汐海車掌の「いつも通り」の休日

蓮田蓮

汐海車掌の「いつも通り」の休日と、偶然の遭遇と愚痴聞き役

汐海車掌の「いつも通り」の休日 

 人気車掌の汐海遼一は、週末の穏やかな日差しを浴びながら、マンションのドアを開けた。

 オフの日。いつものシャキッとした制服姿ではなく、今日はライトグリーンのシンプルなTシャツにネイビーのクロップドパンツという、爽やかなカジュアルスタイルだ。

 朝食を終えた彼は、時計通り、いや、むしろ少し早いくらいに家を出る。今日の午前中の目的地は、駅前のビルにある英会話スクール。

彼がこの習慣を始めたのは、外国人観光客への対応を円滑にしたいという、一途なプロ意識からだ。「旅の思い出を台無しにしたくない」という彼の思いは、日々の業務だけでなく、オフの日の過ごし方にも反映されていた。

徒歩5分でスクールに到着。汐海は「中級クラス」のドアを開けた。本日の生徒は彼を含めて4人。そして、担当はいつも笑顔の優しいイギリス人講師、アダム先生だ。

「Good morning, Ryoichi! How was your week?」

アダム先生の問いかけに、汐海は少したどたどしくも、自信を持って答え始めた。日常会話はもう、ずいぶんスムーズにできるようになった。

今日のレッスンのテーマは「一週間の出来事」。汐海のターンが回ってきた。

「This week, I saw a beautiful sunset from the station platform on Tuesday. The sky was burning orange and red... it was amazing.」

汐海は話しながら、火照るような夕焼けの色を思い浮かべた。

「And...」彼は少し間を置いて、続けた。

「The people waiting on the platform, they looked like a painting. Everyone was silhouette, just waiting for the train. I felt like I was watching a quiet, beautiful movie.」

 皆が感動しているのを見て、彼は少し照れた。そして、車掌らしく、英語でのアナウンスを実演してみせた。

「' Thank you for using JS-TC Line.The train for Tokyo will be arriving shortly on track number three. Please stand behind the yellow line for your safety. Thank you for riding with us!'」

クラスは笑いと活気に満ち、あっという間に90分が過ぎ去った。

「See you next week!」とアダム先生に手を振り、汐海は次の目的地へと向かう。


偶然の遭遇と愚痴聞き役

 英会話スクールを出た汐海は、そのまま駅の反対側にあるフィットネスクラブへ。ランニングマシンで心地よく汗を流し、ストレッチで凝り固まった身体をほぐす。彼にとって、この一連のスケジュールは、仕事で最高のパフォーマンスを発揮するための大切なルーティンなのだ。

 たっぷりと身体を動かした後、彼は街の喧騒から少し離れた落ち着いたカフェで一休み。アイスカフェオレと、軽食のサンドイッチを頼み、ぼんやりと窓の外を眺める。

 その時、レジカウンターの方から聞き覚えのある声が聞こえた。

「うわ、この間のダイヤ改正、まじでキツくないですか?休憩時間、ほぼなくなりましたよ…」

 声の主は、同じ路線の後輩車掌、中野だった。彼は汐海に気づくと、驚いた顔でこちらへやってきた。

「あ、汐海さん!奇遇ですね!オフの日なのに…」

「中野君。お疲れ様。たまたまだよ。隣、座っていいぞ」

中野は「ありがとうございます!」と言い、遠慮なく対面に座った。そこから始まるのは、お決まりの愚痴タイムだ。彼は汐海のことを話しやすい先輩だと慕っている。

「いや〜もう、最近のアナウンス、噛みまくりですよ。寝不足で頭が回らなくて…」

汐海はカフェオレを一口飲みながら、優しく耳を傾ける。彼は黙って聞いているうちに、中野の疲労の根本原因が見えてきた。

「中野君。それはたしかに大変だな」

汐海は静かに言った。

「でもな、アナウンスで噛むのは、『完璧にやろうとしすぎている証拠』だよ。もっと肩の力を抜いていい。それに、俺たちが伝えるべきは、正確な情報と安心感だ。多少たどたどしくても、そこが伝われば、お客さんは分かってくれる」

中野はハッとして顔を上げた。

「そしてな、オフの日くらいは、仕事のこと忘れて、ちゃんと寝なさい。健康な体と心でいることが、最高のサービスに繋がるんだから」

汐海の言葉は厳しさはなく、どこか温かい助言だった。中野は「…はい!ありがとうございます、汐海さん!」と深々と頭を下げた。


 カフェオレを飲み終え、中野を見送った汐海は、再び窓の外に視線を戻した。英会話で知識を入れ、ジムで身体を動かし、そして同僚の話を聞く。彼にとって、この「いつも通り」の休日は、明日からまた制服を着て、たくさんの人を乗せて走るための、大切なエネルギーチャージの時間だった。

「さて、次はスーパーに寄って、夕飯の準備をしないと」

汐海は小さく呟き、静かに席を立った。オフの日は、まだもう少しだけ続く。


おわり

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あとがき

英会話は、こんな感じの内容です。

・おはようございます、リョウイチさん!今週はどうでしたか?


・今週の火曜日、駅のホームから美しい夕日を眺めました。空がオレンジと赤に染まり、本当に素晴らしかったです。


・ホームで列車を待つ人々は、まるで絵画のようでした。皆がシルエットのように、ただ電車を待っていました。静かで美しい映画を見ているようでした。


・JS-TC線をご利用くださいまして、ありがとうございます。まもなく3番線に東京行きの電車が到着します。安全のため、黄色い線の内側にお並びください。ご乗車ありがとうございました。

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車掌さんたちも、英語放送が素晴らしい人がいますね。

それを聞くのも、電車に乗る楽しみです。

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汐海車掌の「いつも通り」の休日 蓮田蓮 @hasudaren

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