第二章 竜宮シティの乙姫

 浦島が目を開けると、そこは青く光る都市だった。


 無数のクラゲが街灯のように浮かび、ガラスの塔の中を魚の群れが泳いでいる。

 足元の床は透明で、その下を海流がゆるやかに流れていた。

 遠くで電子音のような波のざわめきが聞こえる。


 「ここは……どこなんだ?」

 「“竜宮シティ”。地上の人たちがもう見なくなった夢のかたちだよ」


 さっきの少女が、少し年上の姿になって立っていた。

 高校生くらいの、凛とした美しさ。

 けれどその瞳は相変わらず、深海の青。


 「君……誰なんだ?」

 「私の名前は、乙姫。ここを管理してる」


 浦島はその言葉に、言葉を失った。

 竜宮。乙姫。――昔話の中の存在が、令和の現実に現れるなんて。


 「信じられないかもしれないけど、あなたが助けたカメは、ここの“入口キー”だったの」

 「入口……?」

 「地上で“死にたい”って思った人だけが、カメに導かれるの。ここは、そういう人たちが最後に辿り着く場所だから」


 浦島は背筋が冷たくなった。

 「……死にたい人が、来る場所?」


 乙姫は微笑んだ。

 「ええ。でもね、ここでは誰も苦しまない。

  過去も、罪も、現実も――全部、海の中で溶けるの」


 その瞬間、周囲の光景が変わった。

 街が形を変え、彼の“記憶”が映し出される。

 オフィス。書類の山。誰も自分を見ない同僚たち。

 そして、退職を告げる部長の姿。


 「やめてくれ……」

 「大丈夫。これはあなたの“苦しみのデータ”。

  もう消してもいいの」


 乙姫が指先で空をなぞると、映像は静かに消えた。

 波のように、すべてが穏やかに流れ去っていく。


 「ここではね、“現実”よりも“心”が本当なの」

 「心……」


 浦島は、自分の胸に手を当てた。

 たしかにここでは、重い何かが消えたように感じる。

 けれど、その代わりに――奇妙な空虚が残った。


 乙姫はふと、遠くを見た。

 「でも、この海にも“時間”があるの。

  永遠は、誰にも与えられない。

  あなたが本当に望むものが“生”なのか“静寂”なのか――その答えを、見つけてね」


 浦島は問い返すこともできなかった。

 ただ、海の底で見上げた青が、少しずつ白に変わっていくのを眺めていた。

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