第30話 夜明けの光翼

――アドナイル討伐から、半日後。


 夜を越えてようやく訪れた朝は、驚くほど静かだった。

 黒い煙の向こうに射し込む陽光は、まるで世界が再び息を吹き返したかのように優しく、瓦礫に覆われた王都跡を、金色に染めていた。


 崩れた尖塔、ひしゃげた石畳、破壊された城壁。

 それでも――人々は立ち上がる。


「魔力濃度がようやく安定してきたわね……」

 崩れた橋の上で、セレナが深呼吸をした。

 セレナが周囲の空気を測るように掌をかざし、ほっと息をつく。


「こんな朝、いつぶりだろう……」

 リサは泥にまみれた手で髪を押さえ、空を仰いだ。

 そこにはもう、黒雲も、絶望の影もない。


「やっと……終わった、んだな。」

 悠真の呟きは、風に溶けるようにかすれて消えた。

 仲間たちは互いの顔を見合わせ、ただ無言で頷いた。

 勝利の実感よりも、まだ“生きている”という現実の方が重い。

 心臓が打っている――それだけで、もう十分だった。


 少し離れた丘で、ミリアは一人、都市 ガルド跡を見下ろしていた。

 焼け落ちた街。倒壊した塔。

 その中に、確かに戦いのすべてが刻まれている。

 

(……光が戻っても、心が軽くなるわけじゃないんだね。)


 焦げた大地に腰を下ろし、ミリアは崩れた都市を見下ろした。

 鳥の声が一度、二度。

 遠くでは人々が瓦礫を片づけ、子供たちの泣き声が聞こえる。


 ――静かに世界が、再び動き出していた。


 セレナが後ろからそっと近づく。

「ミリア……行こう。皆、準備を始めてる。」


「……うん。わかってる。」

 短く答えたその声に、疲労と、少しの微笑が混じっていた。


 瓦礫の街の向こうで、かすかな鐘の音が鳴った。

 その音が響いた瞬間、街の人々が雪崩のように駆け寄ってきた。

 泣きながら、叫びながら、彼らは一人の名を口にする。


「ユウマ様が……街を救ってくださった!」

「あの光、ユウマ様の魔法だったんだろ!?」

「ユウマ様がいなかったら、私たちは……!」


 誰もが“救世主”の名を呼ぶ。

 焼け跡の街に、歓喜の波が広がった。

 悠真は少し困ったように笑い、頬をかいた。


「いや、俺一人の力じゃ……みんなが頑張ったから――」


「いいのよ、ユウマ。」

 セレナがそっと言葉を遮った。

 その目は穏やかだが、どこか複雑な影を落としている。


「彼らにとっては、希望の象徴が必要なの。……あなたが、その役目を果たしたの。」


 ミリアも人混みの中で立ち止まり、静かに見つめていた。

 

(やっぱり……そうなるんだね。ユウマが、“主人公”なんだ。)

 その唇が、小さく笑みにゆがむ。


「うーん、なんだか複雑。でも……ユウマらしいわね。ふふ、英雄ってのはいつも大変ねぇ。」

 リサが冗談めかして笑うと、悠真はため息をついた。


「やめろって。俺、そんな立派なもんじゃない。」


 その夜、ガルド街では自然と“祝宴”が開かれた。

 簡素なテーブル。焦げたパンとスープ。

 けれど誰もが笑顔で、肩を寄せ合っていた。


「乾杯だな。これで全部片付いた!」

 悠真が高々とカップを掲げる。


「……そうね。」

 リサはにやりと笑い、続けた。


「でも、“片付いてない顔”してる人がいるけど?」


「……うるさい。食べてるだけよ。」

 ミリアはスプーンを口に運びながら、そっぽを向いた。


「可愛らしい照れ隠し、ですわね。」

 クリスティアが小声で囁くと、ミリアの顔がほんのり赤くなる。


「な、なにその笑い。やめてよもう……!」


 笑い声が広がる。

 それは戦場にはなかった、穏やかで人間らしい時間だった。


 だが、油断は許されない。

 その裏で――騎士団と冒険者たちは、潜伏していた信徒の残党を拘束していた。


「……教団の影、まだ完全には消えていないようね。」

 セレナが報告書を閉じ、静かに呟く。


 悠真は立ち上がり、窓の外を見る。

 夜明けの光が、少しずつ街を染め始めていた。


「それでも――もう、負けないよ。」

 ミリアの瞳には、かつてよりも確かな“光”が宿っていた。



翌朝。


 ミリアは、あの丘に再び立っていた。

 そこは、かつてアドナイルの影が覆った場所。

 今はただ、陽光が大地を包んでいる。


「……ここ、静かになったな。」


 背後から聞こえた声に振り返ると、悠真が立っていた。

 風に髪をなびかせ、いつもの笑顔で。


「朝日、きれいだな。……まるで、全部をやり直せるみたいだ。」


「やり直す、ね……そんな簡単なことじゃないわ。私たち、壊したものも多い。」

 ミリアは目を細める。


「壊した分、守れたものもあるだろ。」

「……ずるい言い方。」


 二人の間に、少しの沈黙。

 風の音だけが、世界を包む。

 やがてミリアがそっと口を開く。


「ねえ、ユウマ。あなた、本当にすごい人ね。」


「ん? いきなりどうした?」


「だって……誰よりも光を見て、誰よりも闇を恐れない。

 みんながあなたを“英雄”って呼ぶの、ちょっとわかる気がする。」


「英雄なんて、似合わないよ。俺、ただ必死だっただけだし。」

 悠真は少し照れくさそうに笑った。


「そういうところが、英雄なのよ。」


「……褒めてんのか、それ。」

「さあ、どうかしら。」


 二人は笑い合う。

 その笑い声が、朝の光に溶けていった。


 ふとミリアが空を見上げる。

 彼女の背にはもう翼はない。

 けれど――心の奥で、確かに“光”が羽ばたいた。


「ユウマ。私、これから……また前を向けそう。」


「それでいい。前を向くなら、きっとまた光は来る。」

「うん。」


 ミリアはそっと彼の隣に立ち、同じ空を見上げた。

 朝焼けの彼方、鳥たちが飛び立つ。

 その姿は、まるで新しい時代の始まりを告げるようだった。



あとがき

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