第23話 ダストリアの朝と夜の懐中時計

 銀色の瞳を強かに輝かせ、ストラヴォルトはリアンクとスティーラィ……いや。ダストリアの手を引いた。

 その時、マーリの眠る神殿に到着したアントリーが駆け寄ってくる。


「……! マーリヴォルト大神官様……」


 顔を歪めた兄を前に、リアンクは立ち上がり胸元の鍵を握りしめる。

 ストラヴォルトに頭を下げて、想いを告げた。


「あなたは、どこかマーリヴォルト大神官さまに似ています。私たちのするべきことを、ご存じでしょうか」

「リアンク……そなたはやはり……いいえ。向かいましょう。ルー・メイ巫女様の眠る塔の上へ。ダストリア様……あなたもまだ、扉を持っていますね」


 ダストリアは頷き、腰のポーチからひとつの懐中時計を取り出した。


「これが、朝と夜の扉だ」

「時計……そんなもので……?!」


 アントリーが声を荒げると、リアンクはダストリアの手を取った。


「あなたは選べます。今も変わらず。……ダストリアさま」


 ダストリアは見つめ返すと、ストラヴォルトの手を取り直す。

 そしてストラヴォルトは、アントリーに指示を出した。


「アントリー・ルー・メイ。ヴォルトの名で命じます。マーリの死を……街へ伝えてください」

「……! 仰せの……ままに……。リアンク。おまえもしっかりと、使命を果たせ」

「はい」


 リアンクと、ダストリア。そしてストラヴォルトは上階へと上がっていく。

 ふと通路が分かれていて、その向こうを見つめてダストリアが一度立ち止まった。

 リアンクの手を硬く握り直すと前を見る。


(もう二度と、この城には来ないと思っていたな……)


 ルー・メイの眠る牢の前まであと少し。

 リアンクの手は汗ばんでいた。

 その使命を遂げる瞬間が怖いと思ってしまう。

 なにも恐れることはないはずなのに。


 階段を上る足音が響く。

 その音がやけに重く感じた。


 とうとう牢の前へたどり着き、三人は立ち止まり、ダストリアが堪らず声をもらす。


「ルー・メイ……」


 ストラが銀の瞳をリアンクへと向けると、リアンクは頷いて白銀の鍵を牢の鍵穴へ差し込んだ。

 しかしそれを回すことなく、ダストリアの方へ向き直る。


「……スティ……いえ、ダストリアさま。この牢を開けるのは、あなたであるべきです」


 リアンクの言葉にダストリアは瞳を揺らがせる。


「それは、リアンク……おまえの使命だろう」

「ええ。私の使命なのかもしれません。この選択が……きっと使命の真実でしょう。かつての騎士団長さまに、願いの星がルー・メイ巫女さまの願いを……届けるのですから」


 さあ。そう言ってリアンクはダストリアの手を取り、鍵を手渡した。どうしたら良いか分からず指先が震えてしまう。

 それでも、もし叶うなら……彼女をここから出す役目を、ダストリアは全うしたかった。


「……」


 力強く鍵を握り、ダストリアは鍵穴へとその震える鍵先を差し込む。

 そして瞼を固く閉じると、ゆっくり鍵を回した。


 ガチン。


 そう音を立て、鍵が開かれる。


 600年以上待ったこの時。

 ルー・メイを解放する夜が、ついに訪れた。


 リアンクは牢を開き、ダストリアの背中を押す。

 ゆっくりつま先を牢の中に置くと、600年前過ぎ去っても変わらぬ乙女の姿があった。


 そのとき、ふたりの間に言葉は生まれない。

 ダストリアは震える唇を噛みしめ、跪き、その大きな手で瞼を覆った。


「ルー・メイ……すまない……すまなかった……」


 小さく繰り返されるのは、巫女の名と謝罪の言葉。

 今、ダストリアの時が進もうとしている。


「ダストリア騎士団長様。巫女、ルー・メイ様。そしてリ・アンク。長い夜も眠る日がまいりました。ダストリア様、あなたの懐中時計をここへ」


 神殿の中に夜浅ヨハジを報せる鐘が響く。

 もうすぐ最も夜明けに相応しい時間が訪れようとしていた。


「この鍵も必要でしょうか?」


 リアンクはストラヴォルトの横に跪き、黄金の鍵を差し出す。

 ストラヴォルトは頷いて彼女の手から黄金の鍵を取った。

 そして、ダストリアの差し出した手からは懐中時計を受け取る。


「これより、夜明けの儀式を始めましょう」


 どく、どく……。

 静かにそれぞれの胸を心拍が叩く。


 懐中時計の背に黄金の鍵を差し込み、カチリと回す。


 そのときより一層強く鐘の音が鳴り響き、地鳴りのような音が地上を唸らせた。

 ストラヴォルトが体勢を崩し、ダストリアが受け止める。リアンクの手が遅れて伸びて来て、ストラヴォルトとダストリアを抱きしめた。


 牢の中にある格子窓の外が、ほのかに明るくなっていく気がする――。


 夜の深度が次第に浅くなり、夜浅ヨハジとなる。

 心臓は激しく脈打ち、三人はそれぞれ不安げに瞳を揺らがせながらも、格子窓から目を離せずにいた。


 そしてほのかに水平線が白み始めると、夜空が見たことのない赤橙色に染まっていった。

 見知らぬ強い光は次第に空へと昇っていく。


「夜明けだ……」


 リアンクの手を固く握り返し、ダストリアが呟いた。

 ダストリアは肩を上下させていて、リアンクの手を痛いほどに握っていた。


 夜明けが過ぎて、空は次第に蒼くなっていく。


「あれが……燃える月ですか……スティーラィ……」


 自身の瞳のものよりまだ薄い蒼へと染まっていく空に、リアンクも声が震える。

 思わず古い名で呼んでしまったことにも気が付かなかった。


「ふ……うああんっ」


 少年の泣き声が牢の中に響く。

 それに驚いてリアンクとダストリアはストラヴォルトを抱きしめる手を緩めた。

 銀の瞳の輝きは落ち着き、本来の色を取り戻している。


「ヴォルト……」


 優しくストラの額を撫で、ダストリアは自分の身体の感覚を感じていた。

 頬を伝う熱。指先は緊張でしびれている。

 脚もまるで力が入らない。600年ぶりの太陽を前に、騎士団長はこんなにも無力だった。


「スティ……! ンンッ! ダストリアさま……! 夜明けとはこんなにも美しいのですね! 空が明るくて、これならろうそくも要りませんね」

「そうだな……リアンク」


 微笑むダストリアの常夜の髪に、次第に光りが反射していく。

 リアンクはその輝きに目を丸くして、ついに涙を流し、ダストリアを抱きしめた。


「美しいです……本当に……」


 本来の美しいツヤのある黒髪を風が揺らす。

 ダストリアはかつて、牢に入れられる前のルー・メイと話したふたりのときの記憶がよみがえっていた。


『いつか、夜明けだけでなく朝焼けを……青空を見たいわ。あなたと一緒に。私は月光の巫女だから、朝には寝なければいけないのよね』


 ルー・メイの願いが成就したのだと感じると、たまらずダストリアはルー・メイの遺体に触れた。


「どうだ、ルー・メイ……昇る太陽はまぶしいだろう……」


 ルー・メイは目覚めぬまま、穏やかな表情をしている。

 その頬を優しくなぞると、彼女の口角が少し上がったように思えた。

 しかし、時が進むように次第に肌が割れ、しばらくすると骨だけを残してルー・メイは本当の死の瞬間を迎えてしまった。


 目を見開いて戸惑うダストリアとリアンク。

 しかし少し経つと今度は懐中時計の割れる音がした。

 さらに地面に落ちた鍵ふたつを確認すると銀の鍵も金の鍵も錆びてしまっている。


「結局、きみとの口づけは叶わなかったな……」


 ダストリアはルー・メイの遺骨に触れてそう呟く。

 彼女も朝を見ることができたのか……そんな不安を残しながら。



 リアンクは泣き疲れたストラを抱きしめ直し、視線を落とす。

 旅はここまでだ。

 もう彼を縛る理由はないと、身を引かねばと、心を揺らしていた。

 するとダストリアの指先がリアンクの肩に触れた。


「リアンク」

「な、なんでしょう……か」

「いや……これからも……スティーラィと名乗っても構わないか?」

「ですが、あなたには素晴らしい名が……」

「おまえの隣で……スティーラィと名乗り、共に生きても……良いだろうか」


 リアンクは涙をこぼし、照れたように後頭部を掻いた。


「その、えっと……それはまるで結婚の申し出のように感じてしまいますが……! ううむ、旅の仲間としてという解釈が正しいですよね!」


 その様子をダストリアがじっと見つめていたが、彼女がその賑やかな唇を噤むと、そっと顔を寄せて頬に口づけた。


「おまえが、良いのなら。結婚の申し出をしたいが」


 熱くなる頬を抑え、リアンクはとうとう頷き返す。

 ストラを抱いたまま立ち上がると、踵を鳴らして胸を張って笑いながらまた唇を開いた。


「もちろんです!」


 安心したように、スティーラィも微笑む。

 いつもの険しい顔が嘘のように、目を細めて眉尻を下げて。

 リアンクの手を取り、スティーラィもようやく立ち上がった。

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