Bルート
今日で終わらせる。0勝49敗。ダイスを振った数は既に数え切れない。二人の間にピリピリとした空気が漂う。さっき注文したコーヒーの湯気が、ゆらゆらと揺れた。ダイスを握った手から汗が滲む。
「険しい顔、してるよ」
彼女が、涼しい顔で言う。ひやりと汗が滲む。悟られぬよう、生唾を飲み込み口角を上げた。
「そんな事ない。勝つイメージでいっぱいだよ」
「そうなんだ。ふーん」
目線は自然と僕の手に落ちた。撃ち抜かれるような視線を感じる。いつも余裕綽々な態度の彼女。ピンチの場面でも涼しい顔でコーヒーを口にしている。
49回目の負けの代償は映画代の奢りだった。48回目は買い物の荷物持ち。毎回、彼女の良い様に使われている。初めての勝負はこの小さな喫茶店。記念すべき50回目の勝負の今日、白星は僕が頂く。
今回こそ僕が彼女に付き合わせる番だ。
勝ったら一緒に美術館へ行ってもらおうか。それとも本屋巡りに行こうか。やる時はやるのだと証明になる。僕に付き合わされる彼女はさぞ不満に思うだろう。そして、僕も男だと意識するに違いない。
生まれて出会ってからの15年間、僕は彼女に勝った事がない。いつか勝てたら、秘密を一つ教えてくれるという。
鞄が倒れ、手帳が踊るように飛び出てきた。手中のダイスを再度力強く握る。そして、離した。
カラン
2つのダイスの合計が8以上なら勝ち。コロコロと転がり、机の端から1つ落ちてしまった。
「あっ」
声が重なる。そのまま1つが下へ落ちてしまった。机上のダイスは5。もうひとつは。すぐ下を見る。どこにも見当たらない。椅子の下にも、カーペットの外にも見つからない。
絶望の縁へ落ちる。この1時間が、なんの意味もない時間に化けてしまった。椅子に座り直せば彼女が、意地悪く笑っている。細い指先が長い髪を弄ぶ。
「…今回は何が良い」
腕を組んで不服を訴える。ダイスを紛失。こんな負け方をするとは。成長のない自分は50回目の白星を手に入れた。
彼女は尚も笑い続ける。僕はぬるいコーヒーに口をつけ、ゴクリと飲み込む。少しの沈黙の後、彼女が告げた。
「そうだね。今回は美術館に行こう」
急に光が差した気がした。
「今週、新しい展示があったでしょ。ずっと行きたかったの」
持ち上げたカップが震える。深く息を吸い込み落ち着いて、ガチャンとカップをソーサーに置いた。
「わかった。行こう。」
「ありがとう。楽しみにしている」
彼女はコーヒーを飲み干す。空っぽのカップの底を訝しげに見ていた。
軽く予定を立てると、彼女は颯爽と店を出て帰っていった。机の上のダイスをポケットに入れる。もう1つのダイスとぶつかり、小さく音が響いた。
心の中では白星が裏返った。
名前も知らない、誰かの話を小さじ1 春先。 @harusaku_hanabi
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