第十六章

 ダイニングバー・グリルは名前の通りグリル専門の焼き肉店だ。鉄板の上で豪快に焼く様子をカウンターテーブルで楽しんで頂く事を前提としているから、渋谷では大きめの店舗でふたつのカウンターテーブルは6人掛け、カウンターでは肉を焼き、奥の厨房ではサラダやデザートを調理する。いわゆるセントラルキッチンだ。セントラルキッチンとは調理の効率化を図ったキッチンの事で、カウンターキッチンのように専門性の高いキッチンとは別により多様な料理に特化したキッチンだ。ブロック肉を切ってカウンターキッチンに送ったり、デザートやサラダを作ったりする。蕎麦メニューもあり、和食面でもご飯もある。叶が働いているのはセントラルキッチンだ。主役を張るのはカウンターキッチンで、料理に特化したベテランが立てる表舞台で、セントラルはヒロインのようなポジションだ。それは店長シェフに教わった。料理に裏方役は存在しない。すべての料理には与えられた役があり、それはキッチンも同じだ。裏方という概念は捨てろ。それが店長シェフの教えだった。

 「おい、ジェラートまだか」

 「今、出来ました」

 「早くウエイターに送れ、客待たせるな!」

 「新入り、それ終わったら皿洗いだ、急げ」

 「はい」

 時給は1200円、時給換算ではこの国では高い方に入るが18時半から22時の思ったような収入にはならないけど、それでもクリスマスまでにはそこそこのモノが贈れそうだと叶は思った。仕事も嫌いじゃないし、学業との両立の面ではこの仕事は良い。週二回勤務だし、平日メインのシフトなのは「彼女居るのならデートしろ」って事らしい。本当はメンズ同士なのは流石に言えなかったが、言う事もないかと思った。

 「一ノ瀬、お前カウンターの客にこれ持っていけ」

 「え」

 苗字を言われた。一ノ瀬叶が俺のフルネームだ。

 その料理はお肉に、ほうれん草胡麻和えソースをまぶしたものだ。ちなみに食べ放題コースなので次々出るのがこの忙しさだ。値段設定が明確な分、しっかりと楽しめる。飲み放題プランもあり、お酒も別料金だがある。そっちの方はウェイターに任せてある。だから彼も大忙しだ。だからなのだろうかこれを任されたのは。しかし、シェフ姿のままというのもおかしい気がする。

 Ⅽ3。カウンター席3番という事だ。そこには帽子をかぶった1人のお客がいた。地味目だが白シャツに黒ジャケットを着ているものの、女性客らしい。身体が華奢だ。

 「お待たせしました」

 そう言って顔を見ると、そこには悠がいた。

 「来ちゃった」

 「来ちゃったってお前……」

 「ついね、叶が渋谷で頑張っているのって僕がアイドル始めたからでしょ? 心配してくれたんだと思ってるよ。 でも、僕も叶が心配で来ちゃった」

 「子供じゃないんだから大丈夫だよ」

 「うん、知ってる。それでも、やっぱり心配だよ」

 「……なんか、ありがとうな」

 そう言って叶はテーブルにステーキを置いた。

 「長崎県産黒毛和牛A5ランクステーキ、ほうれん草胡麻和えでございます」

 「ありがとう」

 数口サイズだが立派なステーキだ。このほかにも蕎麦含めて色々と楽しめるからこの店は予約でいっぱいだ。

 悠はステーキをひと口食べる。

 「おいしい」

 「ありがとう」

 そう言ってふたりは笑顔になった。



  週刊誌って残酷だ。

 人気アイドルのスクープばっかりを追っていてアイドルの人権なんて気にしていない。

 そこにはモザイク処理はしてあるものの悠と叶がタクシーに乗る姿が映されていた。記事には人気アイドルが彼氏とダイニングバーデートと書いてあった。その記事はA4用紙のファックスで送られたものだ。週刊誌が匿名で撮ったもののタレコミってことだ。送ったのはこの記事を書いた記者だろう。適当な取材で何が記者だと思う。

 「まいったな」

 社長とマネージャーはそう呟く。

 泣きそうな悠はどうすればいいか分からなくなった。

 「悠、大丈夫だからね」

 そうマネージャーが慰める。

 「でも、どうすればいいか」

 「簡単よ、ね、社長」

 「ああ、悠、相手は金銭を要求して記事の発行を止める事ができると伝えてきた。これは立派な脅迫罪だ。だから弁護士と警察を交えて不当要求の停止と記事の公開停止、そして名誉棄損で週間〇〇を提訴する」

 「え、でもそれじゃ」

 「アイドル事務所ってのは週刊誌といつも訴訟問題で争っているんだ。金なんて出したら負けだ。徹底的に叩き潰す!」

 「賠償金いくらにします?」

 ちなみに名誉棄損の賠償金はいくらでも決められる。

 「売り出してるアイドルだからね、1億は貰わないとねぇ」

 そう社長とマネージャーは悪魔のような笑みを浮かべた。

 「1億………」

 桁が大きすぎて現実感がない。

 「悠、これは君の彼氏を守る喧嘩である。それに君たちの育成に1億じゃ足りないくらいの投資がもうしてある。君はうちの大事なアイドルだ。それを傷つけられたらしりの毛もろともむしり取ってやる」

 「社長……」

 竜胆社長は32の若い社長だが力強い言葉に少し安心した。



 『ごめんな、俺のせいで』

 「叶のせいじゃないよ。僕がうかつだった」

 『裁判なるのか?』

 「脅迫罪と合わせて争うみたい」

 『大変だな、俺も出るのか』

 「叶は弁護士事務所に証書取ってもらうことになるみたい、今回の件は叶は部外者でも被害者だから」

 『そっか』

 「社長が付き添ってくれるって、土曜日か日曜日がいいよね」

 『ああ、日曜日が一番いいかな』

 「わかった。社長に伝えとく」

 『ああ、良い社長だな竜胆さんて』

 「うん」

 叶に電話した。事の経緯の話しの他に叶に謝りたかったし、叶の声が聞きたかった。

 「叶、ありがとう。そして巻き込んでごめんね」

 『巻き込まれたなんて思ってないよ。一番大変なのは悠だ。手伝えることは全部やる』

 「ありがとう、大好きだよ」

 『俺も大好きだ』

 会いたい………。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る