002.渇望の砂
第1話 老人の愛
あの化け物は、いまだに彼らを追っていた。
エデンは車の後部に向かって振り返り、銃を構えて撃った。
だが――弾はまったく効かない。
「もっとスピード出せよ! 見りゃわかるだろ、ヤバいって!」
エデンが叫ぶ。
「これ以上どうしろってんだよ! もうメーター振り切ってるわ!」
ハンドルを握るラマーが怒鳴り返した。
「しっかり掴まれ!」とラマー。
「それ、さっきからずっとやってるっつーの!」
エデンがぼやく。
「お前の励まし、全然役立たねぇな」
ラマーが吐き捨てる。
「気に入らねぇなら降りて、あの化け物と遊んでこいよ!」
基地の目前で、カラミティが彼らの車を吹き飛ばした。
車体は宙を舞い――その最中、アリアが剣で車を真っ二つに斬った。
剣は破片と一緒に砂に突き刺さる。
空中を回転しながら、車は屋根に墜落した。
エデンは頭から突っ込み、アリアはラマーの腕の中へ落ちた。
ラマーは彼女を優しく地面に下ろす。
二人と一体、しばし無言で風景を見渡した。
「何か見えるか、ラマー?」
「いや……そっちは?」
「同じく、何もだ。」
二人は同時に笑い出す。
「ま、生きてるだけマシか。」
三人は車から降り、施設の中へ入った。
そこは大きな生物研究基地だった。
中には九人の人影がいた。
ひとりの男が前に出る。
「ようこそ。俺はデイビッド。『博士の秩序』の研究員だ。こっちは妻のサリー、娘のソフィー、そして末っ子の――」
その子供は、アリアを見るなり父親の背に隠れた。
アリアもまた、エデンの背中に隠れる。
互いに、ちらりと顔を覗かせる。
「……カラミティ、か?」
デイビッドがつぶやく。
「違う。彼女は俺の仲間だ。」
エデンが即答した。
デイビッドは手話で息子に伝える。
「この人は“カラミティじゃない”って言ってる。怖がらず、挨拶してごらん。」
少年はおずおずとアリアに歩み寄る。
アリアも同じように近づいた。
二人は目の前で立ち止まり、
アリアはしゃがみ込んで顔を両手で隠した。
少年はそっとその手を外し、手話で言う。
『パパが言ったよ。君を怖がらなくていいって。だから、君も僕たちを怖がらないでね?』
アリアは小さくうなずいた。
『僕、トニー。君は?』
『アリア。』
二人は微笑み合う。
「おえっ、見てらんねぇな。」
不意に別の男が口を開いた。
「もう少しで泣き出すんじゃねぇの? ったくよ、暇ならカラミティぶっ倒す準備でもしろや!」
そう言って、そいつは別室へ去っていった。
そのあとを、犬を抱いた女が追う。
「そうだねぇ、ワンコ。ここの連中、みんな腰抜けだわ。」
女が犬に話しかける。
デイビッドが説明する。
「今の二人はリックとケイティ。あまり愛想はない。犬の名はクロケットだ。」
「それから、残りの二人がミスター・ボーンズとミセス・ボーンズ。」
小柄な老夫婦が近づいてくる。
ミスター・ボーンズがエデンとラマーに笑いかけた。
「やぁ若いの。お前さんら、いい体してるなぁ!」
ミセス・ボーンズはアリアのもとへ行き、いきなり尻を叩いた。
アリアは慌てて後ずさる。
「まぁ、なんて綺麗なお嬢さん。うちの娘にそっくり……でも、あの子のほうがちょっとお尻がぷりっとしてるねぇ。」
ミセス・ボーンズが言う。
「お前さん、うちの娘を嫁にもらわんかね?」
ミスター・ボーンズがにやりと笑った。
「そりゃ名案だ!」
ミセス・ボーンズも大はしゃぎ。
老夫婦は手を取り合ってその場で踊り出した。
「娘は背が高くて、力持ちで優しいんだよ。」
「それに料理も上手い。母親譲りさ。」
「さぁ、どうだね? 結婚してくれるかい? ね? ね?」
「すみません、俺はちょっと……」
ラマーが苦笑する。
「なにぃ? 大柄な女性は苦手かい?」
「いや、そうじゃない。ただ……心に決めた人がいるんです。」
「エレナが黙ってないだろうな。」
エデンが口を挟む。
「まぁいいさ。じゃあ君はどうだい、エデン?」
ミセス・ボーンズが振る。
「俺の心は戦場にある……けど、いつかは結婚を考える日が来るかもな。」
「残念ねぇ。でも結婚するときは招待してちょうだい。娘を連れて行くから。」
「約束だ。」
二人は笑って答えた。
「さぁ、お腹が空いたろう? もうすぐ夕飯だ。王族の料理を作ってやるよ。」
ミセス・ボーンズが胸を張る。
「助かる、腹ペコなんだ。」
エデンとラマーが声を揃える。
ミスターとミセス・ボーンズは、嬉しそうにアリアを連れて台所へ向かった。
一方、エデンとラマーは制御室に入る。
そこではサリーが通信機をいじっていた。
「……もしもし? こちらサリー、『博士の秩序』の研究員です。応答してください!」
通信は雑音まじりで、途切れ途切れだった。
「助けが必要なの! 誰か――」
プツッ。
回線が切れた。
「大丈夫だ、サリー。きっと迎えが来る。」
デイビッドが彼女の肩に手を置く。
「本当に? ……私たちが、あんなことをしたのに?」
「気にするな。疲れたろ、少し休め。」
エデンが口を開く。
「すまない、少しだけ質問を。……今の状況、詳しく教えてもらえますか?」
デイビッドは一瞬だけ目を細め、警戒した様子で答えた。
「俺たちは『博士の秩序』の命令でここに来た。研究のためだ。家族を置いていけなくて、全員で来たんだ。だが帰ろうとしたらカラミティに襲われてな……ここに閉じ込められてる。」
「その研究って、何の?」
ラマーが問う。
「極秘事項だ。……お前たちはこの部屋に入っちゃいけない。」
サリーが遮るように言った。
その頃、リビングではケイティが自分の腕にタトゥーを入れていた。
隣ではソフィーが興味深そうに見ている。
「ねぇ、私にもやってくれる?」
「いいけど、親にバレたらヤバくね?」
「平気。どうせ、あの人たち私のことなんか気にしてないもん。弟のトニーばっかり。……もしかして私、ほんとは拾われた子なのかも。」
「わかるわ、それ。私も昔、親に反発して家出したの。で、リックのとこに転がり込んで、今の私ってわけ。」
「ふふ、かっこいい……」
「よし、仕上げるね。アンタにも“独立の印”を。」
ケイティは自分の腕を終えると、ソフィーの腕に針を当てた。
「見つかったら、パパたちに殺されるかも……」
「大丈夫。これでアンタも、ちゃんと“見てもらえる”ようになる。」
その時――クロケットが部屋に飛び込んできた。
トニーが後ろから笑いながら追いかけている。
「こらガキ! その犬いじめんな! ストレス溜めたら値段下がるだろうが!」
ケイティが怒鳴る。
犬はこの世界では貴重で、高く売れる生き物だ。扱いが良ければ、さらに価値が上がる。
トニーは立ち止まり、クロケットを見た。
犬は吠え、トニーも怯えたように一歩下がる。
そして姉のソフィーを見上げ、手話で訴える。
『ソフィー、僕……』
「うるさい! どっか行けよ、トニー!」
ソフィーが怒鳴った。
「いつもあんたばっか! “トニーがこれ”“トニーがあれ”って! もううんざり! お願いだから消えて!」
トニーは言葉は聞こえないが、その声の迫力で全てを理解した。
大粒の涙をこぼし、その場を走り去る。
ソフィーは我に返り、唇を噛んだ。
「……やるじゃん、ソフィー。ちゃんと“上”を取れたわね。」
ケイティが笑う。
「……ちょっとキツすぎたかな。」
「全然。むしろまだ甘いくらい。」
「そう……なんだ。」
タトゥーを終えたあと、リックがケイティの腕をつかんだ。
「ついてこい。」
「いや、痛いってば。」カティが言った。
「さっさと来いよ。ここでやられたいのか?」
カティはソフィーに笑みを向けた。
「タトゥー、終わったよ。また後でね。」
「うん、また後で。」とソフィー。
二人が部屋に入ると、すぐに口論が始まった。
「嫌よ!」カティが叫んだ。
「それがなきゃ、お前なんか役立たずだ!」とリックが言い返す。
空気が一気に張りつめ、ミスター・ボーンズが止めに入った。
「まあまあ、落ち着け。リック、女の子を無理やり従わせるんじゃない。落ち着いて、仲直りのキスでもしなさい。」
怯えたカティはミスター・ボーンズの背中に隠れた。
「死んだほうがマシだ!」リックは吐き捨てた。
ミスター・ボーンズは静かに言った。
「今夜しないなら、飯抜きだ。」
小競り合いの末、空腹に負けたリックはしぶしぶカティを抱きしめた。
「ほら、仲直りだろ?」とミスター・ボーンズ。
すると、ミセス・ボーンズの声が響いた。
「ごはんできたわよー!」
その瞬間、電気が落ち、あたりは真っ暗になった。
別室にいたサリーがエデンとラマーに言った。
「待って、部分的に落ちただけみたい。」
少し経つと、制御室の電力が戻った。
エデンが尋ねた。
「こんな急に停電するなんて、普通か?」
サリーが答える。
「いいえ。消費量が多すぎるの。」
デイビッドが補足した。
「俺たちが来たとき、ここは四人用にしか補給してなかった。でも今は十一人いる。そりゃ資源も減るさ。」
ラマーが言う。
「じゃあ、この状況を改善する手はないのか?」
サリーは答えた。
「少し離れたところにもう一つ基地があるの。そこなら食料もエネルギーも手に入るはず。」
エデンが「どこだ?」と尋ねると、デイビッドは地図を指差した。
「明日、そこへ行こう。スリル満点の遠征だ、準備はいいか、相棒?」
「もちろんだとも!」とラマーが笑った。
その時また、ミセス・ボーンズの声が響いた。
「ごはんできたってば!」
エデンとラマーは屋上へ出て風に当たった。エデンがラマーに向き直って言う。
「新しい技、見せてやるよ。驚くなよ。」
ラマーが挑発的に笑う。
「お前のチンケな技なんか怖くねぇ。」
エデンが小声で呟く。
「チンケかどうか、すぐ分かるさ。」
「準備は?」
「もちろん!」
ラマーがカウントを始めた。
「さん……」
エデンがいきなり走り出す。
「おい、いちって言う前だろ!」
「いいだろ、やってやるよ!」
エデンはラマーの目前まで詰めると、ラマーの拳をかわして足元に滑り込み、ワイヤーを絡め取った。ラマーの体が宙に浮く。
背を向けたまま、エデンが言った。
「ほらな、技を使わなくても勝てたろ?」
振り向くと――吊るされていたのはラマーではなく、ジャガイモの袋だった。
背後に気配。振り向いた瞬間、二人は激しく殴り合った。
銃声が鳴り響き、エデンが叫ぶ。
「フィア・パンチ!!!」
その拳が炎をまとい、ラマーの胸へ突き刺さる。爆風とともにラマーが屋上の端まで吹き飛ぶ。煙が立ち込める中、エデンは膝をついた。
煙が晴れると――またもやジャガイモの袋。
背後から手が差し出された。ラマーが笑っていた。
「おい、立てよ。」
エデンはその手を取りながら、銃口をラマーの股間に向けた。
「ま、負けたよ。降参だ。」
ラマーが苦笑する。
「見事な体術だったな。」
「ハッピーの街にいた頃に考えた技だよ。」
訓練を終えた二人は寝転がり、ビールを飲んだ。乾杯しようとした瞬間、エデンの瓶が落ちて割れた。
「ドジだな。」とラマーが笑う。
だが次の瞬間、ラマーのビールもエデンの手に奪われた。
「俺の勝ちだな。」とエデンが言ったが、手元は空っぽ。
見ると、ビールはミスター・ボーンズの手にあった。もう一方の手には皿。彼は一気に飲み干して言った。
「子どもたち、ごはんだよ。」
ビールを奪われた二人は料理に期待をかけたが、ひと口食べた途端――しょっぱい! 顔をしかめた。
「どうだい? 美味しいか?」
「う、うん……」と二人は無理やり笑った。
ミスター・ボーンズは穏やかに言った。
「無理するな。娘がいなくなってから、妻は味付けが極端になった。でも俺にとっては、どんな味でもうまいさ。」
エデンが尋ねる。
「娘さんの話、聞かせてもらえますか?」
ミスター・ボーンズはゆっくりと語り始めた。
「若い頃の娘は、それは美しかった。男たちは皆、彼女を娶りたがった。俺は試したんだ――“死んだふり”をさせてな。そしたらどうだ、皆、贈り物を引き上げて去っていった。愛を語ってた連中も、嘘ばかりだった。」
「だが一人だけ、本当に愛してくれた男がいた。貧しくても、心が清かった。彼は毎日、稼いだわずかなお金の半分を俺たちに、半分を母親に渡していた。何も持たず、同じ服を何日も着て……それでも笑っていた。」
「ある日、金がないのにそれでも謝りに来たんだ。俺は感動して真実を打ち明けた。娘は生きている、と。彼は泣いた。喜びの涙だった。」
「その後、二人は結ばれた。男は剣の腕が立ち、仕事を得て、結婚式を控えていた。だが一週間前、カラミティに殺されたと知らされた……美しい物語は長くは続かんものだ。」
「娘はその日を境に記憶を失い、俺たちを忘れて逃げた。妻はひどく落ち込み、料理も変わってしまった。探しに行った先で偶然、彼女を見つけたが、覚えてはいなかった。それでも、俺たちは彼女を見守り続けた。」
「その帰り道、リックとカティに出会った。エドワードという人物を訪ねる途中だった。リックの父か兄だと聞いた。だが近道を通ったせいで、ここに閉じ込められたんだ。」
その時、リックが屋上に現れ、大声で叫んだ。
「なんだこのマズい飯は!」と皿を砂に投げ捨てた。
激昂したラマーが掴みかかる。
「食えない奴らもいるのに、何してんだテメェ!」
「やめなさい、ラマー。いいんだよ。」ミスター・ボーンズは微笑んだ。
リックは黙って部屋に戻った。
夜になり、皆が寝静まる頃。
サリーがソフィーの背中を見て驚いた。
「えっ、タトゥー!? ちょっと目を離したらこれ!? しかも兄を殴るなんて、あんた何考えてんのよ!」
震える声でソフィーが言う。
「わたし…いらない子なんでしょ。お母さんもお父さんも、トニーばっかりで…わたしなんか見てくれない。苦しいのに、誰も気づかない…」
そこへミスター・ボーンズが入ってきた。
「サリー、ソフィーの話をもっと聞いてやりなさい。思春期の子は、心が不安定なんだ。
そしてソフィー、お前も両親の気持ちをわかってやれ。大人も大変なんだ。手伝えることがあれば助けてやりなさい。」
「デイビッド、お前ももっと家族に言葉をかけろ。父親なんだからな。うちの娘も同じだった。理解してからは、ずっと大切にしてるよ。」
「じゃあ、おやすみ。」
そう言って部屋を出ると、リックとカティの笑い声、そして眠るエデンとラマーの寝息が聞こえた。
自室に戻り、妻の隣に静かに横たわる。
「ボーンズ、大丈夫?」
「ああ。でもお前こそ、寝てないのか。」
「あなた、食べてないでしょ。」
「わかるか?」
「あなたのこと、一番わかってるのは私よ。」
「はは…心配かけたくなかった。量が足りなかったから、みんなに譲ったんだ。」
「残念だけど、みんなが食べられたならそれでいいわ。明日、食料を持ち帰ったら、あなたの好きな料理を作るわね。」
「ありがとう、愛してるよ。」
二人は静かに眠りについた。
翌朝。
エデン、ラマー、アリア、リック、デイビッド、サリーが出発の準備を整えた。
ミスター&ミセス・ボーンズ、トニー、ソフィーは音を立てて出発をカバー。
エデンとリックがバイクに跨り、残りは車に乗り込んだ。
しかし、追跡してきたのは地中のカラミティではなく、長い脚を持つ別種のカラミティだった。熱源に惹かれ、迫ってくる。
エデンとリックが車から離れ、敵を引きつけた。
エデンは銃を構えるが、化け物は弾をかわす。即興で坂道に飛び込み、バイクを宙返りさせながら上空から撃ち下ろす。
リックも負けじとバイクで突っ込み、空中で手榴弾を投げつけた。爆発音が響く。
やがて彼らは第二基地に到着した。そこはC字型の巨大な施設で、中央には稲妻の形をした装置があった。
「雷を集めてエネルギーに変える仕組みだ。」デイビッドが説明する。
物資を集めていると、通信音が鳴った。サリーが出ると、ソフィーの声だった。
『お母さん、トニーとクロケットが見えないの。探してるけど…!』
「すぐ戻る!探し続けて!」
その頃、トニーはクロケットを追いかけて外で遊んでいた。
砂の下から忍び寄るカラミティに気づかないまま。
屋上のソフィーとミセス・ボーンズが叫ぶ。
「トニー!!!」
だが届かない。
ソフィーは走り出した。
――遅かった。
カラミティが跳ね上がり、トニーへ迫る。
ミスター・ボーンズが飛び出し、トニーを突き飛ばした。
トニーはかすり傷で済んだが、彼自身は……そのままカラミティに呑み込まれ、砂の中へ消えた。
ミスター・ボーンズが飛び出し、トニーを突き飛ばした。
トニーはかすり傷で済んだが――しかし、カラミティはミスター・ボーンズを丸ごと飲み込み、彼を砂の中へと呑み込んでいった。
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