第3話

◆第三章 空虚な帝国


田村の葬儀は、驚くほど盛大だった。


わずか4年で築いた人脈が、ミナミ中から弔問に訪れた。政治家、銀行員、地主、そして白川の組の面々。

黒いスーツの列が、まるで蟻の行列のように続いていた。


加藤翔太は最後列に立ち、焼香の煙を見つめていた。


「翔太」


白川が肩を叩く。


「田村の会社、お前が継げ」


「……え?」


「リョウ不動産や。お前の"目"があれば、もっとデカくできる。田村の遺志や」


加藤は何も言えなかった。


田村の遺影が、まるで責めるように笑っていた。


---


 三年後、東京。

 霞むような白光の空。天井までガラス張りのオフィスの床が、革靴の踵に軽い反発を返す。

 受付嬢の笑顔は磨かれた金属のように均質で、会議室のドアは音もなく滑った。名刺には「株式会社リョウ不動産 代表取締役」。机の端には、当日分だけで三行の接待予定。電話台の脇には金の名入りライター。紙のカレンダーには、都心再開発の印が赤い実のように房になっている。


 夜は六本木。

 マハラジャのミラーボールが回り、グラスの縁で氷が高音を鳴らす。

 白のスーツ、派手なネクタイ、ポケベルがビリ、と震える。

 ボトルには店名入りのゴールドプレート。

 「土地は下がりませんから」――銀行マンの歯が光り、「次は銀座の角地、坪単価一億が目安です」と囁く不動産ブローカーの指先が、テーブルに踊る。

 日経平均は四万円を夢に見る。

 ゴルフ会員権の数字は、花火の昇り龍みたいに伸びた。


 札束の束は、アイロンかけたばかりのシャツのように平らで、温かった。

 手帳のページは、まるで生き物みたいに自動で埋まっていく。

 クレジットの暗証番号は、店の壁紙の模様よりも身体に馴染んでいった。


 白川は相変わらず黒い。

「次はどや、仙台。駅の東側、まだ安うて匂う。役所が先に動く。ワシはそっち押さえとく」

「……わかりました」

 会話は、もう会話ではない。押印の音に近い。


 三年目、初めて夜が長くなった。

 高層マンションの大きな窓に、街の光が無数のゼロに見える。

 丸いゼロが、硝子にびっしり貼り付いて瞬いている。

 バスルームの大理石は冷たく、鏡の奥の自分は、白川の目をしていた。

 何かを“見抜く”目ではない。何かを“値踏みする”目だ。


だが、加藤の心は日に日に空虚になっていった。


---

ある夜、加藤は鏡の前に立った。


高級スーツを着た自分が映っている。仕立ては完璧。生地も最高級。


だが、何かが違う。


「……俺、何してるんやろ」


呟いた瞬間、背後に人影が映った。


「独り言か?」


白川だった。黒いスーツに葉巻を咥え、いつもの笑みを浮かべている。


「おい翔太。次、どこ行く? 札幌か? 広島か?」


「白川さん……」


「なんや、浮かん顔やな。金が足りんのか?」


「違います。……もう、やめたいんです」


白川の笑みが消えた。


「は?」


「この生活、もう続けられへん。田村さんが死んでから、ずっと考えてました。俺の"目"は、人を幸せにするためのもんやったんちゃうかって」


「何言うてんねん」白川の声が低くなる。「お前のおかげで、どんだけの人間が金持ちになったと思てんねん。

地主も、業者も、うちの組も。みんな笑うてるやないか」


「でも、田村さんは死にました」


「あれは寿命や」


「違います!」


加藤は初めて、白川に向かって声を荒らげた。


「あの人の数字、最後は半分になってたんです。500億が250億に。そして、消えた。……俺が、あのスーツで彼の人生を仕立て直してしまった」


白川は何も言わなかった。


ただ、葉巻の煙が天井に向かって立ち上っていく。


「翔太。お前、勘違いしとるわ」


「え?」


「お前の"目"はな、未来を見てるんやない。"可能性"を見てるんや。その人間が本来持ってる力、才能、運命。それが数字になって見えてるだけや」


「……」


「でもな、人間はそんな簡単やない。運命なんてもんは、生き方次第で変わる。田村は自分の力以上に走りすぎた。だから、体が持たんかった。

それだけや。お前が見ている俺の「∞」は、無限の金でも、力でもない。無限に満たされない渇望やった」


加藤は黙って聞いていた。


白川は続けた。


「お前が見てるんは、"その人間が最高の状態で生きたときの金額"や。でも、それを実現するかどうかは、本人次第や。

お前が殺したんやない。田村が自分で選んだんや」


「じゃあ……俺は、何のために見えてるんですか?」


白川は笑った。


「それは、お前が決めることやろ」

葉巻の火がチリ、と鳴った。

そして低い声。


「翔太、お前は俺と同じや。

欲に正直で、不器用で、人のためとか言いながら、自分の影を縫い付けとる。

せやけど、それが人間や」

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