第27話

「じゃあ、いいわね。丁度いいじゃない。ここには敵しかいないもの」


「……ヴェロニカ殿?」


「あなたは私たちを捕らえに来たんでしょう? それに浄蹄は獣人を嫌う。

 どんなに正しく振る舞っても、あなたの行動は悪にされるわ」


 私は葉巻をくわえ、紫煙を吐いた。

炎の先が赤く光り、セリューネの顔を淡く照らす。


「だったら、好きにやればいいじゃない? 誰に遠慮する必要があるの?

 貴方が正しいと思うこと、それをしたっていいじゃない?」


「…………」


 セリューネは黙ったまま、わずかに拳を握りしめていた。

その肩に、老ケンタウロスのトウジンが手を置く。


「姫様。わしは……姫様の味方じゃよ」


 その声は、どこか寂しく、けれど確かな温かさを帯びていた。

デュノールがそれに続くように、胸甲を拳で鳴らす。


「セリューネ様! お側で戦えること、光栄です!」


「お前たち……」


 セリューネの瞳に、これまで見たことのない光が宿った。

決意と、ほんのわずかな希望の色。


──まあ、どうでもいいけど。


 私は灰を落とし、口の端で笑う。

葉巻の煙が甘く、妙に心地よかった。


「……ヴェロニカ殿。人の神話で、我らケンタウロスがどう語られているか、

 知っているか?」


「知らないわ。でも、面白そうね」


 セリューネは、静かに息を吸い込んだ。

その声音は語りではなく、祈りにも似ていた。


「人の神が、獣王と戦を起こした時――

 神は我らの前に現れ、その神々しき姿をもってケンタウロスを従えたという。

 我らは膝をつき、神に忠誠を誓ったと」


「ふ〜ん、なるほどね。よくある話だわ」


 ヴェロニカが煙を吐く。

セリューネはその煙を裂くように、続けた。


獣人ビースト・マンの伝説ではその後、こう続く。

 ケンタウロスは人の神をその背に乗せ、戦場を駆け抜け、獣王の背を貫いた――

 裏切りの民として語られている」


「ふふ、効率的じゃない。背後を取るのは得意なのよね、裏切り者って」


「……けれど、我ら自身の伝承は別だ」


 セリューネは一歩、前へ。蹄が地を打つ。

空気がわずかに震えた。


「神も、獣王も、我らには追いつけなかった。

 我らは草原を、山を、森を駆け抜け、誰にも縛られぬ種族だった。

 人の神が協力を求めたのは、我らが“自由”であったからだ。

 ――我らは神の下僕ではない。神の“協力者”なのだ!」


 最後の一言は、獣の咆哮のようだった。

トウジンとデュノールが無言でうなずく。

三人のケンタウロスが同時に槍を天へ掲げ、金属の擦れる音が空気を裂いた。

月光がその穂先に反射して、銀の閃光が辺りを照らす。


 私は葉巻をくわえたまま、その光景を見上げた。


「……いいじゃない。

 神にも獣王とも違う、自由の民ね。そういうの、嫌いじゃないわ」


 紫煙が三人の掲げた槍の間を、ゆるやかに流れていった。



「我が戦友よ──この世で、最も速く駆ける者は誰だ!」


 セリューネの声が、石壁を震わせた。

その響きに呼応して、老将トウジンと若きデュノールが叫ぶ。


「ケンタウロスなり!!」


「ならば問う! この世で最も自由なる者は誰だ!」


 蹄が床を打ち鳴らす。

その音が戦鼓のように、全員の胸を打った。


「ケンタウロスなり!!」


 ベニスがその声を聞いて怯える。

浄蹄も、ライカたちも手が止まる。


──止める声はもう届かない。


「では、戦友よ──この世で最も強き者は誰だ!!」


「ケンタウロスなり!!」


 セリューネはその声を受け、ランスを真っ直ぐに掲げた。

穂先が炎を映し、金色に光る。


「ならば、足の遅き者どもに思い知らせてやろう!

 誰が最速で、誰が最強かをな!!」


 トウジンとデュノールも、彼女と並んで槍を構えた。

三本の槍が一直線に揃う。


「征け! 戦友! 突撃ぃ!!」


「ケンタウロス万歳!!」


 地を割るような蹄音が、倉庫の床を震わせた。

鉄と石の衝突音が重なり、

その光景は、まるで伝説の再演だった。


「ラ、ライカちゃん! オイレちゃん! 逃げなさい!!」


 思わず、葉巻を落とした。

胸の奥がざわつく。

声が勝手に出ていた。


 弓手を片づけたオイレちゃんが、

一階に降り、ライカちゃんと背中合わせに構えている。

その周囲を、浄蹄同盟の群れが取り囲んでいた。


 そして――

その群れの向こうから、轟音が近づいてくる。


「えっ!? お姉さん、何してんだよ!?」


「ライカ! 話はあとだ! ケンタウロスの全力突撃! 早く逃げるぞ!!」


 オイレちゃんの叫びに、ライカちゃんが顔を青くする。

二人は荷物の陰へと飛び込んだ。


次の瞬間、空気が震えた。


「ひ、ひぃっ!?」


 浄蹄同盟の者たちは、ライカ達が姿を消したと一瞬だけ息を吐く。

だが、その安堵は長く続かない。


 石畳を砕き、雷鳴のような蹄音が迫る。

三つの影が、壁のような勢いで突き進んでいた。


 セリューネ、トウジン、デュノール――

巨躯が一直線に走り抜ける。

ただそれだけで、空気が圧し潰されるようだった。


「う、うわああああっ!!」


 恐怖と、嘆きの声が蹄鉄の音をかき消すように響き渡った。

 

 そこからは――一方的だった。


 それでも、浄蹄の中に一人だけ、まだ理性の残っている者がいたらしい。


「槍を持ったやつ、前へ! 列を組め!!」


 叫びと共に、彼らは必死に槍列を形成する。

それは正しい。

騎兵の突撃には槍を構えよ――

人間が幾世代もかけて学んだ戦の知恵。


 けれど、それは紙の盾にすぎない。


セリューネちゃん達の体重は軽く見積もっても四百キロを超えるだろう。

その巨躯が数十キロの速度で迫ってくる。


……あなた、もし車を止めるために車道へ座れと言われたら、出来るかしら?

そういうことよ。


 槍は騎兵を止めるためのものではない。

人間という“クッション”が、その勢いを殺すための犠牲に過ぎない。

槍はただ、その死を少しだけ支える飾り物。


「ひ、ひいぃっ! む、無理だ! オラは嫌だ!」


 一人が槍を捨てた瞬間、列は崩れた。

恐怖は伝染する。

背を見せた者から、順に――


 轟音。

石畳を蹴り砕く蹄の音。

その一撃で、彼らは木の葉のように宙を舞い、壁に叩きつけられる。


 それでもセリューネ達は止まらない。

地を裂き、風を切り裂き、突き抜ける。


 血と塵が舞い、世界が赤く染まる中で、

彼女たちはただ走った。


 それは、もはや戦ではなかった。

――神話の再演だった。


「く、クソッ! 畜生めぇ!」


 一人の同盟員が、足元に落ちていた弓を掴み取る。

震える指で弦を引き、狙いを定めた。

それが、彼の命を縮めた。


「ぐぇッ!」


 弓を持った――

それが、彼の死因だった。


 走りながら、トウジンが流れるような動作でランスを背に戻し、

肩の弓を抜く。

一瞬の呼吸もなく、弦が鳴った。


 空気が裂けた。


「ふむ……弓というのは、無粋じゃのう。

 わしが言えた義理ではないがな」


 老人の声が静かに響く。


 矢は一直線に飛び、標的の胸を貫いた。

その勢いのまま、男の身体は壁に叩きつけられ、

まるで虫の標本のように張り付いた。


 私は思わず、口の端を引きつらせる。


 嘘……でしょ?

これ、弓の威力じゃないでしょう。

まるで――大型弩砲バリスタの域。


「足を止めたぞ! 囲めぇっ!!」


 突撃の勢いが一瞬、止まった。

セリューネちゃん達が方向を変える――

その刹那を狙って、浄蹄同盟の残党が一斉に殺到した。


 デュノール君は即座に判断。

ランスを背に回し、腰のサーベルを抜く。

王国騎士の両刃剣とは違う、反りのある刃。

速さと切れ味を重視した戦馬用の剣だった。


「ギィやッ!」


 鋭い一閃。

振り抜かれた刃が、男の胸を横に裂いた。

続けざまに盾を振るい、迫ってきた者を叩き伏せる。

動きは一切の無駄がなく、

まるで戦場そのものが彼に合わせて息をしているようだった。


 その背後――

一人の同盟員が忍び寄る。

哀れなことに、彼は“常識”を信じていた。


 ケンタウロスの体格。

馬の下半身を持つ彼らには、背後に死角がある。

人間の腕では届かない。

だから、そこが“弱点”のはずだった。


……それは、浅い。


「ぐはッ!」


 次の瞬間、デュノール君の後ろ脚が閃いた。

音すら置き去りにする一撃。

蹴り飛ばされた男の胸は、陥没し、骨が内側から突き出た。


「ふん……卑怯者め。

 我が剣で切るに値せぬ。」


 静かに呟く声。

その横顔、絵画みたいに美しいのに――怖い。


 そ、そうよね……

そんな弱点、放置するはずないわよね?


……はは。

強くて、冷たくて、カッコいいわよ……デュノール君。


──続く。

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