第18話 祭囃子で始まる夏(2)

 ――ザー、ザー。


 コンビニの無機質な蛍光灯が、ガラス窓を叩きつける激しい雨粒を白く照らし、それが俺たち二人の姿をぼんやりと映し出していた。


 髪を、頬を伝う冷たい水滴。Tシャツが肌に張り付く不快感が、じわじわと体温を奪っていく。隣に立つ九重寺は、もっと悲惨な状態だった。


「雨……だな」

「雨……ですね」


 待ち合わせの時間まであと数分というところで、まるで空がひっくり返ったかのような豪雨に見舞われた。俺たちはなす術もなく、視界に入った一番近くのこのコンビニへと、文字通り転がり込むようにして撤退を余儀なくされたのだ。


 なんとか雨宿りできる軒下を見つけたものの、店内も入り口付近も、俺たちと似たような境遇の「同族」で溢れかえっている。湿った空気と、人々のうんざりしたようなため息、そして濡れた服の匂いが充満していた。


 当然、傘立てに備え付けられていたビニール傘はとうの昔に狩り尽くされたようで、自動ドアには「傘 完売」の無情な張り紙が揺れている。


 ――ピコン。


 濡れた手でジーンズのポケットからスマホを取り出す。滑る指先でなんとかロックを解除すると、メッセージアプリの通知が目に入った。相手は湊馬だ。


 どうやらあちらもこの雨にやられたらしい。しかし、俺たちとは違い、湊馬が折りたたみ傘を持っていたらしい。気が利きすぎて腹が立つ。


「……花火は、無理ですね」


 スマホを覗き込んでいた九重寺が、濡れた前髪をかきあげながらぽつりと言った。その声には、諦めと、隠しきれない落胆が滲んでいる。


「……しょうがないな」

「これからどうします? このままだと風邪、ひきますよ」

「だよな……。よし、俺がちょっと傘を確保してくる。」

「えっ、でも、この雨の中をですか?」

「どうせもうすでにビチャビチャだし、誤差だよ。これ以上濡れたって変わらん」

「それじゃあ、軽見くんだけがずぶ濡れになるじゃないですか。それに……」


 九重寺が何かを言いかけた瞬間。


「――くしゅん!」


 小さな、しかし明らかに芯から冷えたようなくしゃみが、隣から聞こえた。


 見れば、九重寺は自分の肩をぎゅっと抱きすくめている。濡れた着物の袖を固く握りしめ、小さく震える唇の血色はあまりよくない。


 薄い生地なんて、この豪雨の前では一瞬で役目を果たせなくなったようで、袖から落ちる雨しずくが、ぽたり、ぽたりとアスファルトの足元に小さな水たまりを作っている。


「やっぱ行ってくるわ。すぐ戻るから」

「…………」


 九重寺は不安そうな瞳で俺を見上げる。


「大丈夫だって。風邪ひかれる方が困る。ここで待って――」


 俺が踵を返し、再び土砂降りの世界へ飛び出そうとした、その時だった。


「――うち、来ます?」

「……エッ?」


 ***


「……おじゃましまーす」


 一瞬だけ雨足が弱まったタイミングを見計らい、コンビニを飛び出して約10分。


 結局、俺は九重寺の提案を受け入れ、彼女の家へと向かっていた。次第に見覚えのある道に変わっていくさまは少し感動を覚えた。


「走らせてすみません、軽見くん」

「いや、こっちこそ。家、近いって知ってたら最初からそうすればよかった」


 そもそも、集合前は九重寺宅で金森と二人で着付けをしていたらしい。


 広い玄関に上がり込むと、ひんやりとした空気が肌に触れる。金森が履いてきたであろうスニーカーが、端に寄せられていた。


「タオル、すぐ持ってきますね。あ、それと……先、お風呂入りますか? ちょうど沸いてるはずです」

「え、いや、俺はまだ耐えられるし、九重寺が先にどうぞ。くしゃみしてたし、着物じゃ寒いだろ」

「……そうですか? じゃあ、お言葉に甘えて」


 そう言って、九重寺は濡れた下駄を脱ぎ、廊下へと上がっていく。俺もそれに続こうとした時、彼女がふと振り返った。


 その表情は、いつものポーカーフェイスとは少し違う。どこか、悪戯を企むような、それでいて妙に真剣な……。


「……一緒に入ります?」

「……は?」


 一瞬、思考が停止する。しかし、整理がついた途端すぐに意識が返ってくる。


「は、入るわけないだろ! 何言ってんだ!」


 思わず声が裏返る。自分でも驚くほどの大声が出た。顔が一気に熱くなるのがわかった。


「……ふふ。意気地なし」

「なっ……!」


 確かに、俺と九重寺は付き合っている。数週間前に、俺から告白して。だから、一応、理論上は、問題は……ないのか?


 いや、ないわけがない。


 流石に心の準備とか、そういうのが一切できていない。そもそも、まだ手しか繋いで無いのに、いきなりは、ちょっと……


「ほら、軽見くんも。そんなとこ突っ立ってないで、早く入りますよ」


 九重寺が、濡れた袖を気にもせず、俺に向かって手を差し伸べてくる。その細い指先が、妙に扇情的に見えてしまう。


「だ、だから俺は後ででいいって言ってるだろ! 九重寺が先に入れよ!」

「もう。そんなに遠慮しなくてもいいのに」


 九重寺は小さくため息をつくと、先ほどの真剣な(ように見えた)表情を崩し、くすりと笑った。


「うち、浴室二つあるので。軽見くんはあっち、使ってください」

「……………………」


 じゃあ、さっきまでの会話は、一体なんだったんだよ。

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