11.言の葉の束縛

 彼の瞳が天井を見つめる。その瞳が僅かに揺れる。


 今日、初めて見せる動揺だった。


『ゴメ……』


 とっさに出かかった謝罪の言葉を飲み込む。謝るべきことなのか分からなかった……。

 

 ハクは少し痺れを切らしたように眉を寄せた。ほんの少し首を回し、腕を組む。


 ハクは大きく息を吸いこむと落ち着いた


「謝罪が欲しい訳じゃない。関わるなと言っている」


 ヨウは少し間を開けた。ただ考える時間を作りたかった。


「よく分からない……」


 ヨウの一言にハクがまた息を吸いこむ。頬が硬直し、一瞬だけ視線が遠くを見つめた。

 

「もう一度聞く――その命は誰に助けてもらったものだ?」


 柔らかい声色に、彼の行き場を失った怒りが滲む。

 ハクの言わんとすることをヨウは少し理解した。


「何のために母さんは犠牲になったと思う」


 ヨウの記憶にはないアルバムの音色コードを、ハクの声が代わりに埋める。


 ――けれど、を言う道理が彼にあるのか。


『それはハクもじゃない』


 カツカツカツとヨウの指が音を刻んだ。

 ハクは相変わらずヨウを見てはいなかった。


 その肩には何か重たい重荷が乗っているように見えるのに、それを誰かに一緒に支えてもらおうとはしない。


 その不器用なやり方がヨウは溜まらなくじれったかった。


『……俺トオ前ハ違ウ』


「どうしてそんなこと」


 長い睫毛の下からうっすら覗く茶色い瞳――その奥でガーネットの瞳が火花を散らした。それはあまりに儚く鮮やかな色だ。


 青年は慎重に音を作った。

 

 現実をヨウに刻み込む様な、重厚な旋律だった。

 

 

『――ノ遺言ダ』


 

 机を伝う振動が、ヨウの心臓を激しく叩いた。


(遺言……)


 最後の言葉だ。取り消すことも修正することもできない。


『母ハ、オ前ヲ「宝」ダト言ッタ』


 ハクはまたゆっくりと目を閉じた。

 何かを噛み締めているようだった。

 

『父ハ、「託す」ト言ッタ……オ前ニジャナイ』


 その言葉の重みがヨウの心臓を軋ませる。

 再び出された音はあまりにも不規則で、その乱雑な振動がヨウを一層強く揺さぶる。

 

 ハクはただ天井を仰いだ。


『ダカラ、俺繋ガナクテハイケナイ』


 茶色い瞳がほんの少し赤みを帯びた。その奥に小さな少年の姿が重なる。

 

(そうか……)


 小さな少年に長い蔓が絡みついて離れない。

 たった一つの人の願いが彼を縛り付けて離さない。

 

 それは、失った故の大きさを持ち、失った故に訂正されることは無い。その言葉を解くには一体どれほどの願いが必要なのか。


「それでも……私はただあなたに自由になって欲しい」


 ヨウは素直に、自分の気持ちを口にした。独りよがりの願いかもしれない。


「私には今傍にいるあなたの方が――」

 

 そうして声を出してから、ヨウはまた口をつぐんだ。


 

 

 ――1年前、初めて「亡霊」を見つけた新月の夜が蘇る。


 降り注ぐ雨に打たれながらゆらゆらと漂う彼の姿を。


 その瞳が宿していたのは、ただ深い悲しみだった。

 それは、ヨウが想像するよりも遥かに大きいものだろう。

 

 母を失い、妹を失い、そして――父を失った、たった十数の少年は一体何を思うのだろう。




 ヨウの、続くはずだった言葉は音にならず、喉の奥で消えた。

 

 ヨウの言葉に、ハクはじっと耳を澄ましたまま何も言わなかった。


 彼の咽仏が上下し、宙を仰いだままゆっくりと瞼を開ける。

 

 真っすぐに上を向くその視線は先ほどとは一転し、あまりにもだった。


『俺は、2人の言葉ねがいを無駄にはしない』

 

 熱を帯びた振動が再度ヨウに言葉を刻み込む。

 その言葉にはもう、ためらいも揺らぎも無かった。

 

 ハクが――エリオが意識的に視線をそらし、再び頬杖を付いた。


「では、日程はエルディア二等兵にお任せします。リサさんにはあなたから適当に言っておいてください」


 その仕草と言葉に構えていた言葉は崩れ落ち喉の奥で消えた。



 

 それ以上2人の間に会話はなかった。





 

 ◇


 「え……喧嘩したの?」

 

 その日の夜。2つ並べられたベッドの上で、ヨウはリサの隣のベッドにくるまっていた。

 麻布団のごわごわする肌触りが今日だけはヨウの気持ちを紛らわした。


 瞼が重たいヨウとは対照的に、リサは相変わらず溌剌としていた。


「う、ん……喧嘩、したって程じゃ、ないんだけど……嫌われたかも」


 口が上手く回らないヨウをリサは寝ころんだまま見つめていた。


「どうして?」


「うーん」


 煮え切らない様子のヨウにリサが困ったように音を漏らした。

 温かい手が少女の小さな手を覆う。


「ねえヨウ――」


 リサが何かを言っている声が遠くで聞こえる。けれど、日中の疲労が激しいせいかヨウは睡魔に襲われ、うとうとと瞼を閉じた。


 遠くで聞こえる明るい声に、ほんの少し安らぎを得る。

 赤い癖毛が視界で揺れる。




 ――無遠慮だった。


 久々にハクと会話らしい会話をした。数年来だ。


 長い年月の隔たりはヨウが想像している以上に大きい。

 

 ほんの些細なひび割れ――そのはず。それなのに、そのひび割れが2人の関係性を断絶してしまいそうで怖かった。

 

 リサの温もりが今日に限って酷く心地よかった。


『――』


 深く思考を張り巡らす暇もなく、ヨウの意識は闇に沈んだ。

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