第37話
「人間を怒らせた。……一体何をやらかしたの?」
私はゆっくりと笑う。
その笑みを正面から受け止めたヒエンの肩が震えた。
「ち、ちが……オレは……」
泣きそうな顔。反論にもならない声。
そこで私は、わざと優しく胸元へ指を滑らせた。
薄い胸板を指先でなぞるだけで、ヒエンの息が乱れる。
「ぁ……っ」
甘く身体が反応した瞬間──私は声を変えた。
「──何か隠してるでしょう。嘘をつけば、命は無いわよ」
嘘の余地がない声音。
ヒエンの顔から恥じらいの赤みが消え、死人のような青ざめに変わる。
「……魔法鉱石だ。オレ達が見つけた……」
「ダラダラ喋るな。喋ってる間にも仲間は死んでいくのよ?」
追い打ちをかけると、ヒエンの瞳が潤んだ。
「領主に持っていった。でも買い叩かれて……だから隣の領主に掛け合った。
鉱山を作るのに協力すれば利益の半分を分けてくれるって……
オレは、里のために……それだけで……」
全部聞き終える前に、私は彼の耳元に唇を寄せた。
「ふぅん……“義理を裏切って”“甘い話に乗って”“里ごと破滅させた”ってわけね」
指先が耳のラインを撫でる。
そして囁いた。
「──裏切者が。自業自得よ」
取引相手を勝手に変える。それは、酷い不義理だ。
私はヒエンの胸を軽く突き、押し返すように背を向けた。
「行くわよ。オイレちゃん、案内お願い」
三人は迷いなく頷く。
そういう“意思表示”が、ヒエンの神経を逆撫でしたのだろう。
背後から、噛み殺した声が漏れた。
「……やっぱり、そうなんだな……」
知らないふりをして歩き出した私達に、ヒエンの叫びが刺さった。
「獣王様だの獣人の解放だの言っておいて──結局オレ達を見捨てるのかよ!」
怒りで震える叫び。
しかしその奥にあるのは、怒りではなく“拒絶された痛み”だった。
「獣人の“輪”に入れてくれなかったのは誰だ! オレ達だって誇りが欲しかった!
でも何やっても笑われて、泥水すするしかなくて……!」
声が震え、泣き声に変わっていく。
「助けてくれたのは人間だったんだ! 逃げ方も、家も、水も、魔法も──全部、
人間が教えてくれた! オレ達を生かしてくれたのは人間なんだよ!」
それは蝙蝠族の長年の鬱屈そのものだった。
「なのに
なんだよ、それ……オレ達だって……生きたかっただけなんだよ!」
ヒエンは震える拳を握ったまま、私達をもう一度だけ振り返る。
「変わった奴らだと思った……違ったんだな。勘違いだった」
そして草むらを掻き分け、炎の方へ走り去る。
自分の身体が溶けるとも思わずに。
立ち止まる私達の前に残ったのは──
絶望の声と、燃え盛る炎の音だけ。
私は深くため息を吐いた。
憐れみでも後悔でもない。もっと実利的なため息。
「それで──魔法鉱石って、高いの?」
突然の問いにカーターくんが瞬きをする。
「ま、魔法鉱石自体はそこまでではありませんが……
精製して魔石に加工できれば価値は跳ね上がります」
宝石の原石ってところね。
磨けば使えるし、売れる。シンプルでいい。
「魔石は高いよ」
とライカちゃんがにやりと笑う。
「純度次第だけど、人生が変わる額になる」
オイレちゃんも続ける。
「ヴェロニカ様を召喚した時に使用した魔石──あれが正規価格なら、
私達三人が数年は暮らせる」
……そんな金で私を呼んだの?
光栄ね。本気度は買ってあげる。
私は炎の方に顔を向けた。
「決まりだわ。蝙蝠の生き残りを探し出して、
採掘場所を吐かせて──全部いただく」
私の声に三人の口元が吊り上がる。
救うために行くんじゃない。
稼ぐために行くのよ。
「お姉さん、最初から助けるつもりだったんじゃないの?」
とライカちゃんが茶化す。
私は鼻で笑った。
「馬鹿言わないの、情で動くように見える? 私は慈善事業なんて興味無いの」
そして三人に問いかけた。
「蝙蝠と人間。どっちが嫌い?」
三人は振り返る間もなく即答した。
「もちろん──人間!」
その声の鋭さが、私の胸を心地よく震わせた。
「いい返事。気に入ったわ。さあ、行くわよ。稼ぎと復讐は早い者勝ちでしょう?」
「きゃあっ!」
足がもつれて地面に倒れ込んだ瞬間、胸に抱えていた我が子が転がっていった。
「お母さんっ……!」
小さな腕が震えながら縋りついてくる。
痛みを訴えながらも、離れようとはしない。
「だめ、逃げなさい! 早く……!」
袖を掴む腕を振りほどこうとしても、幼い指は離れない。
その時だった。
「見ろよ。子連れの化け物だぜ」
背後から声がした。
ゆっくりと振り向く。剣を持った人間の男達が笑っていた。
「おい、意外と可愛いツラしてんな。俺からやっていいか?」
「は? そんなガキ顔、興味ねぇよ。趣味じゃねぇ」
下卑た笑い声が重なる。
──ああ、誰も助けに来ない。
胸の奥が凍りつく。
せめて、この子だけは。
力いっぱい抱きしめる。自分が盾になるように。
「ちげぇねえ。さっさと終わらせるか」
剣が持ち上がった。
時間が引き伸ばされたように遅くなる。
頬に涙が伝う。幼い体が震えている。
(お願い……この子だけは──)
男は剣を振りかぶった。胸が熱くなり、視界が赤い。
領主に連れてこられた時はうんざりしたが──今は悪くない。
一方的に殴り、斬り、悲鳴を聞ける。最高だ。
なのに。おかしい。
胸の奥が冷える。
今さら罪悪感などあるわけがない。さっきまで何人も殺したのだ。
なのに、ぞわりと皮膚の下を這うものがある。
隣にいた相棒を見た。
「──ひ、ひィッ!!」
男はいなかった。
いや、いた。だが形を変えていた。
肉も皮も無く、ただ白い骨だけになって。
「な……テメェ……!」
恐怖を振り払うように叫び、勢い任せに剣を振る。
骸骨は崩れ、倒れた。
「はっ……は、ハッ……見かけ倒しじゃねぇかよ……」
息を荒げ、笑う。
そこで、ゆっくりと振り返った。
骸骨が立っていた。
一体ではない。
二体、三体──視界に収まらないほど。
カタリ、カタリ、と乾いた音を立て、こちらへ歩いてくる。
理解してしまった。
理屈ではなく、本能が叫び始める。
(殺されたら──こいつらの仲間になる)
逃げなきゃ。
でも、走っても無駄だ。追いつかれる。
助からない。
ひとつだけ、助かる方法がある──なぜか、確信があった。
彼は剣を逆手に持ち替え、震える両手で自らの首へ押し当てた。
「た、助けて──」
呟きが終わるより早く、刃は喉元を裂いた。
血飛沫が夜の炎に溶けて消えた。
「大丈夫か! 怪我はないか!」
火の粉の中に、影が降りてきた。
黒い翼が風を裂き、蝙蝠の親子の前に着地する。
「ヒエン! 今までどこにいたの!?」
「ヒエンお兄ちゃん!」
親子は泣きそうな声で縋りつく。
ヒエンは息を切らせながらも、二人の肩を軽く抱いた。
「遅くなって悪い……! でも今は走れ! 森に逃げろ、急いで!」
親子は深く頭を下げ、炎と死骸の間をすり抜けるように走り去った。
ヒエンはもう一度だけ、その小さな背中を振り返った。
そして正面を向く。
突然乱入した“何者か”のせいで、仲間の兵士が自分たちを斬り始めた。
悲鳴も、怒号も、すべてが理解できない。
「こ、コイツ! 魔法を使ったのか……!?」
周囲の兵士達の狼狽が耳に刺さる。
殺意を伴った不可解な魔法。
ヒエンは震えていた。
恐怖か、怒りか、自分でもわからない。
だけど、自分の幻影魔法はコイツ等に効くと思った。
足は一歩、前へ出た。
里は、仲間たちは、自分が守ると。
「……来いよ、人間」
翼を広げ、炎の前に立ちはだかる。
「オレが相手だ! 全員、まとめてかかってきやがれ!!」
燃え盛る赤の中で、彼の影がすべてを飲み込むように立っていた。
──続く。
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