一人称領域

箔塔落 HAKUTOU Ochiru

一人称領域

 男はみんな、自分のなかに「ぼく」の領域と「おれ」の領域と「わたし」の領域を持っていて、その中で普段使いする部分といったら多くのひとにとっては限られている。けれども彼は、「ぼく」と「おれ」と「わたし」をいともなめらかに横断し、おそらく状況に応じてなのだろう、自由自在に複数の一人称を使いこなした。はじめのころは詐欺師のような印象だった、と友人になったあと笑いながら告げると、ただの秘密主義者だよ、と答えが返ってくる。秘密主義者? つまり、ふだん「おれ」を使っているひとが使う「ぼく」は特別な意味を帯びるだろう? いわば、自らの中にある異邦さ。わたしはそういうのが嫌なんだよ。そういうのを持つのがいやなんじゃない。そういうのを持っていることをだれかれかまわずあけすけにするのがいやなんだ。だれもかれも煙に巻いていたい。秘密主義者ってことは、ぼくは彼の肩に手を置いて耳打ちする。秘密があるってことだ。あるよ、とっておきのがね。ぼくの手を払いながら彼は答える。ふうん、とぼくはにやにやする。それっておれに教えていいことだったの? なぜ? それはだれかれかまわずあけすけにすることとは違うの? 違うよ。ああ、付け加えるなら違うと言ったのは「あけすけにすること」ではなく「だれかれかまわず」のほうな。意味がわからん。どういうことだと思う? 彼はぼくの肩に手を置いて耳打ちをする。

「なあ、どういうことだと思う?」

 思わずぼくがにやにやした顔を浮かべると、彼はふっと笑った。きみはどうやら、どきどきしたときににやにやした顔をするようだねえ、と。

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