シーン10 王族の憂鬱

 しばらく離宮に留まるように、と指示されたが、言われなくともそうするつもりだった。


 離宮内を見て回りたいと申し出ると、すんなり許可が下りた。ユエの客室きゃくしつとして当てられているのは東の棟の一室だったのだが、同じ敷地に兵舎や離宮で働く上級官吏かんりたちの住居が併設されているらしく、意外にも人の出入りは多い。


 南方様式の細身で上品な柱が並ぶ回廊に、羊毛の絨毯じゅうたんが果てしなく続いているのが大草原地帯を有するエンディムの牧畜業がどれほどのものかを物語る。その割に壁の装飾などは豪奢ごうしゃなところがなく質実剛健な印象なのは、ペルディアの通りを歩いたときにも感じたことだった。豊かさを誇示するところがなく、率直な国民性なのだろう。


 文化にはそこに暮らす者の人となりが現れる。だから、ユエも素直に言葉を選ぶことにした。


「正直、最初に心配したのは宿のことでした」


「ああ、祭の時期ですからね」


 丘の上に建つ離宮からは、ペルディアの街が見下ろせる。通りは人でごった返し、遠くから見るとそういう模様かなにかのようだ。


「少なくとも、貴方はペルディアでも最高の部屋に無料で寝泊まりできるわけです。うらやましい限りですよ」


 案内を買って出てくれたのはアイリスの護衛部隊に所属する兵の一人で、すらりと背が高く黒髪を刈りこんだ好青年に見えなくもない。だが王女アイリスの周囲は女性だけで固められていて、離宮の兵は全員が女性なのだと歩きながら説明してくれた。


「もしかして、ニコラ……さんが俺によそよそしいのもそれが理由で?」


「いえ、あれは彼女の性格ですな」


 つまり単純に避けられている、ということなので、ユエも少し傷つく。


「そんなに胡散臭うさんくさいですかね」


「なんとも。私は一兵卒なので剣を振るのが仕事です。意見を持つのはお偉方のすることですからな。ただ、例の指令書の一件があってから我らが隊長は市壁に網を張っておりまして。貴方が町に入った途端にこいつに違いない、確保しろ、と命令を出されました。その事実はあります」


 嫌味っぽく言うわけでもなく、実にさわやかな語り口だ。


「もっとも、多少嫌がられるくらいの方が落としたときの喜びも大きいのでね」


 と、いかにもさっぱりした南方人らしい態度に、ユエは根暗で湿っぽいところのある東方人として軽く笑う。


「あいにく、俺の祖国は色恋が命懸けの沙汰さたになりがちなもので」


「ははは。まあ、そういうこともありますな。女は腹の底でなにを考えているかわかったものではありません」


 自分も女性でありながらそう言うのだからすごい。兵士はユエの顔を読んで、


「女のそのでは、私のような女にもそれなりの楽しみがありましてね」


 と一言付け加えた。たしかに、この兵士なら同性からも好かれそうだ。


「なるほど」


「ふふ、東ではそういうことはお堅いと聞きましたが」


「どうでしょう。女王の王配おうはいは外で家庭を持つことが多いですね」


 アケノは女系国家なので、女王の夫になってもなにか特権が得られるわけではない。女王の特別な血筋からは娘しか生まれず、夫や父についての記録はおざなりだ。


 ツクヨミがユエを追放処分で済ませることができたのは、そういう側面もある。女王とその娘だけが王族であり、その情人はただの一般人なのだ。逆に言えば、もしもユエがアケノ王家の中でなんらかの地位を持っていたら、追放でうやむやに済ませることはできなかっただろう。


「どこの王族も大変ですな」


 まったくだ、と言いたいところだが、ツクヨミに大変な決断をさせたのはユエなので反応しづらい。


「あ、いえ私はもちろん王女殿下の臣下ですので、殿下がなさりたいようにされるのが一番と思いますが」


 ユエの沈黙を非難と受け取ったのか、慌てて付け足されたのはそんな言葉で、ユエには文脈がよくわからない。


 彼女はこちらが疑問符を浮かべているのに気づいたらしく、「あ」という顔をした。どうも、エンディムにおける常識にあたる部分を省いていたらしい。


「アイリスネシア殿下は、あまり政治に関心がないご様子なのです。あの方は魔道研究では知らぬ者のない研究者でおられますし、ご本人も下野げやされて宮廷からは身を引かれたいお考えだとか」


「なにか、できない事情が?」


「まあ、離宮に住まわれていますから。……ああ失礼。エンディム王族はある程度の年齢になると王都を離れて離宮に暮らす慣習があります。ペルディアは王都ではなく離宮に統治される都市なのです。一種の、そう……訓練ですな」


「訓練?」


 意味がとれずに一瞬聞き間違いかと思ったが、繰り返すユエに兵士は頷いた。


「国を治める訓練です」


 思わず、ほう、と息が出た。


 王族ならば生まれながらに他人の上に立つ才覚があるわけではない。その上、王の些細な一言で民衆の首が百や二百も飛んでしまうこともある。


 離宮都市ペルディアは、いざとなれば王都から介入できるという意味で、王族が安心して失敗できる場なのだ。


 よく考えられたやり方だ、と素直に感心する。


「父王もご健在ですし、王位は兄王子が継がれることでしょう。かといって妹君であらせられるアイリスネシア様が、王族の責務を離れられるわけでもありません。ましてや、殿下はその……お美しいですから」


 そこでようやく、ユエにも話の流れが見えてきた。


 王位が安泰ならば、末娘のアイリスの行く末は決まっている。有力貴族に嫁ぎ、王家との関係の強化に一役買うことになるだろう。そうでなくとも美しく賢く血筋もいいアイリスをもらい受けようという貴族は国内外に引きも切らない、というところか。


 政略結婚、というやつだ。


 そういう選択肢も持っておくために王族としての教育の一環で離宮に押し込められている、というのがエンディム国民、特にペルディア市民の前提認識なのだ。


「というわけで、我らがエンディム王国第一王女アイリスネシア・エステル・フォン=エンディム殿下の護衛隊長は、ことさらに王女殿下の御身を気遣っておられるわけです。貴方を牢に放り込むほど、ね」


 と、連れてこられたのは練兵場だった。


 その中央ではあの燃えるような赤い髪の隊長、エルダ・ガルシアが、ユエを睨みつけている。


 案内してくれた兵士はユエの肩を軽く叩いて、部隊の仲間のもとへ戻っていった。


 最初から、こうするつもりだったらしい。


 だがユエは臆せず練兵場の中へ進み出た。エルダの顔が険しいものではあっても、敵意を感じさせるものではなかったからだ。


「私を殴れ」


 開口一番に飛び出してきたのがそんな言葉で、ユエは隊長の顔をまじまじと見返してしまう。


「私は無実の罪でお前を投獄した。けじめをつけたい」


「女性を殴るなんてできませんよ」


「なっ――」


 怒りが半分、気恥ずかしさが半分。エルダがそんな表情をするのは、兵士として侮られたと感じたからであり、同時にその強靭すぎる体格から、あまり女性として扱われてこなかったのだろう。


 黙っていると張り手の一つでも飛んできそうだったので、さらに言葉を重ねる。


「それに、あの口の軽い兵士を俺の案内に寄越したのは隊長の判断でしょう」


 自分でユエのもとを訪れなかったのは、密室で済ませたくなかったから。部下たちが見ている面前で自分の過ちを認め、罰を受けるのが隊を預かる身としてのあるべき姿。


 そんな風に考えたかどうかはわからないが、当たらずとも遠からずなのではないかとユエは思う。


 実際、「また隊長の悪い癖が始まったな」と誰かが軽口を叩いているが、それも茶化しているというより仲間内の穏やかな呆れという感じだった。


 実直な人なのだ。


「牢に入れられたのは、まあたしかに参りましたが、どのみち俺に勝ち目はなかった。ここはお互い、不幸な行き違いということで一つ」


「お、お前は本気を出していなかっただろう!」


 噛みつかんばかりに詰め寄られるが、半分以上は怒りというより鬱憤うっぷんが溜まっているというほうが近そうだ。


 隊長の背後で兵たちがやれやれと肩をすくめ、さらにユエの視界の端では通りかかったアイリスが頭痛をこらえるように頭をおさえていた。


 たぶん、隊長は自分の誤認逮捕について厳罰を求めたのだが、アイリスは形式上の罰だけを与えてそれ以上咎めなかったのだ。だが隊長もそれがわからないほど鈍い人物ではないし、余計に自分を責めてしまう。


「逃げるだけなら部下たちを殺すこともできたはずだ。それに、お前は市民をかばった」


 たしかにあの井戸のそばで、窓から子供が顔を出したときにユエは反射的に腕を広げた体勢をとった。本当の暗殺者なら、これ幸いと子供を人質にして逃げたかもしれない。状況証拠はユエが暗殺者ではないことを示しており、しかし王女の護衛隊長としての義務感からそれらを無視していた。


 口で言って納得できる段階は過ぎてしまっている。


「それに、手を抜かれて勝つのは好かん」


「……そういうことでしたら」


 なので、ユエは勝負を受けた。


 面白くなってきたぞ、というように周囲の兵士たちが顔を見合わせ、何人かが武器をかけている棚に走る。エルダには得物の大斧に似せた木の棍が、ユエには長剣を模した木剣が渡された。


 位置について、エルダが棍を構える。ユエは木剣を左手でゆるく握り、腰元に当てた。鞘に納められた状態の模倣であり、狙いは明らかだ。


「始めっ!」


 開始の号令が響き、エルダの足が地を蹴る。巨体からは想像できない風にそよぐ羽のような身軽さで、彼我ひがの間合いが消し飛ぶ。


「――」


 抜剣。


 居合の要領で木剣を振り抜き、エルダの右頬を捉えたはずだった。


 軽すぎる、と気づいたのは自分の右手に剣がないことを目視してから。それくらい、エルダの一撃は見事だった。彼女は正確にユエの持つ剣だけを打っていた。


 そのときのユエの顔は、ちょっとした見ものだっただろう。本気で剣を抜いたつもりだったのだ。


 会心の笑みを浮かべるエルダの背後で天高く弾かれた木剣が空を裂いて落ちてくる。風を受けて微妙に流され、訓練所の柱に当たってけたたましい音を立てた。


 アイリスが立っていた、まさにその真横にある柱に。


「――」


 隊長の顔から血の気が引く音が聞こえた気がした。


「で、殿下!! 大変申し訳――」


 東方人なら腹を切る勢いで地面にこすりつけんばかりに頭を下げようとする隊長を手で制したアイリスが、思案するように顎に指を添える。


「エルダ隊長があんなに楽しそうなのは初めて見たわ。まるで恋する乙女ね」


 武人として楽しかったのだ、と言って通じる相手ではない。


「ユエ、貴方……」


 じ、とこちらを見つめる目には、猜疑心とも違うなにかがある。あえて言うなら、警戒心、と呼ぶべきもの。


 こいつ実は女たらしなのではないか、とその視線は語っていた。


「……ニコに手を出したら灰になるまで燃やすわよ」


 アイリスは練兵場を挟んで向こうにいるにもかかわらず、ユエの首筋がチリチリと粟立った。見れば、無造作に下げているアイリスの右手のあたりだけ、空気が歪んで見える。誇張でもなんでもなく、彼女ならユエが反応するより早く魔道を放ってユエを消し炭にできそうだ。


「では隊長に手を出すのは――」


 ほんの冗談のつもりで口を滑らせた瞬間、視界が白く染まった。


 ユエが認識できたのは、閃光と、空気が軋むときの絹を無理やり引きちぎるような音だけ。


 振り向くとユエの背後の壁に黒く焼け焦げた跡が残っていた。雷を放つ魔道は知識としては知っていたが、見たのは初めてだった。


「それ、片付けておきなさいね」


 指差す形で右手を上げていたアイリスが、悠然と去っていく。


「……どちらを?」


 焦げ跡とユエを交互に見ながら、エルダが呆然とこぼしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る