第一章 ルーシー
「わたしの物語は、あの『トーキョー・クロス』ができあがるまでのお話です。もともとからして現実離れした存在のトーキョー・クロスですけど、わたしのはもっと馬鹿げたお話なんです。まあ、夢……ですし」
ミントジュレップの力を借りて再び話し始めたものの、わたしはそこで言葉を詰まらせてしまった。ぱさらんがどんな反応をするのかが急に怖くなったのだ。
「そう、トーキョー・クロスが……ね。とても興味深いわ。謎をたくさん残したまま、もうすぐ解体されようとしているし、そこに物語があるなら素敵よね。……ううん、物語が必要だわ」
ぱさらんは身を乗り出し、無邪気に目を輝かせた。どうやら本心から興味を持ってくれていることは間違いなさそうだった。それを確認できて、かろうじて話を続けることができた。
「ほんと謎だらけですよね。いちおう定説では巨大な積乱雲による超雷(スーパーボルト)と竜巻や都市環境などの複合作用が生み出した『EMI(Electric Multiple Interaction)』が東京タワーを吹き飛ばして出来上がったということになっているけど、本当のところはよくわかっていないらしいですし」
トーキョー・クロスは今から十年前に起きた謎の現象『EMI』によって生じた巨大なプラズマ竜巻で東京タワーが根こそぎ吹き飛ばされ、東京スペースタワーの上に偶然落下して出来上がったとされていた。
しかしそれほどの大規模な現象だったにもかかわらず、被害は二つのタワーに限られていて、その周辺はほぼ無傷だった。一方で、広範囲に通信網や電子機器が壊滅状態となってしまったため、『EMI』そのものの映像や記録はほとんど残っていない。
今でも時々テレビで使われる映像は、横浜や千葉のお天気カメラなどに写っていた不鮮明なものが二、三種類あるだけだし、それには決定的瞬間と呼べるものは映っていなかった。東京近郊の局地的な気象データも残っていなかったから、なんで東京タワーを吹き飛ばすほどの自然現象が発生したのか、あるいは本当に自然現象だったのかすらもよくわかっていなかった。
テレビでは胡散臭い人たちが「宇宙人の仕業」だとか「米軍の秘密兵器実験」だとか「神の警告」などと好き勝手なことを言っていた。『EMI』と結論づけた科学者でさえも、なんだか強引でうそぶいているように見えた。
ともあれトーキョー・クロスの出現は謎だらけだったけど、その後はただそこにあり続けただけだった。「宇宙人の襲来」や「米軍の秘密文書リーク」や「神罰」が起きることなんてなかった。
そして人々はトーキョー・クロスの存在にあっさりと慣れてしまった。
わたし自身の身に起こったことと言えば、たまたま謎の現象につけられた名前が『EMI』などと自分と同じ名前だったために、ささやかな風評被害を受けていた。たぶんわたし以外の日本全国世界各地のエミも同じ目に遭っていたんじゃないかと思う。
「わたしを『竜巻のエミ』とからかっておいて、怒れば『助けてー、エミに吹き飛ばされる~』って、小学生並みのリアクションをしてくれたバカもいたわね。ホント、あの時のトオルの顔を思い出すと、今でも殴り倒したくなるわ」
わたしは思わずそこで語気を荒げてしまった。ぱさらんはそんなわたしの様子を見逃さなかった。どこか嬉しそうな笑みを浮かべ、かすかに姿勢が前のめりになった。
「トオル君? エミさんの恋人かしら?」
図星だった。だけどわたしは別にたじろがなかった。もとより隠すつもりはなかったし、この夢の重要登場人物であるトオルとの関係に触れないまま、話を先に進めるのは無理だとわかっていた。
「えーっと、トオルとはかれこれ十年以上の付き合いなんですけど、今から話す夢のせいで近頃はギクシャクした関係にこじれてるんです」
わたしは正直に話しつつも、やはりなんだかバツが悪い思いがした。
「ギクシャク……か。そっちの話も聞きたいような気もするけど、また今度にしておくわ」
ぱさらんは微笑んで、現実のトオルとの件は軽く流してくれた。
トオルと知り合ったのは大学に入ってすぐのころ、バイト先のパン屋でのことだった。初めのうちは頻繁にパンを買いに来る常連客という感じだったけど、やがてバイトとして同じパン屋で働くようになった。
後に付き合うようになってから白状させたところ、彼の目的は最初からわたしだった。目当ての女の子を口説くため、パンを買いに通いつめたけど、客ではきっかけが掴めないからバイトに入った、という割とありがちな話だった。
「今思えば可愛いもんですよね」
とわたしは肩をすくめた。ぱさらんは「クスッ」と笑った。そしてカズオさんの方をちらっと見たようにも思えた。彼は厨房の奥で片づけをしていた。――あ、ここではそれが現在進行形なのね?――と一瞬想像するも、それはいったん横に置いて物語の続きを話すことに集中した。
「物語は、彼と付き合いだして一年ほど経った、大学二年の秋から始まります」
その頃のわたしは、大学二年になったばかりの頃に発症した病気のため、半年近く休学していた。入退院を何度か繰り返したのち、お盆を過ぎた時期には症状も落ち着き、自宅療養をしていた。
本来なら京都の実家に帰って療養するところだが、東京で一人暮らしを続けていた。わたしが罹った病気はかなりレアな症例だったらしく、治療できる病院が地元にはなかったのだ。
トオルに関しては、入退院を繰り返していた頃に別れ話を切り出していた。病気で何もできない状態のわたしに付き合わせるのは申し訳ないという思いもあったけど、実際のところは、なにかとエネルギッシュに心配したり一喜一憂するトオルと付き合うことに疲れてしまっていたのだ。
しかし、別れ話を切り出した真意をトオルは見事に誤解し、トオルの愛情が本物かどうかをわたしが試していると思いこんでしまった。
困ったことに彼は「病気だからと言って愛する人を見捨てるような真似は決してしない」と決意し、わたしを愛し守り続けるなどという、ありがた迷惑な誓いを立ててしまったのだった。
わたしは慌てて「トオルの好意が重くて面倒くさい。これ以上構わないでほしい」とも付け加えたのだけど、それすらある種の方便だと曲解してくれた。トオルが別れを受け入れやすいよう気遣って、わざとツレなく振る舞っているのだ、と。
こうなるともうお手上げだった。わたしはトオルの、やたら高カロリーな恋愛エネルギーに対抗するだけの気力も体力も持ち合わせていなかった。
彼はわたしへの愛情が本物であることを主張し、それを行動で示そうと毎日花束を持って病室を訪れ「愛している、何があっても守り続ける」と恥ずかしげもなく毎度毎度言ってのけた。
あの頃はわたしもまだ知らなかったのだ。恋に燃える男子に「わたしはこんな病人になっちゃったんで別れてください」と言ったところで「はいそうですか」と素直に別れてくれるはずがないということを。むしろ「俺が守らなきゃ」などと余計に燃え上がってしまう習性がある生き物なのだということを。
ずいぶん後になってからそのことに気づいたわたしは、最初から「面倒くさくて嫌いになったから」と言えば良かったと、ひどく後悔した。
その後もわたしは、なんとかトオルに諦めさせようと努力を続けた。彼には「友達としてしか付き合えない。友情は受けるけど愛情はお断り」と繰り返し伝えたし、恋愛感情がもう残っていないとも告げた。
しかしトオルは性懲りもなく「愛している、守り続ける」と誓い続け、毎日のようにわたしの病室を訪れた。ほぼストーカーと言ってもよい状況だったけれど、困ったことに彼は、やたらと人当たりが良かったのだ。
病院内のあちこちですっかり顔なじみとなり、病院スタッフのみならず入院患者たちからも「カレシさん」と呼ばれて親しまれる名物男になってしまったのだった。
そんな状態も、お盆過ぎに退院して自宅療養となったことで転機を迎えた。病院と違って自宅はオートロック付マンションの三階にあり、顔を合わせることなくトオルの来訪を遮断することができた。退院して以来、わたしは彼のお見舞いを拒み続け、電話にも出なかった。メールの返事も初めは週に一度、ほんの短い社交辞令的な内容を返していたが、やがてそれも面倒くさくなって受信拒否設定してしまった。
なにしろ本音でトオルが面倒くさかったし、別れたかったのだ。今思うと少しむごいことをしたと思わなくもないけれど、当時はそんな余裕もなかった。
そうやってトオルとは一度も会わず、電話で話すこともないままひと月が過ぎた。わたしの意識からトオルの存在は薄れ、過去の人となっていた。
そして季節は秋になり、体調も順調に回復していた。その頃には自宅近くを散歩できるぐらいにはなっていた。
「ここまでは現実の話。とは言いつつ、この辺りの記憶は夢と現実の境界線が少しあいまいだったりして、自分でも変だと思うことがあります……。でも、とりあえず現実のわたしは、その翌年の春にはぐんぐん回復して、ウソみたいに健康になって今に至ってます。でもそのことにすら、この夢物語が関わっているんじゃないかって感じるほどなんです」
ぱさらんは黙ってゆっくりとうなずき、物語の続きを待った。
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