第6話

「水葉ちゃんのべろって、ちっちゃいね。なんかの花びらみたい」


 どういう表現ですか?

 ていうか、甘い声でそういうこと言われるともっと恥ずかしくなってくるからやめてほしい。

 頑張って耐えているのに、少しずつ顔が熱くなっていく。


「……ふふ。顔までべろみたいに赤くなってる。可愛い」

「……っ」


 私は速攻で舌を引っ込めた。


「あ、ちょっと水葉ちゃん。見てほしいんじゃなかったの?」

「もう十分見せたでしょ」

「やけどしちゃってるかも」

「そしたらあとで氷でも食べて冷やすから平気」

「……私の手、ひんやりしてて気持ちいいよ?」


 唐突に、彼女は言う。

 私は首を傾げた。


「……えっと?」

「だから……水葉ちゃんのべろ、私が冷やしてあげようか?」

「え」


 冷やすって、それは。直接私の舌に、触るってこと?

 いやいや、それは。


 それはちょっとこう……やばくない? 別にやましいことってわけではないんだけど、際どいというかなんというか。そんなことをされたらまず間違いなく私はドキドキしてどうしようもなくなると思う。


 いやいやでも。

 惠利沙もまた、なぜかは分からないけど私の舌にドキドキしているっぽいのだ。


 それならここで肉を切らせて骨を断つというのも……。

 ……。

 やっぱ無理。それはさすがに恥ずかしすぎて死ぬ。


「こ、これで勝ったと思わないでよ!」

「いきなりどうしたの?」


 これには惠利沙も呆れ顔である。

 私はばくばくうるさい心臓を宥めるように、紅茶を一気に飲み干した。


 そこまで熱々ってわけではないけれど、喉がちょっと熱くなるのを感じた。だけど熱に意識が向いたおかげで、ドキドキは少しずつおさまっていく。


 惠利沙の方を一瞥すると、いつも通りの表情を浮かべていた。

 ふわふわしていて、楽しそうで。ちょっと大人びた感じの笑み。


 顔が少し赤いと思ったのは、気のせいだったのかもしれない。私は小さく息を吐いた。もっともっと、ドキドキさせてしどろもどろにさせて、顔も真っ赤にさせたいのだけど。それができる日はいつか来る……のかなぁ。


 うーん。

 ……いやいや、弱気になってどうする私。惠利沙みたいに色気的なものはもしかしたらないかもしれない可能性がなきにしもあらずだけど。友達にはいつも可愛いと言われるのだし、私だって……!


 私だって……。

 ……はぁ。


「ケーキ、美味しかったね」


 私は静かに言った。


「うん。水葉ちゃんと一緒に美味しいケーキが食べられてよかったよー」

「私も。楽しかったよ、惠利沙」

「……水葉ちゃん。いつもほんとにありがとね」

「どういたしまして」


 ケーキも飲み物も、もうなくなっている。少し休んだら店を出るべきだろうな、と思う。窓の方を見ると、外はすっかり暗くなっていた。


「私、水葉ちゃんの頼りになるところとか、可愛いところとか、色々……ほんとに、大好きだよ」


 彼女は柔らかな声で言う。

 静かになっていたはずの胸が、再び騒ぎ出す。私は顔が熱くなるのを感じながら、惠利沙を見つめた。彼女もまた、私をじっと見つめている。笑顔だけど、その瞳には確かに真剣な色が宿っている。


 そんな目で、そんなこと言うのは。

 ……ずるすぎだって、思うのに。


 でもそれと同じくらい嬉しいって気持ちもあって、胸がぐるぐるして仕方がない。私は思わず立ち上がった。


「私も惠利沙のこと、好きだよ。……ちょっとお手洗い行ってくるね」

「私も行く!」

「惠利沙は荷物見てて」

「えー。ずるいよー」


 ずるいのは惠利沙の方でしょ。……なんて、言えるはずないけど。


 私はそそくさとお手洗いに向かって、鏡に映る自分の顔を眺めた。やっぱりバカみたいに真っ赤になっていて、自分の顔とは思えないくらいだった。感情がすぐに顔に出てしまうのが、いいのか悪いのかはよく分からないけど。


「……はぁ」


 余裕な顔で彼女をドキドキさせられる日は、まだまだ遠そうだ。

 私は一個、ブラウスのボタンを余計に開けてみる。惠利沙が同じことをしたら魅力的に見えるかもしれないけれど、私がやってもだらしないと思われるのが関の山かもしれない。なんならボタン留めてあげるねー、とか普通に言われそうだ。


 私はもう一度ため息をついて、惠利沙の元に戻った。

 その後もいくらか世間話をしてから、私たちは店を後にした。高校の制服を着て過ごす、二度目の春。私はぼんやりと空を仰ぎながら、街を歩いていた。


「水葉ちゃん。よそ見してると転んじゃうよ」

「大丈夫大丈夫。これでもちゃんと前も見てるから」

「もー。危ない目に遭っても知らないからね?」


 ちょっと上を見ながら歩いても、そこまで危ないことにはならないだろう。惠利沙はもしかすると、意外に心配性なのかもしれない。


 私も似たようなものだから、人のことは言えないけど。

 惠利沙が生物的に私よりずっと強いのは知っているのだが、それはそれとしてやっぱ心配になるのだ。


 これはもう昔から彼女のことを知っているから、仕方がないことなんだろう。

 ……昔かぁ。


 私たちもほんと前よりずっと大きくなって、色々変化してきたと思うんだけど。どこまでが昔と同じで、どこまでが変化したんだろうってちょっと疑問に思う。


 でもまあ、変化していようがいまいがどっちでもいいか。

 だって彼女がこうして私の隣にいることは変わらないのだから。


 きっと十年後や二十年後に離れ離れになっても、定期的に会ったりするんだろうなって思う。


 十年後の惠利沙は、今よりもっと魅力的になって色んな人を魅了してそうだ。私は……変わらずこんな感じかな。多分。


「そんなに空が好きなら、私が水葉ちゃん抱っこして飛んであげよっか?」

「ううん、それはいい。私、地上で見る星が好きなだけだから」

「ふーん……それは、どうして?」

「んー……わかんない。遠ければ遠いほど、輝いて見えるー、みたいな」


 実際どれくらい離れているのかは、よくわからないけど。


「近い方が絶対綺麗なのに」

「そうかな?」

「だって、ほら。……私は、近くで見た方が綺麗でしょ?」


 ぐい、と手を引かれる。

 自然と惠利沙の方に体が傾いて、彼女の顔が近づく。


 確かに、遠くで見るより近くで見た方が惠利沙は綺麗だ。でもそういうことじゃないんだよなぁ。こう、雰囲気の問題っていうか地上から星を見上げるエモさも加味されているっていうか。


 近くても遠くても惠利沙は惠利沙だし、星と違ってエモくない。いや、綺麗なのは確かなんだけど。


「惠利沙は星じゃないんじゃん」

「えー。望月さんはまるで輝く星のようだ! って言われるのにー」

「そんなこと言う人いるの……?」


 その気持ちはわからないでもないけども。


「たくさんいるよー。水葉ちゃんにもそう思ってほしいのになー。たくさん水葉ちゃんに見てもらえる星はずるいなぁ」

「星に嫉妬しないでよ」

「するよ。水葉ちゃんの目に映るのは、私だけでいいって思うもん」


 冗談めかして、彼女は言う。あまりにも変な響きだったから、私は思わず笑いそうになった。その瞬間、彼女の吐息が私に近づく。

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