが。

 わたしの中に、喪失のそれとは違う、焦げつくようなかなしみがやってくる。「覚えておいて」。そう言われたとき、詩穂が死んではいやだという気持ちのほかに、確かにわたしの中で高揚するものがあった。わたしと詩穂しか知らない暗号。すなわち、わたしは詩穂にとって、特別な人間なのだと、特別に愛された――恋愛的な意味では必ずしもなく、人間なのだという思いは、体をあたためながら目を焼く太陽のようなものだった。

 でも違った。詩穂は最後にわたしを選ばなかった。わたしではなくて美和が、詩穂に「特別に愛された」人間だったのだ。

 わたしは泣き崩れる美和に近づくと、ゆっくりと彼女を抱きしめた。精一杯の愛情と、精一杯の悪意をこめて。それは、わたしにとって自分がくずおれないようにするためにわたしができた、そのとき唯一の、おそらく方法だった。

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