第2話「解放と始まりのファンファーレ」

 王都を追われる手続きは、驚くほど迅速に進んだ。

 罪人である私に与えられたのは、一頭の馬と最低限の食料、そして古びたドレス一着のみ。公爵家から持ってきた豪華な宝飾品のたぐいは、すべて没収された。まあ、そんなものは必要ないけれど。

 父と母は最後まで、私に何も言わなかった。失望と諦めが入り混じったような、冷たい視線を向けるだけ。それで十分だった。もとより、愛情など期待していない。彼らにとって私は、王家とヴァイス家を結ぶための道具に過ぎなかったのだから。

 誰にも見送られることなく王都の門をくぐり、私は馬を走らせた。目的地は東、魔の森。数日もあれば着くだろう。

 道中は、実に快適だった。面倒な侍女も、堅苦しい護衛もいない。風が髪を撫でる感覚、土の匂い、鳥のさえずり。そのすべてが新鮮で、私の心を躍らせた。


『ああ、自由ってなんて素晴らしいのかしら!』


 道端に咲く名もなき花に微笑みかけ、流れる雲の形を目で追う。公爵令嬢として生きてきた十八年間、私はどれだけ多くのことを見過ごしてきたのだろう。

 そして旅を始めて三日目の午後。ついに、目的の場所が目の前に広がった。


「ここが……魔の森」


 噂に違わぬ不気味な雰囲気を漂わせる、広大な森。薄暗く、空気をよどませるほどの濃密な魔力が満ちている。普通の人間なら、この入り口に立っただけで恐怖に足をすくませるだろう。

 でも、私にとっては違った。


『なんて清浄で、心地いい魔力なの……!』


 深呼吸をすると、体中の魔力が喜びに震えるのが分かる。まるで、故郷に帰ってきたかのような安堵感。ここなら、大丈夫。私の力を、存分に振るうことができる。

 馬から降り、森に向かって一歩、足を踏み出した。その瞬間、私は十八年間ずっと抑え込んできた力の蓋を、思い切りこじ開けた。


「―――お待たせ、私のかわいい力」


 全身から、柔らかな金色の光が奔流となってあふれ出す。聖属性の魔力が、光の粒子となって森の奥へと広がっていく。それは、抑圧からの解放を祝う、私だけのファンファーレだった。

 すると、どうだろう。

 ざわざわ、と森が応えるようにざわめき始めた。今まで静まり返っていた木々が葉を揺らし、生命の息吹を取り戻していく。足元では、枯れていたはずの下草が芽吹き、色とりどりの花が一斉に咲き誇った。

 森全体が、私の魔力を歓迎している。


『すごい……!』


 祖母から力は受け継いだけれど、ここまで大規模に解放したのは初めてだ。自分でも、その力の大きさに少し驚いてしまう。

 私が感動に浸っていると、茂みの奥からカサカサと小さな音が聞こえてきた。警戒する間もなく、ひょっこりと顔を出したのは、一匹のリス。そのすぐ後ろから、ウサギやキツネ、小鳥たちが次々と現れる。

 彼らは私を怖がるどころか、興味深そうにキラキラした瞳で私を見つめている。中には、そっと足元にすり寄ってくる子までいた。


「こんにちは、みんな。怖くないよ」


 私が微笑みかけると、動物たちは嬉しそうに鳴き声を上げた。どうやら、私の聖属性魔力に惹かれて集まってきてくれたらしい。

 そして、一際大きなざわめきと共に、私の目の前に現れたのは……。


「……え?」


 それは、宝石のルビーを埋め込んだような真紅の瞳を持つ、小さな生き物だった。ふわふわの白い毛並み、長い耳、そして額には小さな角。体長は三十センチほどだろうか。愛らしい見た目だが、放つ魔力はそこらの魔物とは比べ物にならないほど強力だ。


『こ、この子は……もしかして、カーバンクル!?』


 伝説にしか登場しない、幸運を司る精霊。そのカーバンクルが、つぶらな瞳で私をじっと見つめている。私が恐る恐る手を差し出すと、その子はてちてちと歩み寄り、私の手のひらに小さな頭をこてんと乗せた。


「きゅい!」


 柔らかな毛の感触と、信頼しきったような鳴き声に、私の胸はキュンと高鳴る。

 か、可愛い……! 可愛すぎる!

 私の頬が緩みきったその時、カーバンクルの後ろから、同じような姿の仲間たちがわらわらと現れた。額の宝石の色は、サファイア、エメラルド、トパーズと様々だ。あっという間に、私の周りはカーバンクルの群れに囲まれていた。


「きゅいきゅい!」

「きゅー!」


 まるで「遊ぼうよ!」と言わんばかりに、私の足元でじゃれつくカーバンクルたち。その光景は、まさにもふもふ天国。


「ふふっ、みんな、よろしくね」


 私はその場にしゃがみ込み、一匹一匹の頭を優しく撫でた。十八年間の我慢が、今、この瞬間に報われた気がした。

 婚約破棄? 国外追放? 上等だ。

 私は、最高の楽園を手に入れたのだから。


「さあ、まずはみんなが安心して暮らせるお家を建てなくちゃね!」


 私は立ち上がり、森の奥を見据えた。ここからが、私の本当の人生の始まりだ。

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