第5話 思ったより、不健康だったらしい

 滞在から数日が経過した。

 次々上がってくる健診の結果にルーカスは端整な顔を僅かに歪ませた。


「桐原さん……」

「はい……」

「これは、少々……いえ、かなり酷いですよ?」

「ええっ、そこまでですか!? でも会社の健診では少し引っかかる程度だったんですけど」


 慌てたようにデータを見せるようにせがむ透真に、ルーカスは向かいのソファーに座ったまま、手元のデータを回して手渡す。其れを受け取りまじまじと見てみる。血液検査など専門用語の並ぶ項目には複数のチェックが入っているが、一応は正常範囲を僅かに上下している程度だ。


「……そこまで酷いですか? これ」

「酷いです。もっと自覚してください。あなたの年齢でこの数値は異常ですよ」


 はっきりと告げられた言葉に、「異常……」と小さく言葉を繰り返した。

 そりゃ健全な生活を送っているとは思っていなかったが、面と向かって言われるとショックは大きい。


「主人があなたに言った事を覚えていますか?」


 そう問われて思わず視線を泳がせる。ええと……と口ごもる透真に嘆息するとルーカスは言葉を続けた。


「検査で異常がないと判断するまでここにいてもらう、と。そう言っていたと記憶していますが。このままでは検査が終わっても自宅に帰れるかわかりませんよ?」

「ええ、そんなっ!? だってこれ、事故と関係ないじゃないですかっ!」


 慌てて顔色を変える透真に対して、ルーカスは小さく溜め息をついた。


 曰く、接触事故後に万が一死亡した場合は、それだけで事故が捏造される可能性。

 曰く、死亡しなくても体調が著しく変調した場合も同様。

 曰く……


「わ、わかりました……できるだけ、規則正しい生活を行います……」


 淡々と続けられる可能性の列挙に、透真は萎縮しながら頷いた。

 ――少し気にしすぎじゃないのかな、と思わなくもないが、財閥のトップにとってスキャンダルの種は何であれ許されないのだろう。偉い人って大変なんだな、と透真は思わず同情した。


 そんな透真の様子に小さく笑うと「そうなさってください」と持っていた書類を回収され纏められる。

 そしていくつかの注意事項が告げられた。三食をちゃんと取るように、睡眠はしっかりととるように、など。基本的なことだが、何年もおざなりにされていた事を口にするルーカスさんに「まるでお母さんみたいですね」と笑いながら告げると「私は年上の息子を持った憶えはありませんよ」と面白そうに笑われた。


「えっ、ルーカスさん。俺より年下だったんですか?」


 僅かなショックを受けて目の前の人物を見つめた。頼れるお兄さん的ポジションに置いていた人物がまさかの年下だったことに驚きが隠せない。それに続けるように「主人は私よりも更に年下ですからね?」と言われて「それは存じております…」と答えた。


 ヴァルドール財閥の若き総帥。若干20歳でその頂点に上り詰めた人物はそこから苛烈な内部浄化を行った事で有名だ。一時は内部闘争の危機かと色んなゴシップが飛び回ったが、その手腕は見事なもので今も頂点に君臨している。巨大複合企業に睨まれるのではないかと噂も飛び交ったが、揺らぐことなく業績を伸ばしている所をみるとそれすらも上手く捌いているのだろう。


「ええと、ヴァルドールさんは確か、今は22歳でしたっけ?」


 記憶の端から彼の人のプロフィールを思い出す。


「ええ、良くご存知ですね」

「まぁ……色んな意味でよく話題になる人ですから」


 苦笑する透真に対して、ルーカスも複雑な感情の混じった笑みを浮かべた。


「あの方は、その……よく今回みたいに貧困層の人間を招いたりするんですか?」


 今までずっと疑問に思っていた事を問いかけてみた。最初のきっかけは人身事故だったが、それにしたって扱いが破格すぎる。理由の無い施しは、透真にとって不安しか抱かなせないものだ。


「いえ、自宅に人を招くという事をそもそも余りされない方でしたので……。ですが、問題はありませんよ」


 にこりと微笑むルーカスに、何が問題ないの?! と不安感を募らせる。

 その表情にクスクスと笑いながら、ルーカスは空のティーカップに追加のお茶を注いだ。


 少し変わった香りのするお茶を口に含む。おいしい。わずかに肩の力が抜ける。ルーカスは穏やかに微笑んだ。


「毎晩夕食を共にされているでしょう? それが答えです。

是非、主人の話し相手になって差し上げてください。同年代で気軽に話せる相手はほとんどいませんから」


「ルーカスさんの方が年齢は近いじゃないですか……」


「私は――代々ヴァルドール家に仕えている家系ですので、友人にはなり得ませんよ」


そういうものなのだろうか、と透真は首を傾げる。

初めて夕食を共にした夜のことだ。


ルーカスのことを褒めたとき、嬉しそうに笑っていたように見えたのに――と思わず口にすると、ルーカスは僅かに驚いた表情を浮かべ、はにかむような笑みを見せた。

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