シーン12 二兎追い

 大将格が討たれた時点で、侵入者たちの大半は既に撤退していた。


「残党は?」


 アイリスの寝衣しんいは血に汚れているが、それはエルダが賊を返り討ちにしたときのもの。本人は怪我一つなく、臣下を集めて指揮を執っている。テーブルとイスが持ち込まれ、負傷者が運び込まれ、煮沸した湯にくぐらせた針で傷口が縫われ、部隊の被害状況が報告される。広間は即席の軍議場の様相を呈していた。


「追わせましたが、城外に出たところで一斉に姿をくらましたと報告が。追跡した兵によれば腰に括りつけた羊皮紙を引きちぎった途端、光に包まれて消えたそうです」


「それってありえないわ。転移魔道は最高機密よ。大陸でも四人しか術理を知らないし、全員が厳しい監視下に置かれてる。暗殺の下手人に供与できるようなものじゃない」


 短い距離を瞬時に移動できる転移の魔道は、魔道の中でも深奥に位置する難解な術だと聞いたことがある。これがあれば警備も城壁も無意味になるので、使える魔道師は全員が国家の監視下に置かれ、厳格な規則の下でのみ運用されているはずだ。


「侵入時にはそのような発光は確認されていません。おそらくですが、連中はペルディアの町に紛れ込んでから離宮内へ潜入したものと思われます」


「やられたわね。祭の時期ならよそ者が増えても怪しまれない」


「部下たちには引き続き捜索を命じていますが、無駄骨でしょう。あれほどの手練てだれ共が町でぐずぐずしてはいますまい」


 ユエもエルダと同意見だ。あの剣客は配下たちを逃がす時間稼ぎも兼ねていたのかもしれない。


「ユエ、そちらはなにか思い当たる?」


 水を向けられて、ユエは手の中の大太刀に目を向けた。鍛えられた鋼を内に抱く鞘はまだずっしりと重い。それは、想いの重さ、なにかを託された重さだった。


「あの眼帯の男ですが、名のある武人でしょう。弱みを握られてこの仕事を受けていたのではないかと思います」


 太刀を振るう型は洗練され、野盗や浪人のそれではなかった。厳しい鍛錬を経ているのは明らかで、しかも最後には介錯を求めてきた。それは東方では、一対一の果し合いの作法だ。


「どういうことだ」


 困惑するエルダだが、彼女は優秀な兵士ではあっても南方人だ。あの立ち合いの中での機微きびを一目でわかれというのは無理がある。


 ユエは少し考えて、言葉を選ぶ。


「俺と対峙したとき、構えを変えました。俺の得物えものは短刀です。懐に飛び込むしかない。刀を振り下ろせば済んだはずです」


「手加減をしたの? わざと負けたということ?」


「負けるつもりは……なかったのだと思います。ですが突きを繰り出してきたのはわざとでしょう。俺にも勝ちの目を持たせたのです。一方的に殺すこともできたのに」


 任務の遂行よりも勝負の名誉を重んじたのだろう。そんな人物が暗殺者など、やりたくてやっていたはずがない。


「裏に指示を出した者がいるということね。しかもそれは大勢の下手人げしゅにんを雇える上に、もしかすると転移の機密に触れられる地位にあるかもしれない人物」


 しかし、とユエは思う。


 エンディムに敵対する勢力にそんな人脈があるだろうか。もちろん大陸北部、ドルン神聖王国とエンディムの間には長年の武力衝突の歴史があるが、それにしても東方の隠密を雇ってまでアイリスを暗殺しようとする意味が分からない。アイリスは王族とはいえ、政治にはほとんど関わっていないのだ。


「奴らはなぜアイリス殿下を狙ったのでしょうか」


 ユエの疑問に、アイリスとエルダが揃って顔を上げる。


「そうね。エンディムの弱体化を狙うなら、他にもっと狙いやすい相手がいると思うの。それとも、王都を攻撃する前の小手調べとして離宮を狙ってみた、のかな……」


「政治的な動機があるようには思えません。俺に濡れ衣を着せようとしたのも誰かの指示に従っているだけ、という語り口でした」


 つとめて感情が出ないよう自分を律したつもりだったが、エルダ隊長は眉間に皺を寄せた。


 暗に、ユエはあの眼帯の男を武人として葬りたいと言っている。薄汚れた下手人ではなく、名は明らかでなくとも名誉ある戦士として墓碑を建ててほしい、と思う。


 だがエルダの視線は、それはできないとはっきり告げていた。ここは魔道と騎兵の国エンディムであり、ユエは異邦人なのだ。


 広間には未だ血の跡が生々しく残り、それは決して、襲撃者たちの血痕だけではない。命を落としたのはエルダの部下たちも同じだ。


 それに、今は死者たちをいたんでいるときではない。


「あの者共の背後を洗わねばなりません。しかし、我々には情報が足りません」


「仕留めた刺客はまだ転移の羊皮紙を身に着けているなら、そこから辿るわけには?」


 思い付きを口にするユエに、アイリスが考える姿勢のまま渋い顔をする。


「転移魔道の解析ができるような魔道師がペルディアにいるなら、とっくに王国の魔道博士になってるわ」


「よしんば転移が出来たとしても、どこかもわからない敵陣のど真ん中に飛ばされるのではどうようもありません」


 八方塞がり、というわけだ。


「それに、例の指令書のこともあります。ユエ殿を暗殺犯に仕立て上げるのも連中の計画の一部だったはずです」


 血が流れ、謎ばかりが残った。


 なぜ、ユエに罪を被せようとしたのか。


 なぜ、あの暗殺者たちは離宮を襲ったのか。


 なぜ、こんな惨劇が起きねばならなかったのか。


 重い沈黙が降り、全員が同じ疑問を反芻する。


 その答えに真っ先にたどり着いたのは、やはりと言うべきか、頭の回転が速いアイリスネシア王女だった。


 黙考に沈んでいた顔をパッと上げたかと思いきや、叫んだのだ。


「しまった! エルダ、馬を用立てて! 一番頑丈なやつ! 五日分の食糧と二人分の旅装!」


「はっ!」


 よき兵士とは、一個人である前に兵士である。


 主人の命令にエルダ隊長は驚きつつも一切疑問を挟むことなく、部下を連れて厩舎に走っていく。


 残されるのは、アイリスとユエの二人。


 アイリスは、ただでさえ透き通るように白い肌をさらに蒼白にして早口に語りだす。


「ユエ、貴方はアケノの隠密よ。しかも表向きは女王ツクヨミの側近でもある。――最後まで聞いて。その貴方があたしを暗殺する。連中は証拠として貴方の死体をあたしに覆い被せていく。ここまでいいわね?」


 口を挟もうとしたユエを手で制し、アイリスは机の上の地図を指で叩く。彼女が言っているのは、もしも暗殺が成功していたらどうなっていたか、という話だ。


「エンディムはどうする? 報復に出る。王女が殺されたのよ、当然ね」


 アイリスの言いたいことはわかるし、それが狙いだったのなら筋は通る。だが、陰謀は防いだではないか。


 言いかけたユエの思考が、じわり、と嫌な感覚で遮られる。それはなにか、大事なことを忘れていたというような、取り返しのつかない二者択一を間違えたような、頭の芯が焦げ付くような不快感を呼び起こした。


 アイリスが、それを完璧に言葉にする。


「奴らは次にどうする? エンディム王女暗殺は失敗したのよ。どうやってアケノとエンディムの間に戦を起こす?」


 一方が駄目なら、もう一方。


 駒を取り合う盤上遊戯のような発想は、人を使う側だからこそ出てくるもの。


「アケノを、襲う」


 それも、エンディムの攻撃に見せかけて。


「今すぐ発ちなさい。ツクヨミが危ない」

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