カラミタス 闇に生まれた世界で、ただ一人の彼女だけが僕を覚えている
氷
000.目覚め
第0話 思い出せ、俺を
これから語られる物語は、太陽を奪われた暗い時代のことだ。かつては明るく広がっていた空は、厚く黒い雲に覆われ、どんな光もそこを突き抜けることはなかった。
その暗闇の世界では、「カラミティ」と呼ばれる恐るべき存在たちが支配していた。希望の光は吹き飛ばされたかのようで、生きて目を覚ますこと自体が奇跡に思える。となり人、友、人、兄弟―誰もが、知らぬ間にカラミティとして潜んでいるかもしれないのだ。
森の中の丘に、世界から孤立した一軒の家が炎に包まれていた。炎はあらゆるものを貪り、夜を赤く不吉に染め上げている。その炎の手前で、男が上半身裸で地面に横たわっていた。身体は血にまみれ、目は閉じられ、呼吸は乱れている。半意識の中で、彼の精神に声がこだました。
「僕を覚えていて。」
彼は激しく跳び起きた。いきなり目を見開き、荒い息を吐き、視界はぼやけている。よろめきながら起き上がると、灼けた地面の熱を肌に感じた。背後で炎が饑えた獣のようにうなりを上げている。
――何だ…? 何が起きてる…? 俺は誰だ?
彼は周囲を慌てて見渡した。焼け落ちた木々、炎に包まれた家、そして孤独だけ。返答はない。何も、誰もいない。
彼は全力で叫んだ。
――誰かいるか!?
だが応えたのは炎のはぜる音だけだった。風でさえ彼を無視しているかのようだ。彼は荒廃した世界のただの見知らぬ者に過ぎなかった。
自分の肌を覆う血を見つめる。手は震えている。目立った傷は見当たらない。彼は自分に言い聞かせた。
「この血……俺のじゃない……じゃあ、誰の?」
一瞬、黒い稲妻のような考えが頭をよぎる。
「もしかして……俺がこの家に火をつけたのか? でもなんで? 目的は?」
問いは山ほどある。答えはひとつもない。 本能で視線を左に移すと、草むらに武器があった。単純な武器だが、意味は重い。彼は苦労して立ち上がった。胸に走る痛みは骨が砕けたようだった。右手に武器を取り、左手で折れた肋骨を押さえた。 裸足で、視界はぼやけたまま森へと歩を進める。一歩一歩が痛い。地面は冷たく湿っている。周囲からは不気味な音が聞こえる:揺れる葉音、羽ばたきの音…… 頭上では、奇妙な飛ぶ獣たちが暗い空で争い、むさぼり合っていた。
――たぶん……でかいチキンだ、と思った。混乱した考えだ。
息を切らしながら進むと、やがて死体の山が見えた。判別不能なほど積み重なった屍。腐り、切り刻まれている。
――動物の仕業だろう、吐きそうになりながらそう呟いた。
さらに進むと、誰かの姿が見えた。屈んで何かを食べている人間が、木の陰に半分隠れている。彼はゆっくり近づいた。
――いただきます、礼儀として言った。
返事は低いうなり声だった。男は眉をひそめる。
――よほど腹が減っているらしい……
邪魔をしたくなくて、彼はただ尋ねた。
――他の人はどこにいるか知ってますか?
黙って食べている跪いた男は、街の方角を指さした。
衰弱した身体で、俺は再び歩き出した。進むほどに視界はどんどんぼやけていった。森の縁で、強烈な光が見えた。まるで巨大な猛火のように。そしてその光の中に、一つのシルエットがまっすぐに立っていた。
俺は武器を握ったまま、震える足で近づいた。シルエットの顔は判別できなかったが、落ち着いた声で俺に話しかけてきた。
――「大丈夫、助けてあげようか?」
その一言で、武器を持っていた俺が泣き始めた。体格も大きく、筋肉もあり、武器を構えているはずの俺が、まるで子供のように声をあげて泣いたのだ。知らない男だったのに、その仕草と静かな声だけで、感情の最後の壁が壊れた。
男は黒いジャケットにズボン、地味な靴を履いていた。できる限りの慰めをくれた。
――「大丈夫か、君?」
――「自分が誰かもわからない…ここに何しにいるのかも…」と俺は男に言った。
――「落ち着け。泣くな。きっと思い出すさ」と男は答えた。
――「君が見える中で唯一普通に見える人だ…」と俺は言った。
――「まずは落ち着け。君の言ってることがよくわからない」と男は言った。
俺は落ち着き、深く息を吸って、少しずつ話し始めた。
――「誰か、助けてくれる人を知りませんか?丘の上に…家が燃えてるんです…」
男は笑った。
――「まだショック状態なんだろう。丘の上に火なんてないよ」
少し間を置いて、
――「でも大丈夫さ。ユーモアも時には効くものだ」
そして二人は、何故か笑った。
男は言った。
――「町の祭りにでも行ってみたらどうだ。新しい町長の就任式だ。そっちなら答えや助けが見つかるかもしれない」
俺は男をその場に残し、言われた通りに町へ向かった。視界はますますぼやけていく。祭りから戻ってくるらしい老女が乳母車を押しているのが見えた。挨拶したが返事はなかった。乳母車の中を覗くと――からっぽだった。
――「幻覚でも見ているのか…」
進むほどに、光は不穏さを増していった。そこは祭りではなかった。火事だった。
そのとき気づいた:町全体が炎に包まれている。悲鳴。子供たちの泣き声。俺は泣き声のする家へ駆け込んだ。
――「あの老女の子供だ…!」
閉まった扉を割る力はなかったので、石で窓ガラスを割り、鍵をこじ開けて中へ入った。泣き声は弱まっていた。二階へ上がると、俺はそこで目にした。
老女が四つん這いになって――赤ん坊をむさぼり喰っていたのだ。
吐き気が込み上げ、俺は呆然と立ち尽くした。炎は天井に迫っている。ゆっくりと、俺は銃を構えた。旧い災厄──カラミティは血の匂いを感じ、こちらを振り向いた。俺は撃った。煙とともに、老女は消えた。
だが、突然その老女が俺めがけて飛びかかってきた。その瞬間、別の雌の化け物が現れ、老女とぶつかり合って床を突き破った。二階には、焼け焦げた人間の死体が散乱していた。森で見た死体と、あの男が食べていた光景がよみがえり、再び吐いた。雌の生物と老カラミティが、牙と爪で激しくぶつかり合っていた。
雌はテーブルを持ち上げて投げたが、カラミティは歯でそれを砕いた。壁を這うように登り、蜘蛛のように跳び、雌に襲いかかった。二体は家の外へ飛び出していった。
俺は炎の中で赤ん坊を抱き、裏手から逃げ出した。
――「大丈夫だ、医者のところへ連れていくからな」と俺は子に言い聞かせた。
赤ん坊を見る勇気はなかった。振り返らずに走り続けた。
そしてまた、あの声が聞こえた。
――「私を覚えていて」
雌とカラミティの戦いは激しさを増していた。両者とも獣の如き猛攻を繰り出す。カラミティは巨大な衝撃で雌を広場の大きな噴水の方へ弾き飛ばした。衝突で噴水の縁が砕け、石の破片が飛び散る。
雌は破片を掴むと、それを振り回してカラミティへ投げつけた。カラミティは悲鳴のような声を上げて横へ避けたが、それは囮に過ぎなかった。雌はその隙を突いて別の大きな石塊をぶん投げ、カラミティの脚に直撃させた。嫌な音が鳴り、骨が砕けた。
カラミティは怒りで叫び、だが獰猛に己の損傷した脚を爪で切り裂き、驚異的な再生で新たな肢を形成し始めた。二体は再び咆哮しながら激突した。カラミティは四つん這いで雌めがけて飛びかかり、噴水に叩きつけた。噴水は粉々に砕け、水が広場を濁らせて流れたが、雌は再び立ち上がった。
そのとき、濁った水の下で何かが光った。剣だ。長年そこに埋もれていた剣。雌はそれを掴んだ。その刃は、カラミティを屠るために鍛えられた鍛冶の系譜に伝わる古い一振り、――闇の剣だった。黒く、重苦しい気配を放っている。
雌は剣を掲げた。血にまみれた顔にもかかわらず、その視線は鋭く、向かい合う怪物に挑んでいた。カラミティが全速力で突進する。瞬時に剣が振り下ろされ――カラミティの首は刃で真っ二つに切り落とされた。無音の落下とともに、カラミティは崩れ落ちた。
だが、終わりではなかった。戦闘の気配は他のカラミティたちを引き寄せていた。雌は剣を握りしめ、襲い来る群れに向かって立ち向かった。疲れ切ってはいるが、決意は揺るがない。
その間も、俺は赤ん坊を抱えて走り続けた。息を切らし、心臓は破裂しそうだった。前方にカラミティが現れ、俺は正確に撃ってその頭部を吹き飛ばした。止まるわけにはいかない。生き延びなければならない。あの子を守らねば。行く手を阻む怪物は、ためらいなく倒した。
ようやく追跡の気配が消え、俺は息を整えるために立ち止まった。
そして、彼女を見た。
剣を手にした雌の生物が、こちらを見て立っていた。疲れ切り、傷と血にまみれている。震えている。苦しげだ。それでも、こちらをじっと見据えていた。
俺は銃を構え、弾を込めた。引き金に手をかけた瞬間、彼女はかすれた声で言った。
――「エデン……」
バン。弾は放たれた。
–––
突然、別の場所で誰かの声が笑いながら響いた。
――「つまりここが、俺の落ちた異世界ってわけか。あいつら、これから何が待ってるか知らないんだな」
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