母娘の喧嘩
真紀は驚いて、母の顔を伺う。すると、母は眉をしかめて、苦々しい声を出した。
「私、こういうの見たくない。はっきり言って、すごく不快。」
真紀は再度、驚いた。真紀には、何が不快なのか全くわからなかったからだ。
「何が不快なの?」
「だって、これ、この女の人がおばあさんを撮ってるんでしょ?この人は認知症で、自分で物事を判断できないじゃん。なのに、それを勝手に撮って、不特定多数に向けて公開してるなんて信じられない。私がもしこのおばあさんだったら、絶対にそんなの嫌だ。わざわざ世間に見せるものじゃないよね?」
真紀は母の意見に疑問を持った。
「認知症の人は、必ずしもすべての場合において、自分で物事を判断できないの?自我のない廃人なの?」
「知らない。でも、この人はもう惚けちゃってて、よくわかんないまま承諾しちゃったんじゃないの?この年代の人で、もし自己判断能力がある人だったら、絶対に自分が認知症であることを隠したがると思う。だから、これはこの女の人がおばあさんを悪用してるんだよ。金稼ぎか、同情を引くためか……。もしくは、介護してる自分に酔ってるのかもしれない。私っていい人でしょ、みたいな。」
「この年代の人なら隠したがるはず、って……。それはお母さんの決めつけじゃん。この年代の人でも、実際、認知症であることを隠さず、テレビの健康番組やドキュメンタリーに出る人もいるよ。人の考えは千差万別だから、世代によってその人の行動を固定化することは良くない。その女の人においても、同様だよ。」
「いや、でも、私は嫌。こんなの見世物じゃん。こんなの世間に見せて、なんかいいことあるの。録画したいなら一人で勝手にやってればいいのであって、不特定多数にわざわざ見せるものではない。」
そこで、真紀はそのチャンネルの概要欄を見せて、読み上げた。
「これ見てよ。この概要欄には、『認知症という状態を少しでも明るく受け入れるために、家族でこのチャンネルを始めました。お義母さん本人や、他の家族・親族にも承諾を得て、慎重に動画を作成&アップロードしています。また、コメントの皆様、認知症介護のアドバイスありがとうございます。私たち家族も、介護の不安があったので大変助かりました。私たちと同じく介護をされている方も、このチャンネルを見て、少しでも不安や孤独を和らげていただければ幸いです。今後も何卒、私たち家族をよろしくお願い申し上げます。』って書いてあるよ。このおばあさんも動画のことは承諾しているし、こういう動画を公開することによって、介護者の助けにもなってるよ。」
しかし母は、相変わらず苦々しい顔をしている。
「そんな、なんでその言葉がすべて真実だって言えるの?その人が嘘吐いてるかもしれないじゃん。だって、動画に映してないところで、おばあさんを虐待しているかもしれないよ?それに、認知症のおばあさんの判断力を信じてもいいの?おばあさんは、判断できてるつもりになってるだけじゃないの?こんなの、おばあさんが可哀想だよ。」
今後は真紀が不快になった。
「確かに、この言葉が真実である証明はできない。でも、それを言ったら、この言葉が嘘であることも証明できないじゃん。それにさ、さっきからお母さんは『おばあさんが可哀想だ』って言ってるけど、そもそも認知症であることってそんなに悲惨でタブーな状態なの?『世間に見せる必要はない』って言うけど、それを言ったら、あらゆる病的状態を世間に見せてはいけないって話になっていくじゃん。普通の状態以外は全部、世間に見せちゃいけないの?認知症だけじゃなくて、じゃあ例えば精神病とかも、世間に見せちゃいけないってこと?世間に見せちゃいけないってことは、患者が自己判断して、相手に病気であることを打ち明けたり、障碍者雇用で働いたり、あるいは健常者が、病的状態について解説をするテレビ番組を放送したり、医学書や一般人向けの解説書を読んだり、闘病をテーマにした映画を見たり、そういうのも全部、だめなの?隠すのがいいの?見ないのがいいの?隔離して幽閉してなるべく人様の目に触れないようにすることが、患者のためなの?ひいては、それが世間のためになるの?」
そう言うと、母は少し怒気を含んだ声を上げた。
「それはさ、論理が飛躍しすぎてるじゃん。そういうことじゃなくて、病気を見せびらかしているように見えることが問題なの。だって、病気だからなんなのって話じゃん。病気であることをわざわざ強調して動画を公開する必要はないはずでしょ。病名を利用するのは、集客のためのマーケティングに決まってる。」
真紀の声も、怒気を含んだ。
「いや、そもそもそういう発想になるってことは、少なくともお母さんの中に『病気という状態はタブーである』っていう偏見があるわけじゃん。だからこそ、お母さんは病気という状態が群衆の野次馬心に火を付けられると思ってるんだよね。確かに、そういう野次馬心で覗きに来る人もいると思うよ。でもさ、全員が全員そうだと思う?少なくとも私は、『うわー、可哀想。こんな状態になるくらいなら死ねばいいのに。』とか『哀れだなー。このばあさんも介護者も。』とか、『私はこんなひどい目に合わなくてよかった。』とか、そういうことは思わなかった。だから、お母さんが最初、何に不快を感じたのかもわからなかった。集客のためって、そんな、そんなこと——。」
真紀は言葉に詰まってしまった。そうかもしれない、と思ったからだ。私がこの動画を何となくタップしたのも、本当は何となくじゃなくて、野次馬心だったのではないか?「認知症」というワードが、強烈だったから、スワイプする指を止めてしまったのではないか?いや、でも、たとえきっかけがそういう醜い理由だったとしても、結局は認知症についての理解が深まったのだから、良いのではないか?実際、認知症を醜いと思ったり、嘲笑ったり、そういう感情は起こらなかった。ただ、じっと、真剣に眺めた。そして、知らなかったことを知った気になって、興奮してしまって、その勢いで母に動画を見せに行った。動画の中のおばあさんと女の人の関係は、良好そうに見えた。でもそれは私の願望であって、本当はそうじゃないのかもしれない。「そうであってほしい」から、私が「そのように」動画を解釈してしまったのかもしれない。真紀は泣きそうになった。言い負かされて悔しいのか、偽善者ぶって理想を語るくせに本性は醜く、野次馬根性に溢れた自分が情けないのか、偏見は良くないと言いながら自分もまた偏見を持っていたのが許せないのか、母なんかに動画を見せなければよかったと後悔しているのか、母の意見がある部分において優等生すぎるのがむかつくのか、よくわからなかった。というか、よくよく思い返せば、私の意見と母の意見がいつの間にか逆転しているような気もする。母に上手いことしてやられたことがむかつくような、話を有耶無耶にされたような、結局中身なんて議論せずに討論の勝ち負けしか気にしていないのが気持ち悪いような、とにかくもう、色んな事が一気に押し寄せてきて頭が混乱してしまった。
「じゃあ、もう、いいし。もしお母さんが認知症になったら、私、お母さんのこと家に閉じ込めるから。お母さんには、何も選ばせてあげない。何も判断させてあげない。お母さんの幸福は私が全部決めて、お母さんはその中で廃人になって、幸せに死ねばいいじゃん。」
すると、母は激昂した。
「だから、そういうことを言ってるんじゃない!」
真紀は負け惜しみのように笑いながら、強がって言った。
「なに?自分のことになったら、そんなに必死に怒るんだ。自分勝手で素敵だね。」
認知症老人動画化問題 有馬莉亜 @ryokutya5959
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