第15話

 真っ赤な目を中心にだんだんと人型の影が出来ていく。豪雨が窓を叩きつける中、茉央とレオンは身動きが取れない。


 形が出来た時、札が大量に貼られたナニカが生まれた。札の隙間から覗き込む瞳は、茉央を捉え、楽しげに歪ませている。


 禍々しい存在が先程の神様だと脳が静かに告げる時、茉央の頬に一筋の汗が流れた。


「茉央、コッチへ来い」


 黒い手は子どもを招き入れるような仕草をして、しゃがれた声で茉央に呼びかける。


 視点が合っていない茉央は、ふらつきながら立ち上がると、神の元へと歩き出そうとした。


「先輩ッ! 行っちゃダメです!」


 レオンが咄嗟に茉央の右手を掴んで、動きを制御しようとする。


 温もりもなく、女性の力だとは思えない強さに引きずられそうになり、咄嗟に近くにある机を掴む。だが、茉央はそれすらも気にした様子がなかった。


「──茉央」


 微かにしか残っていない愛しい人の声。後光が差しているせいで、顔は見えていない。しかし、嗅ぎ慣れていたシトラスの香りが思い出させる。


「陸が、呼んでいる」


 悲しげに響いた茉央の声。その名前を聞いた時、レオンの心の奥に鋭い痛みが生じる。それをぶつけるように神に対して睨みつけ、声を荒げた。


「そんな事をしてまで、嫁が欲しいのですか!」


 人の心を踏み躙る神への怒りは、雷鳴と共鳴する。


 黒い手が茉央に触れようとした時、レオンは胸ポケットに手を突っ込み力任せに投げつけた。


「 」


「な、なに?」


 神に当たった時、喉の奥から締め付けられ、言葉にもならない悲鳴が響く。



 神の力から解放された茉央は、自我を取り戻し狼狽えた。レオンは自分の元へと茉央を抱き寄せると、守る為に距離を更に取る。


「ユ、るさナイ。許さない。許さない。許さない……」


 グチュリと肉が腐敗した臭いを漂わせ、神は呪うようにレオンに指差す。茉央を強く抱きしめながら、彼は言い返した。


「許さないのはこっちの台詞です。神だというならば、人から奪う事ではなく、与える事を覚えたらどうですか」


「オ……まえヲ……ノろって……ヤル」


 最後まで睨みつけていた目は血のように広がって、カーペットにじっとりと温かい赤黒いシミを残す。


 何度か点滅を繰り返したのちに、部屋は明かりがついた。何事もなかったように、周りに音が戻ってきた時、茉央は声をあげて泣く。


「ありがとう。ありがとうレオンくんっ!」


 一人だったならば、確実に攫われていた。レオンの勇気が自分を救ってくれたのだと思うと、感謝してもしきれない。


「……いえ、自分は何もしていませんよ。ただ父がくれたお守りを投げただけです」


 汚れたカーペットの上には、黒ずんだ青いお守りが残されていた。


「そんな事ないよ。レオンくんは私を助けてくれたよ」


「先輩を守りたい気持ちだけはありましたので」


茉央の素直な言葉に、レオンは視線を天井に向けて顔を見せないようにする。それがおかしくて茉央が笑うと、人の温もりが空気を包んだ。


 止まらない涙を左指で拭おうとした時、茉央は見えてしまった。


「……な、なんでまだ“刺青“があるの?」


 目の前で神は溶けたはずなのに、アブラギリの刺青は濃く刻まれている。


 まだ生きている。その事実が不安の波が茉央の心に押し寄せた。


「大丈夫です。アレが何度来たって、今回みたい自分が守りますから」


 当たり前のように言ってくれるレオンの言葉に、茉央の心臓は跳ねる。


 妙な沈黙の後に、茉央はレオンの胸を強く叩いた。


「そういうセリフはちゃんと目を見て言ってよね! 頼りにしているのだから」


 楽しげに笑いながら茉央に言われると、レオンもつられて笑うが、少しだけ頬がピンクに染まる。


 これから何があっても大丈夫だと、その時の二人は信じていた。


 ──あの日が訪れるまでは。

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