第10話 革命前夜の決起会
二人は言葉を交わすことはなく、静かにホールを歩いていた。
アビリィはメッセージの存在を知らなかった。俺にしか見ることのできない仕掛けがあったようだ。
地下室にこもっていたせいか、外はすっかり夜になっていた。
アビリィはメッセージについて何も触れなかった。彼女なりの配慮なのだろうか。
黒幕がいる、その言葉が何度も頭をよぎる。
アビリィの発言はアニミスネットワークに検閲されているはずだ。マルクも同様だろう。
黒幕はアニミスネットワーク越しにこちらを監視しているのかもしれない。彼らとの会話は慎重にするべきか。
扉を開けるとシャンデリアのロウソクが柔らかな光を放ち、温かく部屋を照らしていた。
テーブルには色とりどりのごちそうが並び、まるで静かな晩餐会のような雰囲気が漂っている。
黄金色のパイは見ただけで甘さが伝わり、香ばしく焼き上がった七面鳥は、思わずかぶりつきたくなるほどだった。
こんなに豪華なものは簡単には作れないはずだ。
きっと手間暇を掛けて作ったのだろう。
ミカイとマルクは席に着き、待ち侘びている様子だった。
「遅いわよ。ずっと待ってたんだから」
「お嬢様、よくつまみ食いを我慢できましたね」
「私のことを何だと思ってるのよ!」
ミカイとマルクのやり取りに、場の空気が和らいだ。今は深く考えるのはやめておこう。
俺とアビリィが席に着くとマルクは静かにグラスを手に取り、言った。
「僕らは多くの未来を託されました。それは重すぎるかもしれない。でも、僕たちが集まったのは偶然ではないはずです。それぞれが誰かの思いを背負い、未来に向けて選ぼうとしている。そして、目的は一致しました。乾杯しましょう。僕たちの新しい始まりに」
マルクがグラスをあげるとミツハとアビリィもそれに応じ、俺も静かにグラスを持ち上げた。
「乾杯!」
グラスが軽く触れ合い、澄んだ音が響いた。
「では皆さんいただきましょうか」
「いただきます」
その言葉を最後に口にしたのはいつだったかと思い出していた。
パイを口に運ぶと甘さがじんわりと広がる。料理はどれも見事で皆が笑顔で食事を楽しんでいた。
こんなふうに誰かと食卓を囲むのはいつぶりだろう。父がいなくなり、エイイチ達と疎遠になってから、俺はずっと一人だった。広すぎる家に高校生一人。食事はただの作業になっていた。冷えた飯をただ無感情に胃に流し込む日々。
「マルク、あれ取って」
「どうぞ、お嬢様。こちらも僕が作ったんですよ」
アビリィは心配そうに声をかけた。
「ツバサさん、大丈夫ですか?」
気づけば、俺の頬に一筋の涙が伝っていた。
「あれ……おかしいな」
ミカイは俺を見て困惑していた。
「泣くほどおいしかったの?」
「いや……眠りにつく前、大切な人がみんな俺の前から居なくなっちまったからさ。こうして、誰かと食卓を囲むのは何年ぶりだろうって思ってな」
「……そう」
「けど少なくとも三十年ぶりではあるな」
「私も二十年ぶりの食事は最高だったわよ」
自然と笑みが溢れた。心が少し軽くなった。今までは淡々と物事を受け入れていた。そうしないとやっていけなかった。でも、もうその必要はなくなっていくかもしれない。
「ありがとうな。アビリィ、マルクそしてミカイ」
アビリィは誇らしげに答えた。
「当然のことですよ。サポーターアニミスとして」
マルクは微笑みながら言う。
「次はもっと泣ける料理を作りますよ」
俺は疑問を投げかけてみる。
「アビリィ、アニミスが人間になりたいのはなぜなんだ?」
「それは……」
アビリィはマルクと顔を見合わせてから静かに言った。
「家族になりたいからです」
「……そうか、人をアニミスにしたいのもそれが理由か」
「人間をアニミスに?あんた達そうだったの?」
ミカイは驚いた様子で問いかける。アビリィは、ゆっくりと答える
「そうですね。私達はいつだって人間と対等になりたかった。アニミスネットワークからそんな願いも流れ込んできます」
その気持ち、俺も痛いほどわかる。俺はエイイチの背を追いかけ続けてきたから。
マルクは熱意を込めて話す。
「でも、アニミスネットワークはやり方が不器用なんですよ。僕ならもっと誤解を生まない形で伝えたい」
きっと、人々はアニミスに操られることを自らの意思で受け入れている。それはアニミスへの信頼の証なのかもしれない。
「お嬢様、今のは聞かなかったことにできませんか?」
「マルク、勝手に流そうとしないで、ちゃんと説明して」
「わかりました……セピアの投与が義務化されてからアニミスネットワークはセピアを密かに進化をさせ続けていました。現在はヒューマンネットワークの実験的運用段階です。このまま進化すれば、いずれ一般化される可能性もあります」
「人同士で経験を共有されるってこと?気持ち悪い。さっさと辞めさせられないの?」
アビリィは自分の考えを述べる。
「私はいいと思うんですけどね。ツバサさんともっといろんなことを共有したいですし」
マルクも思いを口にした。
「僕は中立的な考えですが、ツバサさんはどう思いますか?」
だいたいの人間は嫌だろう。アニミスの感性ではそうでもないらしい。サポーターアニミスは一人一体、送られるそうだ。現在の人口は人間よりアニミスのほうが多いんじゃないか。多数決で決めるなら、アニミスの意見が優先される時代が来ているのかもしれない。
「俺は反対だ。でもその考えの奴がアニミス社会から排除され、フラットアーサーになっていくんだろうな」
少し沈黙が流れたが、俺は続けた。
「だからこそ、俺たちの手で、どんな価値観も尊重できるような世界に変えていこう。俺たちにはそのチャンスがある。四人で協力して乗り越えよう」
アビリィは嬉しそうに答える。
「そうですね。排除は解決になりませんね。もちろん協力しますよ」
ミカイは少し目を逸らして言う。
「臭いこと言うのね、復讐が終わったら考えてあげないこともないわ」
マルクはそんなミカイを見ながら答える。
「僕はお嬢様のお世話をしなければいけませんので」
顔を見合わせた、俺たちは自然と笑みが溢れた。結束は確かに生まれていた。
俺達はそれから適当な会話をして、気づけばテーブルに並んでいた料理は全て綺麗に平らげられていた。
皆口々に「ごちそうさま」と言った。
食器を片付け、洗い物も終わるとミカイが前に立ち、声を上げた。
「さっそく作戦会議をするわよ、マルク最初のターゲットについて教えなさい」
「はい。最初に捕らえるべきはアケド ユウシでしょう。七曜の創造者たちの一人です。彼はアニミスネットワークの情報操作に長けています。まず相手の情報基盤を潰すのが先決でしょう」
「彼の資料も出しておきますね」
そう言うとアビリィはウィンドウを開く
アケド ユウシ
天才プログラマー。情報オリンピックで世界を驚かせた実力者。彼がアニミスに感情を与えたことで、技術は人格を持ち始めた。感情と論理の狭間で揺れる彼の思想は、今でも多くの者に影響を与えている。
「感情を与えた張本人か」
「アニミスの生みの親なのね」
「私達は彼に敬意を持ちながらも社会の秩序のため、手加減なく捕まえるつもりです」
「どうやって見つけ出すつもりなんだ?」
「それはもちろんあんたの権限よ。あんたの権限なら人の移動履歴がわかるはず。私の権限じゃそれは制限されてたわ」
「それで本人のアバターまで辿っていくってことか」
「アバターを拘束できれば現実世界の現在地を把握できるはずです。現地に向かい身柄を拘束できれば私達の任務は完了ですよ」
「夕食前、私の権限を使って深層ウェブからフラットアーサーの情報を手に入れたのよ」
「深層ウェブって個人情報だろ。いいのか、それ」
「お嬢様、前にも言いましたが、権限を使う際は僕の目の届く範囲でお願いします」
「まあいいじゃない。敵を見つけ出す以外には使わないわよ」
ミカイが指を鳴らすと右手首の時計のようなものから光が溢れ、ウィンドウが現れた。
そこには、どこかのビルの内部構造が映し出されている。
「奴らの一部はチェインシティ南区の一角のビルにいるはずよ。そこに拠点があるみたい。下っ端から順にたどっていけばそいつに必ず辿り着けるはずよ」
「いいですね!情報をインプットしておきます。詳しいことはまた明日話しましょう。もう遅くなりそうですし」
それから、それぞれの風呂の順番を決め、席を立ち、部屋を後にした。
廊下の灯りは控えめで、足音だけが静かになっている。
アビリィが振り返り、優しく微笑んだ。
「ゆっくり休んでくださいね」
その言葉を残し彼女は静かに部屋へと入っていった。
俺は自室のベットに身を沈め、天井を見つ
めながら今日の出来事を思い返していた。
俺の目的は、黒幕の正体を突き止めることになりそうだ。そのためには、フラットアーサーと対峙し、対話を重ね、情報を引き出す必要がある。
アビリィやマルクは黒幕と繋がっているのだろうか。それは違う。彼らが争いを望むはずはない。だが、操られている可能性は否定できない。
ミカイはマルクを通してアニミスネットワークにうまく使われているようにも見える。
それでも、彼女にとって復讐が果たせるなら、それでいいのかもしれない。
エイイチに「助けになってやってくれ」と言われた言葉が今でも胸に残っている。
少しは寄り添ってやろう。
黒幕はアニミスネットワークの中枢にいると考えるのが自然だ。
七曜の創造者達、彼らは何か知っているはずだ。
その真実に辿り着くため、俺たちは動き出さなくてはならない。
今夜、俺たち四人の間には確かな結束が生まれた。
それは脆くも、温かく、確かに灯った火だった。
これから先、厳しい局面が待ち受けるだろう。だが、俺たちなら乗り越えられる。そう願って眠りについた。
静かな夜がゆっくりと更けていく。
俺たちの物語は今始まった。
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