序節.故郷《オルド》

 この世界は無秩序な音の濁流にあった。


 幾千もの音が溢れかえり人々をいざなう。


 そしてその世界の片隅に、小さな田舎街があった。

 

 網状に張り巡らされた狭い街道にはケヤキが立ち並び、その合間を縫うように、淡い色合いの石造りの家と木造建造物が所狭しと並んでいる。

 

 無秩序な自然と計略的な美の両方が備わった街だった。


 名をオルドと言った。

 





 ―― RYCOLAS――

  序節【故郷オルド


 


 少女の故郷はくにの中枢からは程遠い郊外の小さな田舎街オルドにあった。

 

 小さい街だが、時折町の外からも人が視察に来るほどにそこは美しい街だった。

 


 少女は、街はずれの丘の上にあるこじんまりとした屋敷に母と兄の3人で暮らしていた。父は家を出たきり帰ってこず、母はいつも窓の外を眺めては父の帰りを待っていた。

 

 家のすぐ近くには大きなケヤキの木が立っていて、幼い少女の心をいつも穏やかにしてくれた。




 少女は昔から家にいるのが好きだった。

 

 屋敷の地下には父の書斎があって、どこから集めて来たのか部屋には無数の本が所狭しと並んでいる。当時まだ幼かった少女にとって、そこは彼女を広大な世界へと繋いでくれる唯一の窓口だった。


 少女はいつも、夜が更けるまで夢中になって本を読んでいた。




 ある日のことだ。少女は珍しく兄に付いて街に下りた。母が料理を作ってくれている間に、兄と2人で母の誕生日プレゼントを買いに出かけていた。


 夕暮れ時の涼しくなる時間帯だった。


 少女は兄に手を引かれ、人が行き交う街道を通る。人々の姿を目で追いかけ、その途中にふと暗い路地裏が視界に止まった。


「今日は随分乾いた風だな。良く燃えそうだ。」


 小さく呟かれた声が耳に入り、路地裏で話す黒装束の人々が少女の意識を引き付けた。けれど、視界を掠めた路地裏は、行き交う人々と建物に埋もれ、すぐに見えなくなる。


 少女は兄の袖を引っ張った。


「ハクにぃ、今日とんど焼きでもあるの?」


 黒髪の少年が驚いた顔で振り返る。

「どうして?」


「さっき、そこの路地裏で知らない人たちが何か燃やす話してたよ」


「今日の話? とんど焼きなんてあったかなぁ。薪でも燃やすんじゃないかな」


 うーんと言いながら兄は彼女を抱っこして、近くの路地裏に足を運んだ。


 そこは日陰になっていて、どこかきな臭さが漂う小道だった。けれど、足を運んだときには既にそこに人はおらず、子猫一匹が可愛らしい声で鳴いていた。





 街の一角にある雑貨店は、母の行きつけの店だった。重低音の綺麗な音色が外に漏れ出ていて、幼い子供たちはその店に入る。

 

 母はここの品々に思い入れがあるらしく、品が入荷するごとに店を覗いては物を買っていた。


 以前、少女が母とここを訪れた時に母がずっと見つめていた自鳴琴オルゴールがあった。この日は兄と2人、その自鳴琴オルゴールを買いに来ていた。


「おじさん、この自鳴琴オルゴールちょっと高すぎないですか?」


 少女が店の隅のテーブルでジュースを飲んでいると、兄が白髪交じりの店主に値下げをお願いした。


 長く白い髭を押さえながら店主が答える。

 

「それは、遠方の国からの輸入品だから少し値が張るのさ。値下げはしねぇよ」


「何とかならないですか?」


「何ともならねぇよ」


 兄は渋々おかねを出すと、店主から自鳴琴オルゴールを受け取った。


 兄が少女の方に踵を返すのと同時に、少女の意識は店外へと引っ張られた。何やら随分騒がしい。


(……?)


 硝子越しに映る人々は遠くを指さし何か叫んでいた。

 

(やっぱりとんど焼きでもあるのかもしれない……)


 幼い少女が呑気に考えていると、兄も外の様子に気が付いたらしい。


 暫くしても騒ぎ声が止むことは無く、兄は仕方なさそうに少女の両腕を掴んだ。


「ヨウ。自鳴琴これを持ってちょっとだけ待っていてくれるか?何があるのか見てくるよ」


 兄が声を張って店主にお願いした。


「店主さん、少しだけこの子をよろしくお願いします。」


 少年の声に呼応するように、店主の「あいよぉ」という景気の良い声がした。




 暫くしても兄は戻ってこなかった。


「すぐ戻る」と言いえば必ずすぐに戻ってくる兄がだ。少女はなんとなく気になって店のドアノブを捻った。

 

 外に出てすぐに視界に映ったのは空一面を這う煤煙だった。北北西の方角からだ。巻き上げられ天に上る微粒子は遠くに見える丘の向こうから立ち上っていた。


 冷たい汗が小さな少女の背中を伝う。


(お家の方角……?)


 無意識に足が動いた。


 反射で動き始めた足はよろめきながらも、少女を家の方角へと運んだ。


 地獄を作る業火の中に、少女は一人飛び込んだ。

 

 草木の茂る美しい丘は、炎を吸い真っ赤に染まっている。焦げ付く匂いが鼻とのどを焼き、小さな少女の体を蝕んだ。


 それでも少女は足を止めなかった。はい上がる不安が小さな足を突き動かした。灰が網膜を刺激して涙がこぼれ、肌を焦がす熱風が体力を奪う。


「ヨウ!」


 聞きなれた声が聞こえ少女はとっさに振り返る。業火が立ち込める茂みの向こうで黒い髪がちらついた。

 

 母を背負った兄の姿が視界に映る。

 

 母はぐったりとしていて、けれど辛うじて意識はあるようだった。


 急いで駆け寄ろうとすると、脚がもつれてその場に転んだ。膝だけじゃない。全身が軋んだ。


 腕と膝が地面を打った拍子に擦りむき、とくとくと傷口から血が垂れていた。それでも、それ以上に2人が無事だったことに心が震えた。


 閉じ切っていた肺が開き、体中が勢いよく酸素を取り込む。全身に絡みついていた不安が解け、鼻水と涙が顔を覆った。


 母を背負って駆け寄ってきた兄が優しく少女をなだめ、母が掠れた声を出した。


「ハク……。ヨウ。迎え、に来てくれて、ありがとう……」


 少女はしゃっくりを上げながら兄の袖を掴んだ。



 もう体が痛くなかった。もう寒くもなかった。

 恐怖から解放された高揚感で心は一杯だった。


「おうちにかえろう」




 ――ふと、兄の瞳に恐怖が映る。

 

(何だろう……)


 兄が何か喋っていた。

 どうしたのかと聞こうとしたが少女の口は開かない。


 兄の顔が遠退き、視界は空を捕らえる。

 

 風を裂くような衝撃音が地面を唸らせる。


 雲が止まり、小さな自鳴琴オルゴールが柔らかい音を立てて土に転がった。




 蛇行する煤煙と鮮血が宙を舞っていたことだけは、少女は未だに憶えている。










―― オルド街虐殺事件 ――


X8年10月10日。オルドという田舎街で起きた事件。


丘の上の屋敷で出火。家族3名が死傷。

その後、火は風に乗り下街へと燃え広がる。


消火活動も空しく、炎は街の象徴的な並木と木造家屋に燃え広がり、街を炎の海に変えた。


小さな街は全焼し、死者・行方不明者1500人強、負傷者20名、生存者50名という異例の火災事故となった。


後に町人の証言により再調査が実施。発火装置、銃器の痕跡等、人為的な関与が確認される。

最終的にこの事件は第10級の大量虐殺事件として



※第10級:現在確認されている犯罪の中でも一定の基準を満たし、凶悪であると認められた事件。

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