乗れないバス

暗心暗全

乗れないバス

「時間あってるよね」


 美樹はバス停で疑問を投げた。時刻になってもバスはこない。木々が立ち並ぶ山道の先を美樹は見つめる。けれども、人も車もやってこない。


 夏の終わりの日差しが美樹の被る麦わら帽子に注がれた。


「暑い。まだ来ないなあ」そう呟いて、予定よりも三十分も待っていた。ふと、お寺ですれ違った女性たちの会話を思い出す。「隣町で土砂降りの雨が降っているんだってね。こっちにまできて今あげたお供え物が雨で濡れるわね」と話していた。


「まさか雨のせいじゃないよね……そんなわけないよね」


 美樹は西の空から迫る雨雲を見つける。そして、視線を落としてバスの来るほうへ視線をやると、男性がこちらに向かってくる。


「まだ、バスは来てませんか?」


「え、は、はい」


「それはよかった」


 そういって、年配の男性が横に並ぶ。


 黒いホンブルグハットに紺のスーツと右手には木製の杖。口元には白いひげを蓄え、絵から飛び出したような紳士然としている。


「おかげでバスに間に合ったのでいいのですが、お嬢さんには大変でしょう、待たされて」


 線香の匂いが男性から漂う。


 美樹はバスが来る反対のほうを向きながら答えた。


「……いえ。待つのは……慣れていますから」


 震える小さい声でそういうと、美樹は俯いた。


「ああ、来ましたよお嬢さん、ほら」


 バスが来るほうを指さして男性がいう。


「あれは……バスですけど、私が乗るバスです。乗れませんよ、あなたは」


「おや、ここは路線バスがひとつしか通らないはずではありませんでしたっけ?」


「あれは普通の人には見えません。あなたが見えたのは私のせいですよ、あなたはまだ乗れない。健司さん……」


 美樹が男性に顔を向ける。互いの視線は交差する。男性の黒目はまん丸になり、口は大きく開けられていた。


「み、美樹ちゃん、美樹ちゃん……」


 真っ黒に塗装されたバスが止まっり、扉が開く。その拍子に健司は杖を地面に落としてしまう。


「驚いちゃうよね。半世紀ぶり? だよね。半世紀ぶりなんて言葉さ、自分の人生にあてて使うなんて思わなかったよ」


「お二人ですか?」


 運転手の低い声が車内から聞こえた。制帽のつばで影ができて、運転手の表情はうかがえない。


「違います。私、ひとり……です」


 健司に背を向けて美樹はバスの階段をあがる。車内の冷たい空気は体にまとわりついた。運転手がバス停に佇む健司へ問いかけた。


「本当に、乗りませんか?」


 健司の目は濡れていた。その問いかけが背中を押すように健司は震える声でいう。


「美樹ちゃん、私もいってはいけないかい。もう、ひとりで生きていくのは――」


 美樹は振り返り、健司の顔を覗き込むようみた。


「だめ。まだ、まだ、私の分までいきてよ。私は死神じゃないよ、けんちゃん」


 美樹の言葉は、健司を後退りさせた。


「早くバスを出してください。こんなに遅れたこといいつけますよ」


 運転手は帽子をぎゅぎゅと深く頭に被りなおす。


「悪かった……ずっとただ、謝りたかったんだ。僕がみきちゃんについていっていたら」


「違うよ。何も変わらないよ。二人で死んでいたかもよ。それにね。ずっと待っていたの。明日会えるかも、明日会えるかなって。かっちゃんが死ぬのをずっとまっていたんだよ。すっかりやな奴になっちゃった」


 健司は一歩に二歩とバスの昇降口に近づく。


 ああ、と大きな声を挙げ地面に座り込んで両肩を手でさする。それ見た美樹はクスリと笑う。


「けんちゃん。寒いの? このバスの冷気は人むけじゃないからさ。離れて」


「みき……ちゃん」


「毎年お墓参りありがとう。もう、来なくていいよ。けんちゃん年取ってさ、大変でしょ。ひたいや目じりにしわが、近くであなたが歳をとるところをみたかったな」


 バスの階段を踏みしめるようにゆっくりと上り、美樹はバスの中央の席につく。地べたに座り込む健司を置いて、バスはゆっくりと走り出す。ぼつりぼつりとにわか雨が降りだした。


「よかったんですか」


「いいんです。これで」


「でも泣いてますよね。あなたも、あの人も」


「泣きますよ。そりゃあ」


「海沿いに遠回りでもしていきますか」


 美樹は小さく頷く。


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