第26話
領主がいなくなったのを確認して、
倉庫の奥まで私の声が届くように、少しだけ高く言った。
「ライカちゃん、オイレちゃん。お待たせ。始末して構わないわよ」
金属と藁と湿った木の匂いの中で、浄蹄同盟員たちが一瞬、足を止める。
扉が乱雑に開き、唸るような掛け声とともに人波が押し寄せてきた。
思ったより数がいる――槍先が暗がりで光る。
「なめるな!
ベニスが叫ぶ。声はやや高ぶり、でもそこに弱さが混じっていた。
「手加減は?」
ライカがニヤリと半笑いを投げる。
「必要ないわ。一人も逃がさないこと。出来る?」
私は肩をすくめるように言った。
「任せてくれ、ヴェロニカ様。前みたいな取り逃がしはしません」
「オイレ? 自信満々じゃん? 失敗したら恥ずかしいぞ」
オイレはきょとんとした顔をしてから、顔を上げると淡々と言った。
「なら勝負だ。討ち取った首の数が多い方の勝ち。
負けたら――食事当番でどうだ?」
「面白い! ウチが負けるわけないけどな!」
ライカが斧をぐっと握り、オイレは短刀の角度を確かめる。
二人は同時に駆け出した。そこに沸き起こるのは、獣人たちの低い唸り声と、
浄蹄同盟側の狼狽。瓦礫と木屑が舞う。
私はふと、葉巻を咥え、マッチの火花が散り、戦の始まりを告げた。
「うらあぁああ!!」
ライカが咆哮を上げ、斧を振りかぶって突進する。
長い尾が翻り、暗がりに蛇行する軌跡を描いた。
「構えろ!」
ベニスの号令で、槍を構えた浄蹄同盟員たちが一斉に列を成す。
槍先が夜の光を拾い、先端がざわつくようにきらめく。
だが――統率が甘い。列は揃っておらず、振りのタイミングもバラバラだ。
ライカは槍列に突っ込む直前で膝を落とし、斧を十字に合わせる。
槍の一撃が、斧との衝突音とともに受け止められる。
「ぐあっ!」
器用に交差したライカの斧で切り裂かれた、槍の柄が弾け、
握り手ごと飛んでいく——金属が砕ける音が木霊した。
その煌めきに視線が一瞬逸れる者がいた。
次の瞬間、斧は跳ね返り、白い閃光が頭蓋を割る。
砕け散る木片と悲鳴が同時に舞った。
次はお前だ──
そう言わんばかりに、ライカはもう一度踏み込み、次の標的へと向かっていった。
「調子にのりやがって! 獣人が!」
二階の踊り場から浄蹄同盟の増援が顔を覗かせる。
階下では、狼の耳を持つ女が斧を振るい、仲間を叩き伏せている。
「あいつだ、狙え!」
指揮官の男が涎を飛ばして怒鳴り、弓兵たちが慌てて弓を構える。
だがその弓は粗雑な手製。木の節も削りきれず、
狩り道具の寄せ集めにすぎなかった。
「構え!」
男は見よう見まねで騎士の口調を真似る。
仲間たちは顔を見合わせ、内心うんざりしていた。
撃て!
その号令が出る――はずだった。
「ご、がハァ!!」
奇妙な音が混じる。
弓持ちたちが目をやると、指揮官の体がぐらりと前に崩れた。
彼の後頭部は、見知らぬ女の胸に埋まっている。
そう、埋まっていた。
首の半ばまで切り裂かれて。
喉を裂いた短刀を引き抜き、女は冷ややかに弓持ちたちを見た。
知性を宿した梟の瞳――オイレだった。
「ひ……ひぃ!」
誰かが悲鳴を上げる。
次の瞬間、オイレは片手で指揮官の頭を掴み、弓兵たちへ突き出す。
切り口から泡立つ血が音を立て、赤い滴が床に散った。
「……た、たすけ……」
言葉は途中で消えた。
その光景に弓兵たちは腰を抜かし、弓を落とす。
オイレは満足げに小さく息を吐き、死体を階下へ突き落とした。
カッ、カッ、カッ、カッ──
梟の脚爪が床を叩く乾いた音だけが、静まり返った廊下に響いた。
「あららら……ライカちゃんも、オイレちゃんも、とっても元気がいいわね」
私は椅子にもたれ、辺りの血塗れの騒ぎを眺める。
哀れなほどに訓練されていない『浄蹄同盟』の民兵たちが、必死にもがき、倒され、叫び、床に転がる。愚かしいほどに無計画で、だからこそ楽しい。
「少し、いいだろうか、ヴェロニカ殿」
その声に眉を上げると、セリューネが私の前に出た。
静かな感情を抱えた馬の女騎士──
「貴方は何故、こんなことをする? あの兎に侮辱されたからではないだろう」
――侮辱? ああ、もちろんよ。私を侮辱してビビってると言われたのよ?
でもね、ただ腹を立てているだけなら、ここまで馬鹿な行動は取らない。
私はもっと面倒くさい女だ。
「私にはそうは見えない。貴方はそんな浅はかではない」
セリューネの言葉に、苦い笑みが引きつる。
彼女は私の内側を覗きたがっているのだろう。それが……なんとも腹立たしい。
「気に食わないのよ」
私は言う。声は軽く、けれど刃のように冷たい。
「自分が偉いわけでもないのに、殴って良いと決められた相手を、
好き勝手をする馬鹿はね……」
幼い頃のことが頭をかすめる。
酒と暴力と――『殴られるために生まれた』と教えられた日々。
誰かが、ただ優しくしてくれていれば、私は違ったかもしれない。
違った“私”が生まれたかもしれない。
セリューネの視線が、ほんの一瞬だけ揺れる。
その表情は、なんとも言えない哀れみと憐憫が混ざっていた。
胸に刺さる。私は見たくなかった。
「……セリューネ、その顔、私は嫌いだ。次にそんな顔をしたら、殺す」
冷たい感情を殺した声。
だが、その一言は本気だ。私は、自分のことが嫌いだ。
だから誰も私を優しくしてくれなかったのだと――
そんな弱さが、自身の中にあることに腸が煮えくり返る。
セリューネは目を伏せる。沈黙が、短く落ちる。
血の匂いと、まだ温かい足跡、そして私の言葉。
戦場の空気が、じわりと濁る。
「いいわね。お喋り。セリューネちゃんと喋るのは楽しいわ」
私は葉巻を指で弾いて灰を落とした。
ライカが咆哮を上げ、オイレが冷たい目で次の標的を探す。
そして、セリューネは馬の身体を小さく震わせ、選択を迫られているように見えた。
「……そういうあなたは、どうなのよ?」
「私か?」
癪だった。
この馬の姫の、汚れを知らぬ目が。
心の奥を覗かれた気がして、少しだけ壊したくなった。
「私は、王の命により、王のために働く。それだけだ」
「つまらない生き方ね」
セリューネの眉がぴくりと動く。
私は葉巻に口をつけ、白い煙をゆっくりと吐き出した。
「俗世の者には、そう見えると思う。しかし、私には――」
「自分がないだけでしょ? だから、言われたことしか出来ない。
それを義務だとか、名誉だとか呼んで、飾ってるだけ」
葉巻の煙が彼女の顔の前で揺れた。
セリューネは目を伏せ、唇を噛む。
「そ、それは……だが、一族のためには……」
「一族ね」
私は煙を弾くように笑う。
「いいのよ。だけど、たまには、自分のしたいことをしてみたほうがいいわ。
誰かに見張られてる生き方なんて、息が詰まるでしょう?」
「ヴェロニカ殿、それは出来ない。私たちケンタウロスは“裏切り者の
誰もが私の動きを見ている。人間も、
その声は、硬く震えていた。
隣のトウジンが静かに目を閉じる。
「姫様……」
その一言に、長い年月の重みが滲んでいた。
セリューネは返さず、視線を落とす。
私は葉巻を指先で転がしながら、赤い火を見つめた。
煙が消える。
それが、私達の間に灯った「小さな自由」の灯にも見えた。
──続く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます