第53話
ハーフェンの港街を照らす太陽は、すでに直上に昇っていた。
フリゲート艦クレスト号は、完全に沈没している。
船体は真っ二つ。
修理など考えるまでもなく不可能――だいぶ哀れな末路ね。
それだけの被害を受けたにもかかわらず、
海兵の人的損害は驚くほど少なかった。
沖合には、遅れて到着したフリゲート艦リンドル号。
海賊船に囲まれながらも、避難してきた海兵の収容に専念している。
小舟に乗った海兵たちは、黙々とリンドルを目指す。
誰一人、武器を手に取ろうとしない。
――生きて帰れる。
その事実を、今さら捨てるつもりはないらしい。
「その……さ。こんなことを言うのは、どうかと思うんだけど……」
港を離れる最後の小舟で、言い淀んだのはハロルド大佐だった。
「助かったよ。まさか救助を手伝ってもらえるとは思わなかった」
「アタイだって嫌だったさ。ヴェロニカが手伝えって、うるせえから」
不満げに吐き捨てるメアリード。
「言ったでしょう? 困ったときはお互い様、ってね?」
私はそう言って、にこやかに笑った。
――もちろん、博愛精神に目覚めたわけじゃない。
怖いのは、救助された海兵が戦闘を再開すること。
ヒエンの偵察では、海軍の本隊がすでに近海に迫っている。
予定よりは遅れているけれど、
ハロルドに遅滞戦闘でもされたら、たまったものじゃない。
だから、救助を手伝った。
いくらなんでも――
命の恩人に、いきなり刃を向けるほど、人は冷酷になれないでしょう?
……今のうちだけは、ね。
「……ミホークも沈めてしまうのかい?」
ハロルドは、海賊が乗り込んだ戦列艦を見つめ、少し寂しげに言った。
「あら? 残念かしら?」
「まぁね。戦列艦の艦長になるのは、海兵の夢だからさ」
彼は懐から煙草を取り出し、火をつける。
戦友に捧げる、ささやかな鎮魂のつもりなのだろう。
「安心して。あれを見て」
私が指をさすと、メインマストに海賊がよじ登っていた。
掲げられていた王国海軍旗が引き裂かれ、海へと投げ捨てられる。
代わりに翻るのは――
黒地に白のシャチ、交差したカトラス。
海賊旗。
「これは……まいったね……」
ハロルドは、火をつけたばかりの煙草を取り落とした。
それは静かに、海に浮かんだ。
「海賊が戦列艦を持つなんて……何をするつもりだい?」
それに、私は胸を張って答えた。
「ふっふっふ……数年以内に、この海も私のものになるわ!
この『クイーン・ヴェロニカ号』によってね!」
ババーン、と船名を宣言。
……しかし、返ってきたのは沈黙だった。
そして――
「あ~はっはっは! 海を自分のものにする? 流石はヴェロニカ!
アタイの妹分だけはあるね!」
「ちょっとメアリード!
何で私が妹分なのよ! 私が姉でしょう!?」
「クククッ。君、知っているのかな?
“クイーン”の冠名は、王族搭乗艦に限られるんだよ?」
「五月蝿いわね! そのうち貴方たちが、女王様って呼ぶようになるわよ!!」
私の絶叫に、ライカちゃんたちが吹き出す。
海賊も、海兵も、思わず笑った。
多くが死んだ。
多くを失った。
それでも――
この港には、確かに笑い声が残っていた。
小舟が沖へと離れていく。
その上で、ハロルドがこちらに向かって何かを放った。
煙草だった。
「君も吸うんだろ? 吸いかけで悪いけど、あげるよ」
「ありがと。……うわ、粗末な煙草ね。
海兵って貧乏なの?」
受け取りながら、つい口が滑る。
「素直に礼でいいじゃないか。一言多いよ」
ハロルドはそう言って、笑った。
そして──
「海兵! 背筋を伸ばせ!」
その号令に、海兵たちの空気が一変する。
「救援にご尽力いただいた、ヴェロニカ殿、メアリード殿、
そして配下の皆様に──」
彼は、先ほどまでの気の抜けた男とは別人のように立ち、
「敬礼!!」
号令とともに、海兵たちは一斉に額へ手を当てた。
私は、煙草をくわえたまま、その光景を眺めていた。
やがて小舟は遠ざかり、
王国海軍はハーフェンを後にした。
潮の匂いと、安物の煙草の味だけが、
いつまでも口の中に残っていた。
そして、港は慌ただしさを増していった。
「野郎ども! 戦列艦はすぐ出港だ!
ぐずぐずしてると海軍の間抜けが戻ってきやがるぞ!」
「急げ急げ! 宴は後だ! まずは仕事だ!」
「略奪が最優先だ! 逆らうやつは叩き斬れ!」
うんうん、やる気があって大変よろしい。
……でもね。
「ちょっと、あなた。話、聞いてた?」
私は海賊の一人を呼び止めた。
「え? なんだよ、ヴェロニカの姉御。急げって話だろ?」
「“叩き斬れ”の部分よ。手荒な真似は無しって言ったでしょう?」
それは、ハロルドとの約束。
被害は最小限に――という話だった。
勿論、そんな約束を守る気はさらさら無い。
でも、この安物の煙草代くらいは考慮してあげましょう。
「……だけどよ。抵抗してきたら、どうすんだ?」
はぁ……そんなの、決まっているでしょう?
「ブチ殺しなさい。可能な限り、派手にね」
私はにっこり笑った。
「あ、あぁ……任せてくれ……」
海賊は、わずかに引きつった顔で、街へと走っていった。
私はその背中を見送りながら、
新しい煙草に火をつけた。
「ハッハッハ! ヴェロニカ、結局やってること変わってないじゃないか?」
「変わってるわよ。
……前より派手になってるもの」
私はメアリードに笑いかけた。
そこへ、ライカちゃんたちが駆け寄ってくる。
「お、お姉さん……その、ウチ達も今、食料を集めてる」
まだ少し、顔が強張っている。
ふふ……可愛らしいわね。
「獣王様の言いつけ通り、パン屋の小麦まで奪ってますけど……」
カーターくんは、どこか納得がいかない様子だ。
「しかし、金品を集めたほうが効率的じゃないか?
後からでも食料は手に入るだろう」
オイレちゃんが首を傾げる。
「だめよ。食料最優先」
私は即座に言い切った。
「小麦だけじゃない。果実の一房も残さないで。
船に積めない分は、燃やすか、海に捨てなさい」
「なんだよ、ヴェロニカ? 腹でも減ったのか?
海鮮ならいくらでも食わせてやるぞ?」
メアリードが肩をすくめる。
「ええ。私は食いしん坊なの」
私は、にこりと笑った。
「そしてね――それは、みんな同じなのよ」
ライカちゃんたちは、顔を見合わせる。
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
「ヒエン! いるのでしょう! 出てきなさい!」
「いちいち叫ぶなよ……。
ったく、ライカ達と扱い違いすぎるだろ」
ぶつぶつ言いながら、ヒエンが屋根の陰から降り立つ。
……なんでしょうね。
この子、どうにも雑に扱いたくなるのよ。
「例の連中は?」
「わかってる。もう呼んであるよ」
ヒエンが路地を指差す。
そこから、脂汗を浮かべた太った男たちがぞろぞろと現れた。
「お、お日柄もよく……お目通り、感謝いたします……獣王様」
「ハン。下らないおべっかはいらないわ」
私は一歩、近づく。
「……殺すわよ?」
男たちの喉が、同時に鳴った。
「……ヒエン。あいつら、何者だ?」
オイレちゃんが小声で尋ねる。
「ラーレン商会。この街を牛耳ってる商人だよ」
「さっさと案内しなさい。私の配下は人間が大嫌いなの。
抑えるの、結構大変なのよ?」
それだけで十分だった。
ラーレン商会の連中は、転がるように踵を返し、
必死の形相で道案内を始めた。
──続く。
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