第8話

 ……。

 違う、この子全然満足してないな?


 まさか追い打ちをかけられるとは思っていなかった私は、ぱくぱくと口を動かすことしかできなかった。さながら私は陸に打ち上げられた魚。縁起が良さそうだから鯛とかがいいかな。いや、陸に打ち上げられてもがく鯛って逆に縁起悪いか。……じゃなくて。


「水葉ちゃんは、私のどんなところを見てえっちだって感じるの? 詳しく教えてほしいな?」


 やばい、完全にスイッチ入っちゃってる。

 普段夢で精気をあげる時にこうなることはちょいちょいあるんだけど、現実でここまでテンションが上がっている惠利沙を見るのは久しぶりかもしれない。さすがに人気がないって言ってもこんな往来で変な話したくないんですが?


 しかしこうなってしまった惠利沙に理屈は通用しない。

 なんか息荒いし、魔力的なものが漏れ出てる気がするんですが。

 私は小さく息を吐いて、彼女のおでこを軽く弾いた。


「いたっ。な、何するの水葉ちゃん!」

「ちょっと落ち着いてもらおうと思って。外であんま変なこと聞いてこないでよ」

「だ、だってー……」


 さっきまで余裕たっぷりな感じだったのに、急に子供みたいになってるし。

 ほんと、惠利沙は。

 別にいいんだけど。


「水葉ちゃんにえっちなんて言われるの初めてだったから、つい興奮しちゃって。……もう一回えっちって言ってくれない?」

「嫌だけど?」

「えー」


 何を興奮しているのだ。


「ていうか、なんでいきなり変な質問してきたの?」

「変な質問って?」

「いや、だから……」


 ……。

 こやつ私にえっちと言わせようとしてるな? おい、なんだその期待に満ちた目は。そんなキラキラした目ぇ久しぶりに見たわ。さっきケーキ食べた時だって、そこまで目を輝かせてはいなかったでしょうに。


 チョコケーキ、えっちに敗北。

 いや、そんなわけのわからないことを考えている場合でもなくて。


 ……はぁ。

 しょうがないなぁ。


「えっちがどうのって話。いきなりすぎるでしょ」


 彼女の瞳は、夜空の星々よりもずっと輝いている。

 えっちで輝く瞳の星々。

 ……全然詩的じゃないな。


「だって。水葉ちゃん、いつも私のこと子供扱いするじゃん。さりげなく色々助けてくれたりとか。……嬉しいけど、私もう子供じゃないよ?」

「わかってるよ」


 子供だと思っている相手に、ドキドキできるわけないし。

 それに。


「私、別に惠利沙のこと子供だとは思ってないし、子供扱いもしてないよ」

「でも……」

「惠利沙が困ったり悲しい思いをしないようにしてるってだけ。私は惠利沙の楽しそうな顔が好きだからね」


 あのふわふわな笑みが、いつも私の心を満たしてくれる。

 それは彼女と出会った頃からずっと変わらない。私は多分、彼女の笑顔に一目惚れしたのだ。そして、この笑顔をいつまでも隣で見ていたいって、あの頃の私は思っていた。ううん、今も同じかも。


 でも、それ以上に。

 笑顔よりも、ドキドキした顔が見たい。私の魅力にやられて、真っ赤になった顔を見たい。その理由は、ほんとに色々あるけれど。ドキドキして仕方がなくなった彼女の顔は、きっと可愛いと思うのだ。

 単にやり返したいって気持ちもなくはないけど。


「私のこと、好き?」


 彼女は問う。私は笑った。


「そりゃ好きだよ。親友ですから」

「そう、なんだ」

「ん。惠利沙は?」


 惠利沙はいつの間にか、私に背を向けていた。夜の風が、彼女の髪を揺らす。金色の髪が、街灯の光を受けて眩しく輝いている。その輝きに、私は目を細めた。


「……内緒」


 彼女は、振り返って言う。

 少し困ったような笑顔。それは、これまで見たことがないような、複雑な感情が入り乱れた笑みだった。

 どうしてそんな顔で笑うの?

 聞こうとしたけど、聞けなかった。


「水葉ちゃん。明日はどこに遊びに行こっか?」


 こつこつと、彼女の足音が響く。彼女は私に背を向けて歩き出していた。


 私だけ好きって言わされてるし。

 ちょっと納得がいかなかったけれど、私は仕方なく彼女の背中を追った。ブレザーの裾を掴んで歩いてみても、彼女の気持ちは伝わってこない。今、惠利沙は何を考えているんだろう。


 いつも通りの声に、いつも通りの歩き方。

 でも何かがいつも通りじゃない。


「どこでもいいよ。惠利沙が行きたいところで」

「えー。主体性がないよー」

「じゃあ遊びに行くの面倒くさいから、明日は速攻家帰ってもいい?」

「それはダメ」

「わがままだ。ほんとにどこでもいいよ。惠利沙と一緒なら、どこでも楽しいだろうし」

「また、そういうことを……」


 惠利沙は小さな声で言う。

 彼女はぴたりと止まって、私の方を向いてきた。そして、私の腕を掴もうとする。さっきのキスを思い出した私は、ひらりと身をかわした。


「させないから」

「何もしようとしてないよ」

「嘘つき。キスする気配、したし」


 夢で何度もキスをされてきたから、なんとなくそういうのがわかるようになっている。とはいえ現実でキスされたのは初めてだし、ちょっと驚いているけれど。


 鼓動も速い。

 キスの感触はまだ唇に生々しいほどに残っていて、それが私をずっとドキドキさせている。それなのに惠利沙は、キスしたことなんてもう忘れました、みたいな顔をしていた。


 現実では初めてキスしたのだから、もっともっと、ドキドキしなきゃおかしいって思う。納得できないって思う。

 でも、ドキドキしてよって言っても無駄なわけで。

 私は小さく息を吐いた。


「どこ行くか、考えときなよ。どこでもついてくから」

「地球の裏側まで、一緒に行ってくれる?」

「惠利沙が望むなら」


 私が笑うと、惠利沙は変な顔をする。

 もっと惠利沙をドキドキさせられるような言葉を口にできたらいいのにな。自然と彼女を褒めて、口説いて、骨抜きにできれば。なんて思うけど、そのために必要な言葉がわかんないから困っているのだ。


 ……はあぁ。

 ドキドキってなんなんだろう。私は惠利沙に何かとドキドキさせられているけれど、それはドキドキ感度が高すぎるのか? 多分私は惠利沙に手を引かれたりしてもドキドキしてしまうだろう。

 無間ドキドキ地獄である。私はもはや惠利沙に何をされてもドキドキするようになっている……。助けて〜。

 いやいや何を馬鹿なことを。


「私……水葉ちゃんのこと、いつかほんとにさらっちゃうかも」


 彼女は冗談とも本気ともつかないような声で、言う。

 そして、ふわりと笑った。


「だから、水葉ちゃん。いつ私にさらわれてもいいように、ちゃんと準備しといてね!」


 なんという恐ろしい宣言。

 彼女はサキュバスだから、その気になれば本当に私を攫うことができるかもしれないけれど。そうなったらそうなったで、悪くはなさそうだ。なんて思ってしまう私は、どうかしているかもしれない。

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