いでそよ人を…
水菊静明
いでそよ人を…
怖い。怖い。恐ろしい。一体何が起こっているのかしら。あぁ、琴の音が止まりません。あぁ、風が吹き付けます。あぁ、その棚、何度開いて空いたら気が済むの………?
私はもう、かれこれ一年、この現象に悩まされている。最初の方はまだ良かった。けれど、どんどん酷くなる一方…。理由はもう、解っている。一年前に亡くなった…私の恋人。えぇ、これくらいしか御座いません。私は彼を愛していました。もちろん、彼も私を愛していました。浮気なんてしていません。彼に誓って、彼の望まないことはしていません。えぇ、神にでも何にでも誓ってやりますよ。そんな彼が、なぜ私にこんなことをするのか、ほんとうに理解できない。今でも、もちろん愛しているし独身を貫くとも決めている。じゃあ…、一体、どうして?
私と彼は大学で出会った。同じサークルで出会った。周りの奴らが大学デビューと浮かれる中、彼はただ平然と自分をありのままに表現していた。その姿に私は惹かれた。周りがどうあろうと、自分自身を貫く。その美しさ、その偉大さ。流行りなんか私にとってはどうでも良い。ただ流行に乗るだけの人間よりもよっぽど、ずっと趣味に傾倒しているような人間の方が、私は好きだ。
彼は、昔のことが好きだった。彼は日本史…主に、平安時代のことが好きだった。周りの人間(まぁ、私も含む)が高校であれだけ苦労して入試を突破して得た機会を散々棒に振る中、彼だけは真面目に勉強し、教授たちとも会話を積み重ね、また違う意味で大学生活を謳歌していた。私も歴史が好きだった。彼とは直ぐに打ち解けた。あんな話やこんな話。今までは全くもって話せなかったいろんな話を、彼は聞いてくれた。そして、私に教えてくれた。とても優しかった。私の話を、こんなにも興味深く聞いてくれる人なんて、もういないと思っていた。そうやってだんだんと話していく中で、私は、彼に惹かれた。
告白したのは、私のほう。彼は、受け入れてくれたのだ。それから、とっても楽しかった。2人でいろんなところに行って、おいしいものを食べて。旅行だってした。こうして何年も過ぎて、私は、ついにプロポーズまで…。まぁ、そうなるまでいろいろ、紆余曲折あったんです。
けど、ここでは、割愛。
彼が死んだのは、それからすぐのことでした。不幸にも、火事で。
彼の顔すらもう、わからなくなっていました。私は嘆き悲しみました。えぇ、本当に悲しみに暮れました。
けど、それも、割愛。
それから一年経って、私はようやく悲しむことを止めました。あっ、決して、彼のことを忘れたわけでは御座いません。彼のことを愛さなくなったわけでも御座いません。ただ、私の唯一の友達が言ってくれた言葉。それに私は心を動かされました。
「大丈夫大丈夫…。もう、十分悲しんだよ。だから、悲しむより、残された人生、楽しもうよ。彼の分まで」
このようなことを言っていたように思えます。あぁ、なんでちゃんと覚えてないの?という目をしていますね。…、しょうがないでしょう?物忘れのひどさは、私の個性と言うやつなのですから。
この日を境に、あの現象が始まりました。最初は少しだけだった。一日に一度だけ、ちょっと物音が鳴る、というくらいに。それなら私だって心霊現象だなんて思いません。ですが、日を追うごとにその回数が多く、その音も大きくなってきたのです。私は、直感しました。あぁ…これは、彼の幽霊だって。私に自分を忘れてほしくないがために、愛を示すために、こうしているんだって。だって、その音が鳴るものはどれもこれも、彼との思い出の中にあるものだから…
このエアコンも、あの棚も、さらにはこの琴だって、彼が選んでくれたもの。
本当はこれらの思い出すべて話したいけど、ここでは、割愛。
あぁ、でも、これだけはお話しましょうかね。彼と私は、互いに好きな歴史の話をよくしていました。その時に、百人一首の話も致しました。その時に、私は、言ったんです。
「私、この歌好きだな…、『有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする』吹く風に、人の思いまで運ばれそうで、平安の恋の繊細さがリアルに感じられて。」
…私はこの一年間、悩み続けてきました。えぇ、彼をお祓いするかどうか。実は私は既にそういった処は調べてあるのです。出来なくはない…のだそうです。そちらに言わせてみれば。てすが、私はそれを断りました。理由はもう、わかると思います。彼の残り香とまだ、共に歩みたかったから。
悲しむのは止めました。ですけれど、彼はずっと、永遠に愛しているのだから、これくらいは…ね?
そう思っていた私は、まるで馬鹿でした。勝手につくエアコン…勝手に開き音を立てる棚や琴。光熱費は馬鹿になりませんし、私の家は賃貸です。ですから…騒音問題というものがございます。私は泣く泣く、本当に悲しみながらも、このような問題で、彼をお祓いする必要に迫られたというわけです。
彼を除霊すると決めてから、ますますそれはひどくなりました。もう、正体を知っている私ですら怖く、恐ろしいと感じるほどに。怖くて怖くて、世界の方が可怪しくなったのかとも思えました。だけどここにきて、私の心は決まりました。彼をこんな状態で、放置しておけない。行くべきところへ、私が連れて行ってあげたい。あんなに優しくて自分自身の趣味や軸を持っていたあなたが、何故こんなどこにでもいるような霊にまで成り下がってしまったのか…。私の心は決めたのです。彼を、除霊すると。
除霊までは、いろいろありました。心の葛藤。彼の行方…。
でも、やっぱりここは、割愛。
除霊自体は、すぐ済みました。或るその手のことで有名なところに行って、終了。何ともありませんでした。ただ静かだった…、本当に、それだけ。これで彼とも終わる…そう、思っていました。
私が除霊を終えて、せっかくここまで来たのだからと散策をしていた時のことです。たまたま通りがかった笹原を歩いていた、その時。また、起こったのです。あの現象が。これまで無風だったのに、いきなり強く風が吹き付け、そよそよどころではない音が辺り一面を覆いました。私は直感しました。あぁ…彼だ、と。私があの歌が好きだと言ったから、また現れてしまったのでしょう。でもね、私も、予想していなかったわけではないのですよ。彼を本当に行くべきところへ行かせられるだけのお話を、用意してきたのですから。
私は彼にそっと、あの頃を思い出しながら言いました。
「私があの歌が好きだってこと、こんな時でも覚えていてくれたのね。本当に、ありがとう。今までのいろんなことも、全部私のためを思ってしてくれたことなのよね。大丈夫、解っているから。でもね、もう私たちは一緒には居られない。」
私は一呼吸おき、投げかけた。「ねぇ、あの歌の意味、わかる?有馬山の麓にある猪名の笹原に風が吹くと、「そよ」と音を立てる。その「そよ」という音のように、どうしてあなたのことを忘れましょうか、いや、忘れはしません。 という意味ね。これのもう一つの解釈、わかる?あなたのことを忘れていませんよと応じていますが、忘れたのはあなたのほうではないかという皮肉や情熱的な思いが込められているというものです。」
私は、語気を強めた。「私が覚えていない訳ないじゃない、むしろ、貴方こそ、忘れてしまったのではないですか?私を、あんなにも愛してくれたこと。優しかったこと。そうでなきゃ…私に対して、あんなこと…できるわけないのだから。愛していることはわかるの。でも…、なんでこんな愛し方をするの…?こうしてしまったら、貴方も、行くところに行けないのではないですか?この世に…、私に未練を残していたから。だったら、ここで、終わりにしましょう。簡単です。同意してくれればいいのです。ほら、その笹を、そよそよと鳴らしてみてください。私も言いますから。そうよ、そうよと。ここで互いに契りを結びましょう。互いのことを、何処へ行っても決して忘れないと。私はもちろん、死ぬまで覚えてる。他の誰かに恋することもないわ。貴方も、覚えているわよね…?貴方のことだからないでしょうけど、たとえ地獄に落ちようと。あぁ、貴方は天国、極楽浄土に行くのですから、あの世の楽しみに身を任せるだけではいけませんよ。そこでも、私しか愛さないと、約束、してくれますか?」
辺りを覆っていた暴風が止み、笹原が、そよそよとなり始めた。ずっと、鳴っていた。そして静かに、止んでいった。私はその風が収まるまで、笑顔を崩さず頑張った。けど、その音がやんだ途端、その場に崩れ落ち、泣き崩れた。
そこからは、割愛。
……このことがあってから、もう、あんなことは起こらなくなりました。彼はちゃんと、あちら側へ行ってしまったのでしょう。あとから聞いた話なのですが、「割愛」とは、元々は仏教から来た言葉なのだそうです。意味は、『出家する際に故郷や家族への愛着を断ち切る』というものです。えぇ、まさしく、彼と私なのではないでしょうか?彼は愛という名の衝動を断ち切って、あちらへ行ってしまいました。私もです。彼からの執着を断ち切って、今ではこうして、私の人生を歩んでいます。もちろん、私は彼を愛しています。独身を貫いてもいます。けれど、それとこれとは…ね。
ですがもっと合う言葉を、私は考えました。和歌には、あの歌だけでなく、掛詞が使用されます。あの歌にも、ありました。そこで私は考えました。「割愛」も掛詞にできるのではないか、と。私はこうしました。『勝愛』と。
説明しますね。『勝愛』。私は、彼の心霊現象という愛に、勝ちました。えぇ、勝ちましたとも。ああやって、消え去ることになったのですから。でもね、この愛を、割ってはないのです。つまり、断ち切ってはいないのです。この意味、わかりますか?彼への愛は、断ち切られることなく、ただ永遠に、私の心の中にあります。彼だってそうでしょう。きっと、そよそよと、鳴っているはずですよ。私の心の中でも、ずっと鳴っています。互いの心を確かめるように。互いの心が共鳴するように。
私が今まで、あれだけ「割愛」といっていたのは、『勝愛』を導き出すためです。ただ、断ち切るだけではないのです。それを乗り越えて、愛だけは消えさせない、断ち切らないで、自分の心にそっと…それこそ、そよ風のように遺しておく。そよ風は、いえ、風は何時でも起こります。必ず消えることはないのです。ですから、私はずっと思っているのです。互いの風は、何時も吹き合っていると。そして、必ず、二人の風が、合わさるときが来ると。
いでそよ人を… 水菊静明 @mizukikujyoumei
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