犀星
古宮 佑里
犀星
「あれ、どうして私花火を見に来たんだっけ」
足を通して伝わる石垣の冷たさ、騒がしい声、心臓が震える花火の音、、、全部知っている気がする。
一瞬の静寂が破れ、花火が天の矢のように上がる。
空一面に咲いたその花火を見て、私は全てを思い出した。
「フェニックス、、、」
***
中学1年生の夏、家族で花火を見に来たとき、トイレに行こうと歩きだしそのまま迷子になって俯いていた私にふと上から声が降ってきた。
「君、迷子?」
顔を上げるとさっきまで気配のなかった石垣の上に少女が座っていた。
いつのまに、、、驚いていると、彼女はスッと私の前に飛び降り、手を差し伸べてきた。
「名前、なんて言うの?」
私は軽く手を振り払った。
「私、戻らないといけないから。」
でも、私の言葉を無視して少女は空を指さした。
「私は、凪。今からこの花火大会はクライマックスに入る、誰も君がいないことに気づかないと思うよ、みーんな花火に夢中だから。」
凪はにこりと笑ったけれど、その顔はどこか寂しげで孤独さが漂っていた。
言葉に詰まり、石垣の上に座る。
「紅羽、、、」
照れくさくなり、顔をうずめる。
彼女は、笑顔でこちらに向き合った。
「へぇ、いい名前。」
それから私は、凪といろいろな話をした。
学校のこと、家のこと、、、凪と一緒にいると不思議と心の中にある蟠りが溶け、気づけば素直に気持ちを吐き出していた。
彼女は否定も肯定もせずハツラツと笑いながら聞いてくれた。
「私ね、テニスやってるんだ。今まで、シングルスだったんだけどダブルスに移行するの」
凪は遠くを見ながら、静かにつぶやいた。
「なんで?一人でやったほうが気楽じゃないの?」
「人とのつながりが欲しくなったの、ねえお願い。一緒にテニスやろう」
真剣な瞳から逃れるように私はすぐさま反論した。
「無理、だってテニスなんてやったことないし、お母さんがOKしてくれるなんて思わない、上手い人探したほうがいいよ。」
凪は寂しそうに笑う。
「私と紅羽って似てると思うの、なんかいつも一人みたいで、、、」
似てるというから何なのだ、なんにもならない。私はまた反論する。
「私の家は、お母さんが厳しいの、悪いけどテニスなんて無理。」
すると、瞳の中に光が入った凪が思い切り立ち上がる。
「じゃあ、お母さんがokすればいいの?」
「そうだけどOKなんてしないから」
「連れてって」
その後、凪は見事な話術で母を説得し、私はチームに入ることになった。
それから私と凪のテニス練習が始まった。
初めは、ラケットを落とし、転び、からぶって、何一つできなかった。
凪の足を引っ張ってばかりで、コーチからはそのたびに叱られチームメイトからは「どうしてあんな子が凪ちゃんと、、」とささやかれる毎日。
でもそのたびに凪が手を差し伸べてくれた。
「大丈夫!初めはみんなこんなもんだよ。失敗を恐れてどうするの!」
「紅羽お疲れ~、すごくよくなってる!」
凪のフォームはいつもしなやかで力強く、波のように強くカーブするショットを打つ。
そして試合に入ると、いつもの凪と空気が変わる。
まるでこのコートは私のもの、私を見て!と言わんばかりのプレイをする。
そして、最後まで一瞬たりとも笑顔を崩さずに、プレイを終えるのだった。
この子のテニスにかける執念は、少し狂気じみていた。
凪は、明るくて誰にでも笑顔で接する人気者だけど、いつも心の中に風が吹いているような、穴が開いてるようなそんな虚無感を抱えていたそうだ。
そういえば、最初に会ったときも凪はどこか寂しそうだった。
日に日にできることが増えていって、凪と一緒にラリーを打ち合えるようになった。
仲間も増えて、テニスをやる前と私の生活は大きく変わっていた。
そして季節は流れて冬、ついにデビュー戦の日までやってきた。
緊張しながら会場に向かい、待合室の椅子に腰掛けた。
空気が冷たくて、緊張がさらに強まる。
でも、この舞台で凪と一緒にテニスをできることが嬉しくて、小さな喜びをかみしめていた。
しかし凪は待ち合わせ時間になっても来ず、時間が進むにつれて不安が広がっていった。
それでも信じて待ち続けた。
そして出るはずだった開会式が終わったころ、コーチやお母さんたちが入って来た。
お母さんは涙を流し、コーチは憔悴しきった顔で。
「凪が死んだ。」
来る途中、地面の凍結でスリップしたトラックに凪は轢かれた。
イヤ、嫌だ、凪、凪ィ!!!
私の叫びは静かな部屋に消え、もう誰にも届かなかった。
その日から鮮やかで輝いていた世界は色がなくなった。
テニスをやめて、またなにもない自分に戻ってしまった。
凪は絶対的存在で、凪に照らされていた私は彼女がいなくなった今、私に光が当たることはなかった。
私の心には、楽しかった思い出は消え、喪失感や絶望だけが渦巻いていた。
***
「そうだ、それから私は今までのことを全部なかったことにしようとした。」
テニスをやめて、凪との思い出を全部捨てて、、、
大切な親友が亡くなって正気を保てなくなった可哀そうな子として生きていた。
花火の音が吐き気がするくらい頭に鳴り響く。
煩い、、、早く家に帰ろう。
寝て目覚めたら、少しは忘れられるだろう。
そう思い、石垣から降りようとした瞬間、
「君、迷子?」
凪の声が聞こえた。
あの日、出会った時と全く同じ声が。
「凪ッ!」
咄嗟に隣を見たけれど、当然そこには石垣が広がっているだけだった。
でも、さっきまで凪がそこに、私の隣に座っていたと本気で思った。
急に頭の煩い花火の音が消え、澄んだ水が入り込んでくるような感覚になった。
澄んだ水はきれいに流れ、頭の中に記憶を呼び戻した。
石垣の上で花火を見ていた。
いつも通りくだらない話をして笑っていたら、凪はふと遠くを見つめて言った。
「、、、私ね、初めて会った時から紅羽がフェニックスに見えたんだ。
どんなに絶望しても、苦しくてもがむしゃらに前を向いてる。
何度でも何度でも再生するんだね。
紅羽と出会えてよかった。」
そのときはなんで急にそんなこと言いだすのかわからなくて、ただ笑うことしかできなかったけど今ならわかる。
凪はいつか二人が離れても、私が一人になっても進んで行けると信じてくれていたんだ。
涙が止まらなかった。
私にかけがえのない時間と限りない可能性を教えてくれたのは凪だった。
もう一度、ラケットを握りたい、コートを走り回りたい、コーチやみんなに会いたい。
空いっぱいに咲き乱れる花火を見つめ、立ち上がった。
見ててね、凪。
私はもう一度前に進む。
そしてフェニックスのように紅く熱く燃えてみせる。
犀星 古宮 佑里 @Komiya-Yuri
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