【BL】僕らの青

MA

プロローグ 行き場のない青


「出てって。」


 冷えきった声と同時に、クッションが飛んできた。玲央はそれを片手で受け止め、苦笑する。


「待って、話を――」

「ママ活が浮気じゃなくてなんなのよ!考えらんない!」


 ただのママ活だよ――と言いかけた言葉を飲み込む。

 逆上する顔が目に浮かんだからだ。


 ソファに転がるブランドバッグから、玲央の財布が覗いている。

 中身はすっからかん。

 彼女のために用意したワイン代と、“スポンサー”からの小遣いがごちゃ混ぜになって消えていた。


「愛ってお金じゃ買えないんだな……」


 場違いな独り言を呟きながら、追い出されるようにマンションを出る。

 手に持ったブランドバッグは、まるで自分を象徴するように軽かった。


 夜の街、歌舞伎町。

 ネオンは眩しいのに、足元はやけに暗い。


 かつてはその中心で笑っていた。No.1ホストとして名前を呼ばれ、シャンパンタワーの光を浴びて。

 

 窓ガラスに映る自分の姿に目を止める。

 銀の髪を後ろでまとめ、アクセサリーから服までブランドで固めたその容姿は――

 まだ若さを残しながら、どこか寂しげだった。 

 

 玲央は目を逸らし、スマホの画面を開く。

 ソシャゲのガチャを無心にガチャを回す。


「お、SSR。……俺、運だけは持ってんだよなぁ」


 苦笑混じりに呟く声は、夜風にかき消されていった。


 ◇


 翌朝。

 玲央は駅のベンチに座っていた。


 マンションから追い出された後、辿り着いたネカフェで、ふいに母親と祖母の顔が浮かんだ。


 「…久しぶりに帰るか」


 誰に言うでもなく呟いて、新幹線のチケットを取ったのだ。荷物は、ほとんど中身のないブランドバッグひとつ。ポケットにはタバコの箱とライター。


 昨日から、窓に映る自分が他人のように見える。

 整った顔立ち、薄い色の瞳、穏やかな表情。

 ――舞台を降りた役者のように、どこにも熱がなかった。


「退屈だな――」


 ぼそりと呟く。

 ホストを辞めて、長い間支えてくれた姫の家に転がりこんだのも、結局は“飽きた”からだ。

 何をしても長くは続かない。

 

 人に合わせるのは得意だ。笑顔も、嘘も得意なのに。

 ――“自分”なんて、どこにもなかった。


 ◇


 途中で乗り継いだ電車から降りれば、空気が一変した。

 湿った匂い。土と草の混じった懐かしい香り。


「…帰ってきちゃった」


 肩を竦め、実家の前に立つ。

 扉の向こうから漂う出汁の匂い。

 祖母の料理に違いない。


 だが、中から聞こえてきたのは祖母の声だけじゃなかった。

 若い男の声――まだ少年のように澄んだ、あどけない声。


 玲央は眉をひそめ、チャイムも鳴らさずに引き戸を開けた。

 目に飛び込んできたのは、エプロン姿の祖母の姿と、見知らぬ高校生。

 

 一瞬、時が止まる。

 少年は湯呑みを手に、ぽかんとこちらを見ていた。

 玲央は、その驚きを薄い色の瞳でじっと受け止める。


「あの……どちら様ですか?」


 思わずそう言ったのは、少年の方だった。

 玲央は肩を揺らして笑う。


「俺?――そうだな。ただの出張ホスト、ってところかな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る