第6章

試食会の翌日、美術室。

扉を開けると、件の女子生徒が一人でキャンバスに向かっていた。筆を握るその指先は、わずかに力を込めながら、繊細なタッチで画布をなぞっている。

「創立記念日の限定プリンを盗んだのは、あなたね。月岡結愛さん」

静かな声が室内に響く。鈴香は逃げ場を塞ぐように彼女を見据えた。

名前を呼ばれた女子生徒の肩がびくりと震えた。

「な、なんのこと……?」

綾音がタブレットの画面を女生徒に向けながら冷静に指摘した。

「とぼけても無駄です。SNSの投稿で、月岡様が限定プリンを手に入れたくて仕方がなかったことは調査済みです。それは証拠として残っています」

女子生徒の顔から、血の気がすうっと引いていく。視線は泳ぎ、手の中の筆は力なく垂れ下がった。

周平は、労わるように目の前の女子生徒に話し掛けた。

「そして、プリンは、月岡さんにとってただのスイーツじゃなかった。美術の片桐先生がデザインしたものだったから。君が片桐先生をすごく尊敬していることも、美術部員から聞いたよ」

「……どうして……」

しぼり出すような声。そこには、自身の行為が見透かされたことへの恐怖と後悔の両方がにじんでいた。

鈴香は女子生徒の震える肩と後悔に濡れた瞳を目にし、心の奥で軽く胸が締め付けられた。事件が解決する喜びよりも、推理が正しいだけでは済まない、人の心の複雑さを思い知らされたのだ。

最後は颯太だった。

「病気で休んでいる先生を応援するため、限定プリンどうしても手に入れたかった。でも、残念ながら限定のため販売個数が少なく、月岡さんは抽選に外れてしまって、そして……机の上に置かれていたプリンを見て、それを自分への贈り物だと錯覚してしまった。衝動的に手を伸ばしてしまったんだな」

鈴香は、一歩踏み出し、女子生徒の瞳をまっすぐに射抜いた。

「美術室のゴミ箱から採取したスプーンの指紋と、試食会で集めた指紋が一致したのよ」

鈴香は静かに、決定的な証拠を突きつけた。

「月岡さん。あなた、昨日の限定プリン第2弾の試食会に参加したわね。申し訳ないけど、プリンカップについた指紋を採取させてもらったわ。参加者全員分のを」

その瞬間、女子生徒の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。嗚咽とともに、罪を認めるかのように肩が上下する。

「……でも、一つだけ教えてちょうだい」

鈴香は静かに尋ねた。

「今日もそうだけど、美術室は鍵がかかっていたはずよ。どうやって中に入ったの?」

女子生徒は震える声で答える。

「……実は、私は校外の絵画教室で絵を習ってて、その関係で先生にも色々と相談とかすることがあって……先生の私的な創作活動を手伝ってたんです。学園には知らせていない活動だそうで、そのために部員ではない私に、特別に予備の鍵を預けてくれたんです……」

「なるほど……」

颯太が、納得したように静かにうなずいた。

「その日も先生の絵のことを考えていたら……ぼーっとしてしまって、ふと気づいたら、机の上にプリンが置いてあるのが見えたんです……」

女子生徒の言葉に、鈴香の胸に痛みが広がる。

「……それがどうしても欲しくなって、つい、衝動的に……取っちゃったんです。でも、どうしてそうしたのか、自分でもよくわからなくて……ただ、その瞬間は、手が勝手に動いちゃったんです……」

女子生徒は少し顔を伏せて、声を絞り出した。


女子生徒の告白を聞き終えて鈴香は深く息をつき、胸の奥に溜まっていた緊張を解き放った。

「……これで、事件解決ね」

颯太も穏やかにうなずいた。

周平と綾音も顔を見合わせ、どちらからともなく小さく声を上げた。

「やったな!」

「さすがお嬢様です」

解決の瞬間を四人で共有する静かな達成感があった。

そのとき――重い足音が近づいてきたかと思うと、背後の扉が勢いよく開き、場違いなほど派手なスーツを着た男が登場した。

「私の可愛い娘の探偵活動に、金の力が必要だそうじゃないか!」

神戸グループ会長にして、鈴香の父である。彼は高らかに笑いながら、胸を張って娘に向き合った。

「鈴香、この事件を解決できたのは、お前が成長している証拠だ! 父として、これからも最大限に支援しようではないか!」

突然の見知らぬ男の登場に、女子生徒は身の置きどころがないように体を震わせる。

鈴香はその男に向けて声を張り上げた。

「うるさいわね! わたしの推理を台無しにしないで!」

「おや、ご立腹か? 娘の探偵ごっこに金を使うのは、親として当然だろう?」

「探偵ごっこじゃないわ! わたしは本物の探偵よ!」

颯太はそのやりとりを見て、あきれたように苦笑いを浮かべていた。


「まさか、ここまでやるとは思っていなかったぞ」

女子生徒が去った後の美術室で、颯太がため息を漏らし、鈴香の決断力に感心していた。颯太が提案した方法だが、鈴香がためらわず、現実的かつ徹底的な方法を選んだことに驚きを隠せないようだ。

周平も目を丸くして、口を手で押さえている。

「本当に……こんなやり方で解決するなんて……」

彼は、そんな鈴香と颯太を交互に見比べていた。

綾音だけは淡々とうなずいた。

「……最も確実な方法で、理にかなっています」

「探偵は、結果を出してこそ価値があるのよ」

鈴香の自分に言い聞かせるようなその声には、わずかな安堵が混じっていた。


女子生徒は深く反省し、被害者の女子生徒へと謝罪をした。

事件は解決した。しかし鈴香の胸の奥には、自身の決断だったとはいえ「金の力に頼ってしまった」という複雑な感情が残っていた。

(でもきっと、この思いが次へ進む力になるはず……)

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