序章 第1話 「新境地」

 朝の陽射しと鳥の鳴き声で、私は目を覚ました。スマホを手に取ると、アラームが鳴る5分前の起床だった。何だか少し損した気分になるが、二度寝する時間も無いので、アラームを解除し体を起こし、制服に着替える。


 2階にある自室から一階の居間へと降りると、出勤前の父と台所で朝ご飯を作る母の姿が見えた。「御早う」と声を掛けると、父は「ん」と頷き、母は「おはよう、聖」と返してくれた。姿が見えないところをみると一つ上の姉はとっくに家を出たみたいだ。新学期の朝にまで早い登校、御苦労なことだ。

 今日は4月の6日。私たちの通う高校の新学期の初日の登校日だ。私は母の準備してくれた朝飯を食べ終えると、身支度をしに洗面台へと向かい顔を洗い、歯を磨き、髪を整え、制服のズレを確認する。この一連の流れはおそらく十分程度で完了する。同じ年代の女子高生はこの支度に大体二十分から三十分を要するようだが、自身の身なりに無頓着な私には、理解のできないことだった。


 今日は新学期と言うこともあり、本格的な授業はない為、殆ど空に近い鞄を手に下げて、私は玄関を出た。「行ってきます。」扉が閉まるか閉まらないかのタイミングで、そう告げ家を後にした。いつもの見慣れた朝の風景、高校までの距離は比較的近い方で、歩いて10、15分で到着する。スポーツの経験はないが、日常的に散歩をする私にとっては、とても短い距離だ。


 校門の前に差し掛かったとき、背後から「おはよう、聖ちゃん」と声が聞こえた。振り返る前に彼女が誰かは分かっていたが、私が振り返り、「御早う、束沙ちゃん」と挨拶を返すと、そこには、屈託のない笑顔を浮かべる、天真爛漫な少女が立っていた。同級生で唯一の友人とも言える。天野 束沙(あまの つかさ)ちゃんだった。。その可憐さときたら、同性の私でも見惚れるほどのものだ。天真爛漫という言葉は、彼女のために作られたのではないかと、真剣に考えてしまうことも多々有るほどだ。彼女のような美貌を保つのは、私には理解できない長時間の身支度も必要なのかもしれない。ちなみに、振り返る前に、彼女だと認識できたのは、学校の中でも私の事を名前で呼ぶのは彼女だけなのだから。余談は置いといて、「今日から、新学期だね!また聖ちゃんと同じクラスだったら嬉しいな!」と束沙ちゃんは言った。彼女の言葉はいつも私のような日陰者が望むような言葉をくれる。私がその言葉を素直に受け入れる事ができるまで、約半年近くの時間を要したが。それくらい私と彼女が、仲のいい友人であることは、私にとっても、周囲にとっても疑わしいことなのだ。「そうだね。束沙ちゃんは大丈夫だと思うけど、私はクラスが離れちゃったら、孤立しちゃうから、一緒だと良いな。」言葉にしてから、なんと卑屈な言い回しだろうかと、少し自己嫌悪をおぼえた。「そんな事ないよ。私も聖ちゃんがいないと、ダメだよ。さ、早く見に行こう!」束沙ちゃんにそう言われ、少し小走りで下駄箱に向かった。


 下駄箱に着くと、多くの同級生が、掲示板の前でざわついていた。私は人混みの遠巻きの中から、目を凝らし、4つのクラスの中から、自身の名前を探した。あいうえお順の出席番号が振られたクラス表の中から、阿久原という苗字の為、クラスの上位に位置される自身の名前を見つけ出した。2-4のクラスに自分が決まったことが、分かった。だがそこは重要ではなく、同じクラスに彼女の名前があることが重要なのだ。比較的近い出席番号になる彼女の名前を探すため、視線を下ろすと、


2年4組

出席番号 1番 阿久原 聖

     :

     4番 天野 束沙


彼女の名前を見つけ、ホッと胸を撫で下ろし、彼女の方に視線を向けると、彼女は目を伏せ、両手を合わせて、必死に何かを願っていた。そして「聖ちゃんどうだった。私は怖くて見れないよ」少し震えた声で彼女は私にそう言った。「大丈夫、一緒だったよ」そう告げると、彼女は目を見開き、クラス表を目にすると、子供のようにはしゃぎながら、「やった、一緒だったよ!良かったー」とピョンピョンとはしゃいでいる。私もそんな彼女をみていると、うれしさがさらにこみ上げてくる。内心では別に彼女と離れても、何とかなると保険を貼っていた私だが、予想以上の嬉しさと安堵を感じるということは、本心ではそうでは無かったのだ。お互い一呼吸置き、改めてクラス表を眺めていると、「今年のクラスは去年違うクラスだった人が多いねー。それに結構有名な人たちも結構いるね」束沙ちゃんにそう言われると、交友関係の乏しい私には、そうなんだとそれには全く気付いていなかったが、有名な人という部分には、確かに私でも耳にしたことがある同級生たちの名前が記されていた。


 クラス表を一通り見終え、自身のクラスへ向かおうとして、束沙ちゃんに目を向けると、多くの同級生が同じクラスになれたことに喜びの声をかけ、違うクラスになったことへの悲しみの意志を告げるため彼女の周りに多くの人巻きができていた。「束沙ちゃん、先に行ってるね」と告げると、束沙ちゃんは待ってと言わんばかりの表情だったが、それを待たずに私は新しいクラスへと歩を進めた。これでいいのだ。自分に言い聞かせた。彼女は多くの人に愛されて求められる存在なのだ。私以外にも彼女と関わりたい人間は沢山いる。それに私は「友達の友達は友達」という考え方は、真っ向否定派なのだ。


 クラスに入り、自身の席である左角の一番前に着席した。使う気のない筆箱とメモ用の手帳を机に並べ、一番最初のHRの開始を待った。ほかのクラスメイトたちも少しずつ、クラスに入り始め、それぞれの仲間内で、談笑を始めている。私は窓から外をボンヤリと眺め、時間が過ぎるのを待った。HR開始の数分前に、周囲の声から束沙ちゃんもクラスに入り、私の3つ後ろの席に着席したみたいだ。周囲のクラスメイトはそれを待っていたかのように、彼女の席へと向かい声をかけ始めた。それとほぼ同時にチャイムが鳴り、各々名残惜しそうに自身の席へと帰っていった。その後は、淡々と時間が過ぎ、私が気づいた時には、少し早めの放課後となっていた。


 案外、新学期の初日というのは、こんなものだ。特筆するとしたら、クラスの新しい担任は現国の先生だったことと、始業式の挨拶を姉が務めた事くらいだろうか。まぁ特筆するとしたらの事柄であり、担任の件はクラス表を見たときに片目にやっていたことであり、姉については起こり得るべき事象であると想像ができていた為、大きな驚きはなかった。私の中では朝一のクラス分けが自身のなかの一番のイベントでもあり、それ以外はどうでも良かったのだ。


 新しい教科書や書類を鞄に入れて席を立ち、3つ前の席の彼女へと歩を進め「束沙ちゃん」と声を掛けると、彼女は少しむくれた表情で机にうなだれるように座っていた。原因は朝、私が彼女を置いてクラスに向かったことだろう。「怒ってるよね?」そう尋ねると彼女は、「全然大丈夫だよ」と拗ねたように、口を開いた。その返事に私が苦笑いを浮かべていると、彼女は身体を起こし、「冗談だよ。本当に怒ってないよ。私の方こそ聖ちゃんを先に行かせてしまってゴメン」と笑顔でそう告げた。非がない彼女を謝らせてしまったことにさらに申し訳なく感じたが、「一緒に帰る?」と自信なさげに伝えると彼女は笑顔で頷き、鞄を持って席を立った。帰り路に彼女と世間話を交わし、途中の道で別れ、家路へと向かった。


 今日からまた始まる私の日常、なんてことはない当たり前の日々が始まった。私はそういう日々を過ごす、ありふれた何気ないどこにでもいる高校二年生なのだ。ただ私の中に潜むアレを除けばの話ではあるが。まだ少し日の高い時間にいつもの風景を眺めながら私は家路を急いだ。夕暮れや夜の外は少し苦手だから。

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