ぬばたまの天子

宝井星居

序 姫君の懇願

 

      

 とはヒオウギの黒い実のこと。

 万葉集では枕詞として使われております。

 黒や夜…闇をイメージさせる言葉をみちびくのです。






 変わり者……。 


 お兄さまはまことに変わっておりますの。


 お姿でなくお心のほうが……好むものが変わっていて、変わり過ぎでまったく理解が出来ません。


 お部屋でからすを飼おうとして、衣をよごされたり喰い破られたり、目をつつかれそうになったあげくお食事をくわえて逃げられてしまったり。


 黒猫のときはよかった、ひっかかれてましたけど。

 あの子おびえていただけ。お腹も空かしていて……。ご飯をあげたらおとなしくなって、あたくしの手を舐めにゃあと鳴くから許してあげました。





 でも教母せんせい……


 今度のはむり! あたくしには絶対むりなんです。卑しい者たちを使って沼地で捕まえさせたんです。黒くて長くこわくてきもちのわるい、あれあれ……あの大蛇おろち巨盥おおだらいに入れて飼いはじめたのです。


 おぞましい! きっと腐った魚みたいないやな臭いをさせているに決まってます!! なのにお兄さまは夢中になって、子猫のことなんか忘れたみたいに、毎日毎日盥を覗きこんでいるのです、うっとりした顔をして。


 男の人ってそういうものなのでしょうか?


 女のあたくしには理解できない…気持ちのわるい生き物をあんなに愛せるのでしょうか?


 そしてもっとおそろしい! おぞましいことを昨日お兄さまが囁いたんです。


 「くろ(大蛇の名前です)を寝床に入れてみたら、膚がひんやりしていてとても心地よかった。お前もためしてみるかい?」


 あたくしはぶるぶる震えて、その場で天帝かみさまにお祈りしました。助けてください、この変わり者のお兄さまから引き離して下さい!と一心にお祈りしました。


 


 ……したら、お兄さまはこうおっしゃいました。


 「お前は変だよ、珠々しゅじゅ


 お兄さまは猫撫で声で言うのです。

 でも許せない! すごい変わり者のくせに、妹のあたくしのほうが変だなんて…ひどい。ひどすぎる!

 どうしても許せなくて、あたくしはとうとう泣き出してしまいました。


 するとお兄さまは言いました、泣いているあたくしの頭を撫でながら。


 「お前は変だけど、お前の髪はよりも長くて…艶やかでとてもきれいだと思うよ。暑い夜にひんやりはさせてくれないけれど。月の夜に寝床の傍らに、とぐろを巻いた蛇のように、長い髪をひとまとめにして寝ているようすはとても佳い、愛愛しいと思うのだよ。僕は思うのだ。僕に魔道おんみょうの才がありさえすれば、お前や姉じゃや、女官にょかんたちの長い髪を一人のこらず、僕のくろと同じようなものに変えてあげられる。……したら、どんなに愛愛しく美しくなるだろう? 眠らなくても見られる夢のように想うのだよ」


 こんなことをおっしゃるとき、しょうお兄さまの眸の色は吸い込まれそうな暗黒でした。


 そのときお兄さまは微笑わらっていましたが、あたくしにはわかりました、本気なのだ。本気で言っていて、自分の異様な思いつきにうっとりしているのだ。

 あたくしは気づきました、漆黒の大蛇を飼って可愛がるなんて、ふつうの人のしないことをするお兄さま……。

 そうやって別のもっと異様な——人間の触れてはいけない、もちろん魔道をつかってやってもいけない——思いつきをなだめているのではないだろうか? 

 自分のお兄さまの心の底を疑ってしまったのです。


 そうです、お兄さまの暗黒をかいま見てしまったから、こうして教母せんせいにお話しして、お願いしようと思いたったのです。


 やがて天子となられるお兄さま、天命を受けこの世で最もとうとい地位に上るお兄さまに、魔道の力まで授けないで下さいませ。

 どんなに請われようとも、天子の権威をつかって命じられても、決して……


 お兄さまの、ぬばたまの夢を叶える手助けをしないで下さいませ。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る