男の子

 紫色の手洗い洗剤を指の間から手首まで滑り込ませて入念に洗った。妻の萌絵はもうすでにペーパータオルで濡れた手を拭いている。萌絵が退院してまだ一週間だが出産前と変わらずきびきびと動いている。本人は「まだあちこち痛む」と言っているが小野寺はとてもそう見えなかった。

PICUに通って一週間。最初は手洗い場の壁に貼ってある手の洗う順序を一つずつ見ながら洗っていたが、一週間も来ると、何も見ずとも順序良く洗うことができるようになっていた。

 息子の大樹は生まれて一週間後に手術をした。妊娠六ヶ月の検診のときに大樹の心疾患が見つかった。手術なしでは自力で生きることが難しいと言われた。

生まれたらすぐに手術することが決まっていた。手術は無事に終わり、一週間毎日面会していたが、眠くなる薬を飲んでいるため、起きている姿はまだ一度も確認したことがない。

「今日は起きてるかな?」

「起きてたらいいね」

 小野寺は妻と話しつつ、看護師に大樹のベッドへと案内された。

 脚側にはどれがどう作用するのか一つもわからない点滴が四つもあった。ベッドの下部には血の入った袋がある。おそらく輸血したのだろう。手首や足首には針が刺され、そこからいくつものチューブが伸びている。小型のベッドのはずなのに、中央にはもっと小さな大樹が眠っていた。胸の中央には大きな白い当て布がされており、直接手術跡を見るのはまだできなかった。

「さっきまで起きてたんですけどね」

 今日、大樹を担当している小太りの中年看護師が残念そうに言った胸も腹も看護師のユニフォームを広げている。

「まあ、顔見れるだけでもいいわな」

「そうだね」

 だが、その直後、大樹の指先がピクリと動いた。

「大樹ー」

「寝かしておいた方がいいんじゃない?」

「やっぱりそろそろ親の顔見てもらいたいんだよ」

 萌絵に話していると、大樹はうっすらと目を開けた。まだぼんやりとしか見えていないはずの大樹と目が合った気がした。澄んだように黒い目は覗き込む小野寺を魚眼のように映っていた。

「大樹、お父さんだよ。こっちがお母さん」

 大樹に説明するが、もちろん伝わっておらず、やがて弱々しく泣き始めた。もっと大きな声で泣くかと思ったので心配になって看護師に訊ねると「新生児はまだまだ声が小さいんですよ。成長とともに声も大きくなりますから大丈夫ですよ」と言い、「ただね……」と続けた。

「どうされたんですか?」

「大ちゃん、ちょっと手を煩わせることがあってね……」

 小太りで中年の看護師は独り言のように呟いた。妙に馴れ馴れしい話し方に、小野寺は腹が立った。

「そりゃ心疾患持ってるので、お手を煩わせてしまうことは申し訳ないですけどね」

「あ、いやそうじゃなくて。ちょっとやってみるか」

 泣いている大樹に近づいて看護師が片手を首の後ろに差し込んで上体を起こした。もう片方の手でお腹をとんとんするが泣き止む気配がない。

「抱っこされますか?」

 唐突に訊いてきた。萌絵が「はい」と声を弾ませて答えた。両手を差し出して、細くて小さいわが子を看護師から受け取った。弱々しく泣き続けるがそこに命の強さを感じた。萌絵はまつ毛をわずかに湿らせているようだった。

「あなたも抱っこする?」

「うん」

 萌絵から抱っこの仕方を教わり、受け取る。三キロに満たない体重が両腕にかかる。全く重たくない。それなのに腕は痺れ始めた。大樹はまだ泣いたままだ。

「ご両親でもダメなのかあ」

 看護師はまた残念そうに言った。何がダメなのか。先ほどからこの看護師は失礼ではないか。そう言いかけるが、大樹を抱っこしながらクレームを言うのはさすがに気が引けた。

「打出さん、打出さん。ちょっと来てくれる?」

 看護師は楕円形のデスクに五人ほど座っているグループに声をかけた。そのうち一人の若い女性看護師が立ち上がった。

「あ、大樹くんですね。わかりました」

 液晶画面を見つめてマウスをクリックした後、若い看護師はこちらにやってきた。名札には「打出奈緒香」と記載されていた。端正な顔をしており、胸は看護師のユニフォームを大きく突き上げていた。思わず視線が固まってしまいそうになるのをなんとか大樹へと移した。その大樹は先ほどまで目を瞑っていたが、いつのまにか奈緒香へと視線を注いでいる。

「大樹くん、まだ手術終わったばっかりだから、あまり泣きすぎると心臓に負担がかかって良くないんですよね」

 奈緒香に大樹を預けた途端、大樹は泣き止んだ。

「大ちゃん、エンエンちてたの? あまり泣いちゃだめだよ。あれ? ウンチちたの?」

 奈緒香は大樹をベッドに寝かせるとおむつの側面を外した。おむつには緑がかった液体の便が付着していたが、それ以上に気になったのは短小なペニスがこれ見よがしに屹立していたことだ。

 奈緒香が手際よくおむつ替えをしたとき、彼女の手がわずかに反り立ったペニスに触れた。小野寺は顔をこわばらせた。大樹のペニスから精子のようなものが飛び出たからだ。

 大樹の顔を覗き込むと、恍惚に包まれたような表情をしていた。

「大ちゃんを泣き止ませることができるの、打出さんだけなんですよ。すごいですよ」

 中年の看護師が言うと、奈緒香は新しいオムツに変えながら「いえいえ、新年度から異動して来たばっかりでここでは新人です」と言った。


起:田中一誠という男の一人称。三十歳で人と付き合ったことのない童貞の男は末期の癌で死に瀕していた。一人っ子で父親と母親が病院のベッドに取り囲む。両親には恨みしかない。理由は勉強を押し付けられて、いじめられていることも「お前が弱いから」と一蹴され、引きこもりになったらあきれられたから。両親の奥にいる看護師の打出奈緒香に惚れている。性欲に塗れながら死んでいく。

承:心疾患を持った赤ちゃんの父親視点に移る。打出奈緒香がPICUに移動になった描写を入れる。

転:奈緒香に抱っこされると心拍数が上がる。ただ、男性や熟女看護師が担当だとずっと泣き続けるから特例で奈緒香が固定の担当になっている。抱っこが大好きなので「抱っこマン」と名付けられている。両親が抱っこするとギャン泣き。

結:おむつ替えの時間で、奈緒香がオムツを替えると短くて細いペニスがギンギンに勃起していた。奈緒香が赤ちゃんに微笑むとより屹立して精子のようなものが出た。

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一方通行の愛 佐々井 サイジ @sasaisaiji

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