パン職人、ランドル
雲が少しだけ残った青空。入り口の木札を回し、開店へと変える。開けたところでギルドが価格を決めてる上、ギャングに持ってかれるんだ。働く意味なんてあるのか。
少し前に聞くところによると、領主の上が変わったらしい。どういう事なんだ。メーザリー侯爵が一番上じゃないのか。
まぁ、パン屋の俺にはあんまり関係ないし、知らなくてもいいだろ。どうせこの街は終わってんだ。
「……」
何も言わず、街行く人を眺める。皆一様に、何かに急かされている顔だ。俺も同じ顔だろう。ギルドとギャングに金は抜かれて、残った仕事はまともじゃない。衛兵は、アルバーネ伯が手を出さないようにって言ってるらしい。ボヤいてたよ、可哀想に。
んで親方は俺達職人をギャングに絞らせて、利益を折半してやがるんだ。守る様子すらねぇ。店頭に立つ必要さえないのさ、絞らせて抜けばいい。クソったれ。
随分と古くなったドアを開け、店内へと戻る。戻ると嫁がこっちを、力無く見てきた。それなりに綺麗な顔が、カウンターに肘を付いてるせいで歪んでる。しょうがねぇだろ。どうにもなんねぇんだから。
「ランドル、眠いわ」
「……俺もだよ」
パン屋を親方に押し付けられてた奴が、色々あって逃げちまった。それでパン職人だった俺と関係ない嫁が急遽、店頭に駆り出されるようになって数年が経つ。こんなご時世だ、嫁を一人に出来ず……俺も店頭に立つしかない。疲れすぎて、店頭で寝るようになった。
そのまま二人でボーっと客を待つ。人生、このまま終わっていくのか。パン屋を継ぎ、盛り上げていく。昔の夢が、遠い何かになってしまったようで。
「……よ、お疲れ」
「おう……」
結構時間が経ってたみたいだ。扉を開けて入って来たのは、くすんだ金髪。あぁ、鍛冶師の見習いか。名前はエディ、変な笑い方とそばかすが映えてる。ウチは結構商業区の近くにあるから、職人や親方に行かないぐらいの奴が使いっ走りにされるのさ。ま、これはよくあるこった。俺もこうなる前は……。考えるのはやめとこう。ただでさえ暗いのに、これ以上暗くしてどうする。
「黒だろ?」
「あぁ……白も幾つか」
「親方か?」
「振る舞うんだと」
「ふん……」
黒パンをいつも通りの数、白パンを向こうの感じを見ながら籠に詰めていく。文字通り死ぬ気で作ったパンが売れるのは結構だが、この内の銅貨何枚が利益になるやら。
嫁に計算して貰う。ぼんやりしてても商家出身だ、流石に俺よりも早い。どうにも算術は苦手でね……。こういう感じのは嫁任せだ。眠くて頭も回らん。
「黒が9……銅が9よ」
「……上がってねぇか?」
「親方の指示だ。仕方ねぇ」
「またかよ。クソ……」
「白は4……銅が12ね」
へいへい……と言いながら布袋をガサゴソ探すエディ。価格は仕方ねぇんだ、抜かれる金も材料も高ぇんだからよ。俺達だって生きていかなきゃならん。すまんな……。
「ほい、確認してくれ」
「計21枚……はい、確かに」
「戻りたくねぇなぁ」
「だろうな」
職人には叱られ、親方には理不尽を喰らわされるのが見習い。人としてのこう……誇りって奴は持てん。まぁその辺の日雇いよりは食ってけるが、扱いを考えるといいやら悪いやら。
「技量は上がってんのか」
「そりゃあな。だけどよ、独り立ちなんて夢みたいなもんだぜ?」
「職人の皆は?」
嫁が思い出したかのように、のっそりと聞く。どうせ似たようなもんだぞって思いながらも、俺もエディを見る。
エディは困った様に入り口の方を見て、俺に目配せしてくる。聞かれたくねぇ話か、んだよ厄ネタか?こいつが街に来た時から色々話は聞いてるが……。嫁も肘を付いたままの手を適当に振った。
「……最近、ダンジョン産のアブねぇ品に手を」
「港の?」
「あぁ」
「嘘でしょ……?」
ギャングが掘り出したダンジョンのか……。良くて絞首台、悪けりゃ一家極刑だぞ。ダンジョンから出る品の流通は、その地の領主が厳格に管理してる……って嫁が言ってたが。どうするんだそれ。
「親方の命令なんだ。どうしようもねぇ」
「だが……」
「分かってんだ!でも!」
次の言葉が出てこないのか、止まってしまうエディ。俺達は唖然として、もう言葉も無い。何を言えばいいんだよ。
「力が……」
消え入るような声で、顔を覆ってしまうエディ。多分、偶然知っちまったんだろうな。これまでも怪しい話は多かったが、これは完全に一線を超えてる。
どうにもならない沈黙が場を包む。俺達だってパン職人と、元商家の店番だ。こんなのをどうこうする力なんて、無い。
「衛兵には?」
「言ってどうすんだ……。爺の命令で動けない、いつもそうだ」
「なんで俺達に……?」
「消えたら、通報してくれ。アンタら夫婦は信じてる」
「……エディ」
クソみたいな街だ。なんでこいつがこんな目に遭わなきゃならねぇんだ。畜生。嫁も俯いてしまってる。俺だって、歪みに歪んでるだろうさ。
「……ありがとな、悩んでくれて」
「それしか出来ねぇ。すまん」
「ごめんね、エディ」
「……戻る。また来れる事を祈っててくれ」
「「天なる神よ……救いを」」
「二人に星の祝福を」
お互いに祈りを交わし合う。重い足取りで店を出ていくエディの背中を眺めるしかなかった。無力だ。どうしようもないほどに。
その後はもう、上の空だ。嫁も俺もダメだ、客が来ても応対は別にやる。だが、もう誰が何人来たのか分からん。手元にある銅貨を見る限り、それなりには来てたみたいだが……。
「……そろそろ閉めましょう」
「そうだな」
店を閉めようと、出入口へと近づく。すると、扉が開いた。そうか、まだ来てなかったか……。
「よ、ランドル。徴収に来たぜ」
「俺らの飲み代も上乗せでな」
黒の短髪高身長の男と、薄い橙色の髪を後ろに纏めた男の二人が入って来た。クソみてぇな人相、くせぇこいつらはギャングの末端。親方の使いっ走りだ。
「売り上げ、取りに行って来てくれ」
「……えぇ」
嫁を店の奥へと下げる。売り上げは嫁の手元にあるが、とにかくコイツらに近づけたくない。
しばらくして、俺も店の奥に向かう。時間を掛けないように嫁から銅貨を受け取り、さっさと戻った。まだ店頭の方が人目もある。
「ほら、これだ」
「よしよし……。すくねぇな」
「これ以上は干上がっちまう」
値上げに中抜きの中抜き、最低限しか手元に残らねぇ。クソ……最悪だ。上手く言葉にならねぇが、どこまでも最悪だ。
「嘘付くなって。嫁を働きに出せば余裕だろ?」
「んだと……!」
「やるのか?俺達と?」
「兄貴、店の奥に売り上げを隠してるかもしれねぇ」
「お、そうだな!俺達がしっかり探してやるよ!」
楽しそうにそう言って、店の奥へと入ろうとするギャング共。ふざけんなよ……!どうにか阻止しようと身体で遮る。どうすりゃいいんだ!
「邪魔すんなって」
「ぐっ……!」
カウンターに叩きつけられる。ガシャン!と大きな音が鳴る。力がねぇ、だが何があっても絶対に止めねぇと……!
奥に入ろうとする男たちが横目に見える。足をどうにか掴もうと、手を伸ばした。届かない、それでも。
「……大丈夫ですか?」
再び扉が開いて、誰かが入って来た。ギャングも俺も、思わずそっちを見る。
入って来たのは三人の……銃を持った兵士。衛兵か?こんな装備はしてなかったはず。助けてくれるなら何でもいい。
「衛兵です。大きな音がしたので」
「衛兵。俺達は、親方様に回収を依頼されてるんでね」
「売り上げの?」
「話が早くて助かるよ」
……役立たずが。未だ止める気配のない兵士共に怒りが募る。最悪だが時間を稼げる。嫁が裏口から逃げる時間ぐらいは取れるはず。
「じゃ、さっさと出てけ」
「主人。これは強奪か?」
「違うだろ?ランドル」
三人の隊長であろう、薄茶髪の男が問いかけてくる。これで強奪だと認めれば、何かが変わるのか?親方やギャング共の報復は怖い。だがそれ以上に、今をどうにかしてくれ。考えた瞬間、口をついたのは。
「強奪だ!どうにかしてくれ!」
「勿論。おい、逮捕だ」
俺が言った瞬間、三人は短銃をギャング共に突きつけながらこっちに寄ってくる。助けてくれるのか?本当に?
「チッ……。伯爵様の命令があるだろ?余計な事するなって」
「命令は撤回された」
「は?」
命令が撤回?じゃあ、これからは衛兵が動いてくれるのか?だが、動けた所で……。
ギャング共は困惑しているが、親方にギャングの組織が付いている。まだ、撃てやしないと高を括っているのが目に見える。
「撃てばギルド、ギャングが敵に回るぜ?」
「賢く生きろよ、な?」
「……ふ」
相対してきたデカい方が半笑いで言う。兵士は鼻で笑い、頭に突きつけていた銃を下に降ろした。嘘だろ。ここまで来て。
斜め下に向けられた銃が、カチン!と軽い音を立てた。燃える音が聞こえた瞬間、パァン!と破裂音が耳に届く。撃ったのか!?
「うぐ……」
「兄貴!?テメェ!」
太腿を撃ち抜かれ、倒れ込むデカい奴。小さい方の男が撃った兵士を殴ろうとする。横から出てきた別の兵士が、男の顔面を思いっきり殴りつけた。吹き飛ぶ男。
「がぁ!」
「縛れ。連行する」
「はっ!」
苦しむ大男と、完全に伸びてしまってる小さい方。あっさりと縛られて、無様な姿になる。はっ、ざまぁみろ。
「店を汚してすまない。掃除を手伝わせてくれ」
「それは、構わないが……。あぁ、助かる……?」
兵士が大男の傷を布で縛り、隊長ともう一人が掃除を始めようとする。
奥か?と言わんばかりにこっちを見てきた隊長に、頷いて返す。そのまま奥に向かおうとした兵士たちと、嫁が鉢合う。
「あの……」
「騒がせました。掃除道具は奥に?」
「えぇ……そうです」
「では、失礼いたします」
一礼して奥へと入っていく兵士たち。そのまま、店をテキパキと掃除していった。魔法が使えるのか、水を勝手に出して部屋を磨いていく。気がつけば、元より店は綺麗になっていた。
「あ、ありがとうございます……」
「近くに駐屯しておりますので、何かあれば」
「……助かります」
嫁はもう信じてしまったようだ。嫁が信じてるなら、間違いないだろう。これからどうなるかは分からないが、彼らがいるなら少しはマシだろう。だが、親方達は……。
「上の動きは領主様が縛っておりますので、心配は無いかと」
「メーザリー侯が?」
「いえ、その上です」
「それは、誰なんですか……?」
何となく聞いた気がする、領主の上が変わった話は。本当に変わるなんて思ってなかったが、少しは期待してもいいのかもしれない。少なくともギャングを撃てる連中だ、嘘ならまず撃てないだろう。上の方って奴が、本当に縛ってるんだろう。アルバーネ伯を黙らせたってのも、事実なのか。
「名は、ソフィア・リードラル辺境侯爵です」
「リードラル辺境侯爵……」
嫁とお互いに、ほんの少し明るくなった顔を見合わせる。今すぐに全部が救われる訳じゃないが、何かが変わるんだろう。そう信じるに足る理由は、もう既に貰ってしまった。
──────俺達はパンを焼き続けるだけじゃないのかもしれない。忘れかけていた夢が今、浮かび始めた。
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