神鳴夜水と蒼の機兵
@aranami_hikari
第1話 蒼い心拍
私の中には、"何か"がいる。
三年前の事故。
父が死んで、私は生き残った。
その代償に――私の霊力は、電気になった。
そして、私の中に"何か"が入り込んだ。
レヴナント。
私だけが操れる、蒼い機体。
その機体は、私の心拍に合わせて動く。
まるで、もう一人の私がいるみたいに。
夜の街を、蒼い光が裂いた。
雷鳴が追いかけ、瓦礫が雨のように降る。コックピットの中、私は息を詰めてモニターを見つめた。画面に走る青白い残光が、暗闇に溶けていく。
怪異が現れて、二十年が経つ。
霊的な脅威は、もはや日常の一部になった。街を守るのは、機兵と霊能者。そして――私のような、イレギュラー。
神鳴夜水(かみなり・よみ)。
霊力を電気に変換できる、ただ一人のパイロット。
レヴナントと呼ばれる機体と共に、夜の街を守る。
「夜水、左後方、五メートル!」
蒼真先輩の声が響く。いつもより少し、焦っている。
「了解」
短く答えて、スラスターを吹かした。レヴナントの脚部が地面を蹴る。瞬間、機体が闇を切り裂いて飛ぶ。右腕のエミッターから、霊力が青白い刃を描き出した。
視界の端で、黒い怪異が蠢く。
その胸を、私はためらいなく貫いた。
音もなく、影が弾ける。散った霧の粒が、夜の街で光って消えた。
『撃破確認。三体目だな』
「問題ありません。霊力残量――三十二パーセント」
視界の端で、灰色の機影が動いている。
誰かが中型怪異を牽制しているようだが、今はそれどころじゃない。
口では冷静に報告しながら、胸の奥が熱を持っていた。体の奥を、電流のような何かが駆け抜ける。
レヴの霊力回路。
私の霊力が、電気になって機体を動かしている。自分の心臓が、エンジンみたいに脈打ってる。
HUDの隅がふっと光った。
優しく、瞬くように。まるで、息をするように。
「ありがとう、レヴ」
小さくつぶやくと、HUDがもう一度、短く点滅した。その光は、私だけが理解できる"返事"だった。
『夜水、俺が牽制する! 霊装弾、残り三発!』
蒼真先輩の機体から、青白い弾丸が放たれた。
霊装弾――霊能者が霊力を込めて作る特別な弾薬。高価で数が少ない。小型怪異なら致命傷を与えられるが、大型には動きを鈍らせる程度。だから、私が必要とされる。
弾丸が怪異の装甲に命中した瞬間、黒い霧が爆ぜて動きが止まる。ほんの一瞬だけ。
「今です」
私はその隙を逃さない。スラスターを全開。レヴナントが疾駆し、蒼光の刃が怪異の胸を貫く。電撃が走り、闇が焼けて消えた。
沈黙のあと、通信越しに蒼真先輩が息をつく音が聞こえた。
『ナイスだ、夜水。撃破確認』
「お疲れさまです、先輩」
『まだ終わってねぇ。残り二体、北区側に反応あり』
「よみちゃん! 霊力の波形が乱れてる!」
陽菜の声が入る。焦ったように高くて、でも、あたたかい。
「無茶したらだめだよ! もう、出力落として!」
「あと二体。終わらせる」
「よみちゃんっ!」
心配してくれるのはわかる。けど、今は止まれない。誰かが倒れたら、そのぶん私が動かなきゃ。
スラスターを再点火。ビルの屋上を滑るように駆け抜ける。空気が熱を帯び、視界の端で世界が滲んだ。
霊力が体の中で暴れている――命を削る音が、内側で鳴っていた。
『夜水、撤退だ。命令だぞ!』
「まだ動けます」
『お前はいつもそう言う!』
蒼真先輩の怒鳴り声。通信のノイズ越しでも、ちゃんと心配してくれてるのが分かる。でも、あの人の言う「限界」と、私の「限界」は違う。
私には、レヴがいるから。
「レヴ、あと少しだけ」
応えるように、HUDが光った。その光を見つめながら、息を整える。
目の前、瓦礫の影の奥――異様に大きな気配があった。
八メートル級。リーパー級の怪異。真っ黒な外殻、青白く脈打つ光。獣のような顔が、確かに"こっち"を見ていた。
「大型。霊的波長、安定してません」
『夜水、下がれ! 今の出力じゃ無理だ!』
そんなこと、わかってる。でも――もう、誰も傷つけたくない。
「行くよ、レヴ」
私が言うと、機体がわずかに前傾した。それだけで、息が合う。蒼い光がほとばしり、周囲の瓦礫が風で吹き飛ぶ。
瞬間、世界が青白く弾けた。
レヴの刃が、怪異をまっすぐ斬り裂く。爆ぜるような光の奔流。視界の奥で影が霧散する。
勝った。
けれど、手が震える。
《警告:霊力残量15% パイロット生命反応 低下中》
知ってるよ。胸が焼けるように痛い。心臓の奥まで、電気が走ってる。
『夜水! やめろ、すぐに帰還しろ!』
「了解」
静かに答えて、機体を旋回させた。蒼い光がゆっくりと収まっていく。それを見ながら、私はぽつりとつぶやいた。
「疲れたね、レヴ」
HUDが、一度だけやさしく光る。それは"うん"と答えてくれたみたいで――私は少しだけ、笑った。
◆
翌朝。
目を覚ました瞬間、全身が鉛のように重かった。霊力の残滓がまだ抜けきっていない。呼吸をするたびに、体の奥が少しだけ痛む。
昨日は、ちょっとやりすぎた。
天井の染みを見上げながら、自分に言い聞かせる。それでも、布団から出る。
ここは防衛省管轄の宿舎。十畳ほどの個室。必要最低限の家具だけ。
窓の外には、訓練施設の建物が見える。普通の高校生なら見ない景色。
――でも、私は三年前からずっと、ここにいる。
制服に袖を通すと、傷のあたりが少し引きつった。左腕の手術痕――三年前の事故の痕。神経接続端子の痕。
顔を洗って、鏡を見る。
鏡の中に、黒髪の少女がいた。
肩よりも長い髪はまっすぐで、光の角度によっては淡い青を帯びる。
細い体つきに、制服の袖が少し余る。
病室で過ごした時間のせいか、肌は透けるように白い。
自分でも、少し“現実感がない”と思う。
頬は少し青ざめていて、目の下にはうっすらとクマ。それでも、表情を作る練習をする。
大丈夫。普通の顔。普通の高校生。
――嘘だけど。
基地の食堂で朝食を取る。
トレイに載せたトーストとスープ。周りには、早朝訓練を終えた隊員たちが座っている。
みんな、私を見ても何も言わない。
それが、この場所のルール。
「おはよう、夜水」
蒼真先輩が隣に座る。同じくトーストとコーヒー。
「おはようございます」
「昨日の戦闘記録、見た。無茶しすぎだ」
「すみません」
「謝るな。お前のせいじゃない」
先輩がコーヒーを飲む。
「ただ――お前が倒れたら、俺たちも困る」
その言葉が、温かくて。
でも、重くもあった。
防衛省から学校までは、専用の車で送迎される。
窓の外に、普通の街並みが流れていく。
通勤する人たち。笑いながら歩く学生たち。コンビニで買い物をする主婦たち。
みんな、平和な朝を生きている。
昨夜、私が戦った場所も――もう、何事もなかったかのように。
校門をくぐる。
すれ違う生徒が、私を見る。
でも、誰も声をかけてこない。
廊下を歩く。
視線が、刺さる。
教室に入る。
一瞬、会話が止まった。
そして――すぐに再開される。
でも、私のことは話題にしない。
見えない壁が、そこにあった。
私の席は、窓際の一番後ろ。
鞄を置いて、座る。
隣の席は、空席。
ずっと、空席のまま。
――三年前から、私はこの教室に"部分的"にしかいない。週に二、三日だけ。それ以外は、基地で訓練と待機。だから、誰とも深い関係を築けなかった。
陽菜だけが例外だ。あの子は、三年前に私が目を覚ました時から、ずっとそばにいてくれた。
三時間目の授業中。
窓際の席で、私は数学の問題を解いていた。けれど、文字が頭に入ってこない。昨夜の戦闘が、まだ体に残っている。
ふと、クラスメイトの視線を感じた。何人かが、こちらを見ている。囁き声が聞こえる。
「神鳴さん、また顔色悪いね」
「体、大丈夫なのかな」
「なんか、いつも疲れてるよね」
私は聞こえないフリをする。慣れた。もう、気にならない。
嘘だけど。
チャイムが鳴る。私は教室を出て、屋上へ向かった。
風が涼しくて、空がやけに青い。
私はいつものように、コンビニおにぎりを開けた。ツナマヨ。もう少し違う味にすればよかったと思う。
「よみちゃーん!」
聞き慣れた声。陽菜だ。
風に揺れる栗色のショートヘア。
丸い頬が少し紅潮していて、笑うとえくぼができる。
ぽっちゃりとした体型のせいか、彼女が近づくといつも少しあたたかい空気が流れる。
その存在が、冬の日の陽だまりみたいだった。
両手いっぱいに弁当箱を持って、ドアを蹴るように開けてくる。
「またコンビニごはん? だめだよ、栄養取らなきゃ」
「ありがとう。でも、これで十分だから」
「だめ。はい、あーん!」
「ひ、陽菜」
「いいの。昨日の任務、聞いたよ? もう、無茶ばっかり!」
陽菜は怒っているけど、声の奥に優しさがある。差し出された卵焼きは、少し甘くて温かかった。その味に、少しだけ涙腺が緩む。
「おいしい」
「でしょ? お母さん直伝だもん」
陽菜が得意げに笑う。私は小さくうなずいた。この人の笑顔は、本当に光みたいだ。
――陽菜は、三年前に私を助けてくれた人。霊波安定士として、昏睡状態だった私の霊力を鎮めてくれた。それから、ずっと友達でいてくれている。
「ねえ、よみちゃん」
「なに?」
「最近、寝てる?」
陽菜の声が、いつもより真剣だった。私は少しだけ視線を逸らす。
「寝てるよ」
「嘘。目の下、クマできてるもん」
ばれてた。陽菜は、いつも私の些細な変化に気づく。それが嬉しくて、でも少し苦しい。
「心配、してるんだよ?」
「ありがとう」
「ありがとうじゃなくて」
陽菜が言葉を探している。その間に、私は小さく微笑んだ。
「大丈夫。陽菜がいるから」
「よみちゃん」
陽菜の目が、少し潤んだ気がした。でも、すぐに笑顔に戻る。その笑顔に、私は救われている。
「やっぱりここか」
屋上のドアが開いて、蒼真先輩が入ってくる。
黒のジャケットを無造作に羽織り、無精髭がうっすらと伸びている。
ぼさぼさの髪に隠れた瞳は鋭いが、その奥に疲れが滲んでいた。
戦場帰りの大人――そんな印象だった。
寝不足の顔。でも、その瞳だけは鋭くて、昨夜の戦場と同じ光をしていた。
「霊装弾、また予算削られたらしい」
そう言って、手にしていた紙コップのコーヒーをひと口。ため息が、風に混じって消える。
「俺たちの量産機じゃ、夜水みたいに戦えない。霊装弾がなきゃ、時間稼ぎすらできないのに」
「すみません」
「謝るな。お前のせいじゃない。ただ――もっと、霊弾があれば、な」
その沈黙を破るように、陽菜が両手を広げる。
「戦闘の話はお昼に禁止! せっかくのお弁当がまずくなるよ!」
「ああ、悪い」
先輩は少しだけ笑って、頭をかいた。
その時、階段の上から小さな足音。白髪の少年――巧が顔を出した。
白い髪が蛍光灯の光を反射して、金属みたいに光った。
細い指先がタブレットを滑るたび、無表情の横顔が少しだけ影を帯びる。
感情より、計算で動くような少年だった。
首にヘッドフォンをかけたまま、無言でタブレットを操作している。
「補給報告、届きました。霊装弾、次の作戦分は三十発です」
「また減ったのか」
「はい。熟練霊能者の生産ラインが追いついていません。今のペースでは、補給が途絶するのも時間の問題です」
淡々と話す巧。けれどその声の奥に、焦りがあるのを私は知っていた。
「霊装弾の効果は、込められた霊力濃度に依存します。現状の技術では、熟練の霊能者が一発ずつ手作業。陽菜さんのような霊波安定士は戦場支援に不可欠で、製造には回せません。量産機百機分の霊装弾を用意するより、夜水さん一人が戦う方が――」
「巧、やめろ」
蒼真先輩の声が、低く遮った。屋上の空気が一瞬で冷たくなる。
「すみません。でも、事実です」
「事実でも、言っていいことと悪いことがある」
「了解です」
陽菜が小さく息をのむ。私は、何も言えなかった。
自分が"効率的な兵器"みたいに扱われている。わかってる。それでも、そう言われるのは――痛い。
レヴは私を動かす。でも、私を壊すのも、きっとレヴなんだろう。
◆
放課後。
夕暮れの教室。窓際の席に座って、夕陽を眺める。外の空に、薄く漂う雲。あの向こうに、昨日の戦場がある。
机の上で手を握る。まだ、指先にわずかに電流が走る。霊力が、完全には戻っていない証拠。
「少し、痛いな」
でも、私は立ち上がる。痛みも、熱も、戦う理由の一部。それを抱えたまま――前に進む。
廊下を歩いていると、端末が震えた。
防衛省からの緊急召集。
《異常波動検出:第三区南端。出撃要請》
画面を見つめる。
また、来たんだ。
校舎を出て、迎えの車に乗り込む。
窓の外で、普通の高校生たちが笑いながら下校していく。
私は、あの輪の中に完全には入れない。週に数回しか来ない"幽霊生徒"。でも、それでいい。私には、守るべきものがある。
司令室の灯りが眩しい。
蒼真先輩と陽菜、巧、いつもの顔が揃っている。スクリーンには、街の夜景に紛れた巨大な影。まるで夜そのものが動いているみたいだった。
司令室の奥から、重厚な声が響いた。
「神鳴、来たか」
柊隊長だ。三十代後半、がっしりした体格。左目の下に、古い傷跡。
この人は――三年前、私を救った人。
父が死んで、私が瀕死になった時、違法な神経接続手術を決断して、レヴナントと私を繋いでくれた。
その詳細は、つい最近まで知らなかった。でも今は、知っている。この人が背負った罪も、覚悟も。
「はい」
「体調は?」
「問題ありません」
「嘘をつくな」
隊長の目が、私を見抜く。私は視線を落とした。
「でも、戦えます」
「そうか」
隊長は深く息を吐いた。
「無茶をするな。それが命令だ」
「了解です」
「本当に聞いてるのか?」
「聞いてます」
隊長は、小さく笑った。その顔は、いつも少し悲しそうだ。
「行ってこい。お前たちを信じる」
「大型反応、リーパー級を超えてます」
巧の声が震えていた。
「霊波解析値、通常個体の四倍。"上位種"の可能性があります」
「上位種?」
陽菜が息をのむ。
「そんなの、まだ記録にも!」
蒼真先輩がヘッドセットを掴む。
「出撃だ。俺と夜水で前衛、陽菜と巧は後方支援だ」
「了解です」
声に迷いはなかった。恐怖も、痛みも、もう馴染んでしまった。レヴが待っている。それだけで、心臓の鼓動が落ち着いていく。
◆
夜の風が頬を切る。
格納庫から射出された瞬間、全身の血が熱を帯びた。霊力が流れ始める。機体と私の境界が、曖昧になっていく。
「夜水、聞こえるか」
「はい、先輩」
「お前は後方で援護しろ。今回は規格外だ」
「了解。でも、チャンスがあれば前に出ます」
「だろうな。お前は、そういう奴だ」
通信の向こうで、先輩が苦笑した気がした。
その一瞬の静けさを破るように、地面が爆ぜた。黒い霧が吹き荒れ、空気そのものが悲鳴を上げる。
リーパー級を越える巨影が、廃ビルの向こうに姿を現した。
十メートルを超える巨体。四本の腕。頭部には、複数の発光器官。それが――こちらを"見ていた"。
ただの怪異じゃない。これは、"意思"を持っている。
怪異の咆哮が、鼓膜を貫いた。空気が震え、ビルのガラスが次々に砕け散る。震動が脚の裏から伝わってくる。
この圧、普通の怪異じゃない。
「レヴ、出力最大まで上げる」
HUDが一度、短く明滅する。霊力回路が開放され、背中のスラスターが蒼白く光った。神経の奥まで電流が走り、視界が青に染まる。
体のどこまでが自分で、どこからがレヴなのか、もう分からない。
「行くよ」
スラスター全開。衝撃波と共に地面を蹴る。視界の中心で怪異が身を翻し、腕のような触手を振り上げた。その一撃が地面を抉り、アスファルトが粉砕される。
「速い!」
すれすれで回避。反転しながら右腕のエミッターを展開。蒼い刃が閃き、怪異の表層を裂く。だが――傷は浅い。
『夜水、下がれ! 装甲に通ってねえ!』
「了解。でも、行けます!」
レヴが震えた。内部回路から警告音が鳴り続ける。けれど、止まる気はなかった。
陽菜の声が通信に割り込む。
『よみちゃん、バリア展開! 五秒だけ耐えて!』
ビルの屋上に配置された陽菜の霊具が光を放つ。青白い結界が一瞬だけ形成され、怪異の動きを封じる。
「今だ!」
私と蒼真先輩が同時に動いた。先輩の機体が左から回り込み、霊装弾を連射。青い弾丸が怪異の関節部に炸裂し、動きが鈍る。
私はその隙を突いて、レヴを加速させた。
蒼光の刃が、怪異の胸部に突き刺さる――が。
「通らない!?」
硬質な音が鳴る。刃が止まった。まるで何かに"押し返されている"感覚。怪異の装甲の下で、光脈が逆流している。
《警告:霊力干渉反応検出。出力低下》
「干渉? レヴの霊力が、吸われてる!?」
『夜水、離脱しろ! それ以上は――』
遅かった。
怪異が右腕を振るい、鉄骨のような腕がレヴを薙いだ。衝撃。視界が回転。ビルの壁に叩きつけられ、粉塵が舞う。
機体がきしみ、胸の奥が焼けるように痛い。
《警告:右腕ユニット損傷。霊力回路断線》
警報が頭に響く。私は唇を噛んで、操縦桿を握りしめた。
「まだ、動ける!」
左腕のエミッターを展開。刃の形成が不安定で、輪郭が揺らいでいる。息をするたびに痛みが走る。
けれど、動かす。レヴも、まだ動ける。
『夜水、応答しろ! おい!』
「大丈夫。まだ、生きてます」
『無茶だ、今のままじゃお前が――』
「先輩」
『なんだ』
「守りたいんです。みんなを」
その一言に、蒼真先輩が何かを言いかけて、沈黙した。
巧の声が割り込む。
『データ解析完了! あの怪異、内部に霊力炉心を持っています! しかも反転型です!』
「反転型?」
『霊力を吸収して逆流させる。つまり、"霊装機の天敵"です!』
なるほど――だから、レヴの出力が落ちたのか。
レヴがわずかに震えた。HUDに淡い光。まるで「まだ終わってない」と言っているようだった。
「わかってる。もう少しだけ、がんばろう」
スラスターを点火。瓦礫の間を疾走する。怪異が咆哮し、無数の黒い腕を伸ばす。十本以上の触手が迫る。
私は操縦桿を限界まで倒し、建物の壁面を走った。
火花が散る。視界の端で、陽菜の霊弾が閃く。支援射撃の光が、私の軌跡を照らした。
『よみちゃん、右! 避けてっ!』
「了解!」
スラスターを切り替え、反転。腕一本を切り落としながら、さらに加速。青い残光が、夜の街に弧を描いた。
しかし次の瞬間、地面が爆ぜた。
足元から霊力の奔流。怪異の装甲の隙間から光が漏れ、地面全体を飲み込む。
「なに、これ!?」
解析不能。地表が崩れ、光の柱が立ち上がる。爆風が吹き荒れ、レヴが宙に舞う。制御を失い、視界がぐるぐると回る。
《姿勢制御不能。ジャイロ異常》
「レヴッ!」
HUDが一瞬、強く光る。次の瞬間、シートのベルトが軋み、私の体が押し戻された。
レヴが、自動で姿勢を戻してくれた。
「ありがとう。でも、もう限界――」
右脚部が火花を散らす。各部から煙が上がる。視界がノイズで揺らぎ、呼吸が乱れる。脳が焼けるように熱い。
霊力が、もう暴走寸前だ。
『夜水! 撤退だ! 命令だぞ!』
「まだ、やれます」
『バカ言うな! 死ぬぞ!』
「それでも」
私は微笑んだ。痛みよりも、光のほうが強かった。心臓が跳ねるたび、霊力が全身を巡る。
HUDに、ひとつの表示が浮かぶ。
《霊装展開モード:起動可能》
「レヴ、怖い?」
HUDが、一度だけ点滅した。それは「少し」と言っているようだった。
「私も、怖い。でも――」
私は操縦桿を握りしめる。
「一緒なら、大丈夫だよね」
HUDが、二度点滅する。「うん」と言ってくれた。
胸の奥が、温かくなった。レヴがいる。それだけで、前に進める。
「レヴ、私に力を貸して」
HUDが、静かに二度点滅した。まるで頷いたように。
同時に、機体の各部が蒼く発光する。背部装甲が開き、内部の霊力回路が露出。それが稲妻のように空気を震わせた。
都市の停電区域まで光が届き、空が青白く染まる。
『よみちゃん!? 霊装展開なんて、ダメ! 死んじゃう!』
「大丈夫。少しだけだから」
レヴが、音もなく鼓動を始める。それは私の心拍と完全に重なった。霊力が、限界を超えて膨張する。
皮膚の下を光が走り、血管の奥が熱を帯びる。
「いくよ」
瞬間、世界が蒼に溶けた。
視界が眩しすぎて、何も見えない。でも、感じる。怪異の動き、霊力の流れ、街の風の匂いまでも――全部が、わかる。
蒼い刃を構え、跳んだ。地面が沈み、空気が破裂する。閃光。
怪異がこちらを振り向くより速く、斬撃が走った。
装甲が裂ける。内部の光脈が暴走し、霊力が逆流する。その瞬間、レヴのシステムが自動的に"同調出力"を放った。
機体全体から雷光がほとばしる。
「終わりだぁッ!」
轟音。
閃光。
十メートルの巨体が、青白い十字の光に貫かれた。空が割れ、雲が裂ける。雷鳴の残響だけが、世界に残った。
息をするのも痛い。胸が焼けるように熱い。でも、まだ笑える。
《警告:霊力残量3%。生命維持限界》
「レヴ、やったね」
HUDが、一度だけやさしく光った。それは"うん"と答えてくれたみたいで。
瞼が重くなる。音が遠のく。
「ありがとう。あとは、お願いね」
光が、滲む。世界がゆっくりと傾いていく。
最後に見えたのは、蒼白いHUDの光。それが、ほんの少しだけ揺れながら――私を包み込むように、優しく瞬いた。
私は、その光の中で意識を手放した。
遠くで、誰かが叫んでいる。蒼真先輩の声。陽菜の泣き声。巧の、冷静な報告。
みんな、無事だ。それだけで、いい。
HUDの光が、ゆっくりと消えていく。まるで、私を眠りに誘うように。
「おやすみ、レヴ」
最後の言葉を、そっとつぶやいた。光が、優しく包み込む。
そして、全てが静かになった。
◆
白い天井。
消毒液の匂い。遠くで、誰かが紙をめくる音。
目を開ける前に、私はまず"痛み"を探した。胸の奥、じりじりと焼けるような感覚。
生きてる。まだ、ここにいる。
ゆっくりと瞼を持ち上げる。医務室の天井の隅、薄いヒビが一本走っている。見覚えがある。ここ、何度目だろう。
「起きたか」
低い声。視線を動かすと、ベッド脇に柊隊長が立っていた。短く刈り込まれた黒髪、皺の刻まれた目元。視線は厳しいのに、不思議と冷たくはない。
「隊長」
「無茶をしたな」
「すみません」
反射的に謝ると、柊隊長はため息をひとつ。そのあと、ほとんど聞こえない声で付け加えた。
「助かったよ。街も、人も。礼を言う」
胸が、少しだけ軽くなる。代わりに、別の重さが喉につかえた。言葉にするのは、まだ怖い。
「今回は本気で危なかった。霊装展開――あれは最後の手段だ。お前の神経焼灼痕、また増えた」
柊隊長がタブレットを見せる。脳のスキャン画像。赤く染まった部分が、前回より確実に広がっている。
「このペースだと」
隊長は言葉を切った。その沈黙が、すべてを語っていた。
いつか、私は壊れる。
扉が開いて、足音。蒼真先輩と陽菜が飛び込んできた。
「夜水!」
「よみちゃん!」
陽菜は勢いのままベッドの柵に抱きついて、苦笑いした。
「ごめん、痛くない? 痛くないならこのまま抱きしめたい!」
「ちょっとだけ、痛い」
「だよね。でも、生きててよかった。ほんとによかった」
陽菜の目尻に、涙が溜まっていた。それを見て、私の胸の奥もきゅっとなる。
「お前な」
蒼真先輩が頭をがしがし掻いて、半眼で睨んできた。
「命令違反ギリギリだ。でも、よくやった」
「はい」
「次は"よくやる前に無事に帰ってこい"。いいな」
「善処します」
「善処じゃなくて厳守!」
陽菜の声に、少しだけ笑いが混じる。
柊隊長が小さく咳払いして、空気が落ち着く。
「今日から三日間、絶対安静だ。四日目に再検査。それまで出撃は禁止」
「了解です」
隊長は踵を返しかけ、ふとこちらを見た。
「夜水。その光を、ひとりで背負うな」
扉が閉まる。残ったのは、電子機器の微かな唸りと、二人の気配。
陽菜がそっと私の手を握る。温かい。少しだけ震えている。
「もういないと思うと、心臓が苦しくなるから。ちゃんと戻ってきて」
「うん。戻ったよ」
私は陽菜の手を握り返した。指の形が、じんわりと馴染んでいく。
窓の外で、夕陽が沈み始めていた。オレンジの光が、白い壁をゆっくりと染めていく。
蒼真先輩が、窓際に立って腕を組んだ。
「夜水。お前、三年前のこと――どこまで覚えてる?」
心臓が、小さく跳ねた。
「……あまり」
私が答えると、先輩は少しだけ目を細めた。
「そうか。なら、いつか――柊さんから聞け。お前が知るべき時が来たら」
「先輩は、知ってるんですか」
「ああ。でも、俺の口からは言えない」
先輩が窓の外を見る。
「お前を救った人の話だ。その人から聞くべきだ」
私は、小さく頷いた。
三年前の事故。
父が死んで、私は生き残った。
それ以上のことは――まだ、知らない。
でも、いつか知る時が来る。
その予感だけが、胸の奥にあった。
◆
三日後の夕方。
リハビリと再検査を繰り返し、ようやく"現場復帰可能"の判定が下りた。
ただし、学校への「完全復学」はまだ許可されていない。
週に二、三日の「部分登校」のみ。
それが、私と学校との距離。
医務室を出て、格納庫へ向かった。
会いたい人――いや、会いたい"相棒"がいる。
格納庫のシャッターをくぐると、整備の音が響いていた。火花が散り、金属を叩く音が反響する。
その奥に、レヴナントがいた。
吊り下げ架台から降ろされ、整備台の上で眠っている。装甲の一部が外され、内部の回路が露出していた。
私は近づいて、脚部装甲に手を置いた。
「レヴ」
冷たい金属の感触。でも、その奥に、微かな温もりを感じる。
「ありがとう。また、助けてくれたね」
HUDが、かすかに光った。
整備中なのに、反応してくれた。
「痛かったよね。ごめん」
もう一度、光る。それは「いいよ」と言っているようだった。
「次は、もっと上手く戦えるようにする。だから――」
私は、装甲を優しく撫でた。
「また、一緒に」
HUDが、二度点滅する。
「うん」と。
その光を見つめながら、私は小さく微笑んだ。
痛みも、怖さも、まだ消えない。でも――レヴがいる。陽菜がいる。蒼真先輩がいる。巧がいる。柊隊長がいる。
一人じゃない。
その実感が、胸の奥を温かくした。
「よみちゃん!」
背後から声。振り返ると、陽菜が両手にコンビニ袋を持って駆けてきた。
「退院祝い! プリン買ってきた!」
「一個で十分だよ」
「二個です!」
強い。
蒼真先輩と巧も、後ろからついてくる。
「夜水、今日は基地の食堂で飯食うぞ」
「え、でも」
「いいから来い。お前の退院祝いだ」
先輩が笑う。
巧が、小さく頷く。
「僕も、ケーキ予約しました」
「予約まで」
「当然です。チームですから」
その言葉に、胸が熱くなった。
私は、みんなを見回した。陽菜の笑顔。蒼真先輩の優しい目。巧の静かな微笑み。
そして、背後で静かに光るレヴナント。
「ありがとう。みんな」
声が、少しだけ震えた。
陽菜が私の手を引く。
「じゃあ、行こ! 冷めないうちに!」
「うん」
私は、頷いた。
格納庫を出る前、もう一度だけ振り返る。
レヴナントのHUDが、優しく一度だけ光った。
それは「また明日」と言っているようだった。
「うん。また明日ね、レヴ」
小さく手を振って、私は仲間たちと共に廊下を歩いた。
窓の外で、夜が降りてくる。
でも、怖くない。
もう、一人じゃないから。
◆
その夜。
宿舎の部屋で、私は窓を開けた。冷たい風が入り込む。遠くの街灯が、一つ、また一つ灯っていく。
ベッドに横になり、天井を見上げる。
左腕の手術痕が、薄く疼く。でも、もう痛みに怯えることはない。
この痕は、レヴと繋がった証。
この痕があるから、私は戦える。みんなを守れる。
端末が震えた。陽菜からのメッセージ。
《今日はありがとう。
よみちゃんと一緒に笑えて、幸せだった。
また明日ね!》
スタンプが三つ、にっこり笑っている。
私は、小さく微笑んだ。
《こちらこそ。また明日》
送信ボタンを押す。
画面を閉じて、目を閉じる。
闇の中で、レヴのHUDが瞼の裏に浮かぶ。
優しく、点滅する光。
「おやすみ、レヴ」
小さく呟くと、胸の奥が温かくなった。
それは、返事のようだった。
眠りに落ちる直前、まぶたの裏で小さな光を見た。
蒼くもなく、赤くもない――金色の光。
それは、誰かが"祈っている"ようなあたたかさだった。
◆
夜の街の、誰も知らない場所で。
金色の粒子が、風に舞っていた。
それは砂のように細かく、光のように軽い。
空気に溶けるように消えていくその粒子は、しかし――確かに、"何か"を残していた。
見えない波紋が、静かに広がっていく。
夜水の部屋の窓を、わずかに揺らして。
彼女は気づかない。まだ、眠りの中。
でも、いつか――
その日は、近い。
同時刻。
防衛省の一室で、柊隊長は古いファイルを開いていた。
表紙には《神鳴事件・機密資料》と記されている。
その中に、三年前の事故報告書があった。
柊は、ページをめくる。
そこには、あの日の記録が残っている。
神鳴博士の死。
夜水の蘇生。
そして――柊自身が下した、違法な判断。
「神鳴博士……」
静かに呟く。
「いつか、あの子に話さなければならな。
あなたが何を遺し、俺が何をしたのか」
報告書の最後のページに、手書きで追記された一文。
《神鳴夜水、違法神経結線により蘇生。責任者:柊一哉》
「これは、俺の罪だ」
報告書を閉じる。
「でも、後悔はしていない」
窓の外で、街の明かりが瞬いている。
柊隊長は、空を見上げた。
雲の切れ間から、星が一つ、光っている。
「夜水は、強い子だ
いつか真実を知る時が来ても――きっと、立ち上がる」
小さく息をついて、柊はファイルを金庫にしまった。
その背中は、どこか寂しそうで。
でも、まっすぐだった。
金色の砂が、最後に一度だけ輝いて――闇に溶けた。
静寂。
そして、新たな物語が、静かに動き始めていた。
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