なつのにわか

冷田かるぼ

人生証明は終わりましたか?


 ――きみはね、正直才能ないよ。

 ――はぁ、まぁ、そうですよね笑。知ってます。知ってるけど、やめられないんです。

 

 愛想笑いをしたことを、わたしは忘れない。ずっと昔に言われた台詞でもわたしは覚えている。わたしは凡人だ、と言ってくれる、誰かの台詞。優しい誰かの、優しい言葉。じゃあ、わたしはどうしてこんなところに立っているのだろう? 表彰台の一番上、とはいえスポーツなんかじゃないから、一番も二番もあったものではないのだけれど、だけれど。

 

 ――大賞、おめでとうございます!

 

 マイク越しの祝福が会場に響いた。壇上、たったひとり、細いロープの上に立たされたような感覚。スポットライト、強くないはずなのに身体がじりじりと焼けていくみたいな熱さ。正面から向けられたカメラ。目を逸らして、横を向く。目の前でにっこりと微笑む偉い人が、わたしに表彰状を差し出していた。

 ――おめでとう。

 震える手を伸ばして、少しざらついた、厚いその紙を受け取る。拍手。拍手。拍手、拍手。おめでとう、って言葉が、聞こえもしないのに反響していく。周りの目線が突き刺さる。あなたたちだって、同じ立場なのに、どうしてそんなに持ち上げるの。わたしは、何をしたんだろう? もう、いつのことかも忘れてしまった感情の爆発がわたしを抱きしめて撫でまわし、舐めまわし、縛りつけて、わたしの身体はどこか遠くに連れて行かれそうになって。

 心拍。わたしの心臓が、あり得ないほどに跳ねて、生きている。ここは、わたしの場所じゃない。


 ◇


 物語を書いているのが楽だった。何でもかんでも小説に昇華してしまえば、わたしの中身がどんどん軽くなっていく、そんな気がしていた。でも、本当は。本当は心に空いた穴を広げていた、だから流れ出た、それだけだったのに。


 ◇


 早起きした。慣れないメイクをした。スーツを着た。まともに寝ていなかったから顔色が悪かっただろうと思う。寝ていないというか、眠れなかった、が正しいだろうか。目の下にあるクマを鏡で眺めながら、キレートレモンを一気飲みした。苦手な炭酸を飲み下す喉は、ぎゅっと締まっているように、息苦しかった。


 ――そんなことより、受験でしょう。


 表彰式について話したときの、母の言葉を思い出す。確かに高三の冬は受験の大詰めだった。それでも、私にとってこれは、そんなことと呼べるものなのだろうか。まあ、もう終わったからいいのだけれど。

 空港で飛行機を待っていた。ぼうっと光るスマホの画面を眺めて、活字を追った。わたしと同じく受賞した人たちの作品を読もうと思って。この人は、情景描写が上手い。この人は、ストーリーの展開がいい。この人は、期待通りにしっかりと組まれたプロットが綺麗。


 ――なんで、わたしなんだろう。

 

 もうそんなこと思わないようにしよう、と抑えていた思考が、読んでいるうちに、ぽろりと溢れた。わたしが一番拙いのに。どうして。なんて、考える方が失礼なのにね。

 

 

 飛行機で羽田空港に着いたとき、わたしはどきどきしていた。人が多い。東京慣れしていないわたしのために、同じく受賞した友人が迎えに来てくれた。会ったこともないけれど、多分いい人なのだろうということだけわかっていた。そんなの当てにもならないけれど、なんとなく。


 彼は某テーマパークのサングラスやら被り物をつけていた。同級生にいそうな、普通の人。

 ――目印になるかと思って。

 面白くてわたしは笑った。こんな人も小説を書いてるんだ。自分を嘲笑った。私と違って幸せなくせに、小説を書かないでね。わたしの唯一が誰かの単なる趣味だって、思わされるのは嫌。捨てようと思っても捨てられない愚かなプライドは、他人の目にどう映るだろう。

 喜べば妬まれて、落ち込めば堂々としろ、と言われて。どうやったって無駄なのに。

 例えばあなたは、目の前に突然一億円が差し出されて、素直に喜べるの?

 これを手にしたら、どうなるのか。使い方。周囲との関係。『一億円』というものの、価値。頭の中に浮かぶのはいいことばっかりじゃなくて、ぐるぐる渦巻いた負の感情も同じく。そう。その日のわたしの目の前に、わたしにとって一億円相当の実績があった。他の人が聞いたら笑うだろうか。でも、本当に、それほどの価値だった。

 だって、わたしは生きてきてよかったんだって、言われたようなものだったから。

 

 ◇

 

 会場はやけに明るかった気がする。眩しくてちゃんと目を開けられないほどに、光っていた。


 ――では、ーーさん。受賞者スピーチをお願いします。


 立ち上がる足は震えていた。慣れないパンプスの踵が擦れる音さえ、耳に直接響くようで。壇上に上がる時の足元の覚束なさ、自分の持っているカンペの、やけに滑稽なこと。わたしの前にスピーチした彼女は原稿なんて持っていなかったし、はっきりと、その目標を語って、それがひどくうつくしくて。泣きそうだった。泣きそうなのを飲み込んで、微笑みに変えた。

 

 ――わたしは、ーーさんみたいにすごいことは言えないですけど笑。


 だから、最初は自虐から。ふふ、と会場に薄い笑みが広がる。よし、間違えていない。そう、わたしは、過去のわたしに負けたから、素直に誇れないんだ。わたしは大した人間じゃない。多分この中で愚かでバカでどうしようもなくて、小説が下手で、一番下の人間なのは、わたし。驕るな。大丈夫。

 大丈夫。


 大丈夫なんかじゃないよ。

 

 大丈夫なら、こんな気持ちにはならないよ。


 省略。スピーチでなんて、大したことは話していなかった。何もいいことは言えなくて、わたしはやっぱりしょうもない人間なのだろうと思った。

 交流会。わたしは上手く馴染めている気がしなくて、ただぼうっとみんなを眺めていた。時々お話をしたりしたけれど。

 ――僕は、このコンテストで初めて小説を書いたんです。

 ――そうなんですか、それで受賞。すごいなあ。

 ずるい、という言葉を抑えて吐き出した褒め言葉は、やけに薄っぺらかった。わたしは、三年間、自分はどうせ報われないのだろうなって思っていたよ。小説なんて書いて、何になるんだって思っていたよ。

 ――私は、作家になりますよ。絶対。

 ――かっこいい、ですね。

 きっとなれますよ。

 最後の言葉だけは、声にならなかった。だって、そんなことを言葉にする勇気はなかったから。そんなことを言葉にしたら、わたしは苦しくなるから。卑怯だ。でもね、わたしは、憧れたものになりたいとすら思えない、臆病者なんです。あなたとは違うんです。あなたみたいになれたらよかった。あなたと同じところにいるはずなのに、どうしてこんなにも遠く、見上げているような心地がするんだろう。

 書籍化。プロット。登場人物。作品のテーマ。面白み。聞きたくない言葉ばかりが満ちて、耳を塞ぎたくなる。頭痛すらしてくる。それでも目の前にいる人が、わたしの周りにいる人が、わたしと同じく小説を書いて、ここにいる。評価されてここに立っている。

 顔を上げたら、本気の人ばっかりで。綺麗な人ばっかりで、嫌になった。泣きたくなるほど愛のある人、美しいものを見ている人、まっすぐで、真剣で、かと思えば遊びで、趣味で。そのどれもが今ここに立っているわたしと大違いで、わたしは場違いだった。眩しかった。楽しかった。嬉しかった。でも、それが何よりも、一番苦しかった。

 わたしは、夢をみるのが怖いです。


 ◇


 あの日のことを思い出すと、今でもきらきらしたものがわたしの胸を刺す。ずっと、離れられないんだ。初めてわたしの小説が、わたしの劣等感が認められたあの日に、わたしは打ちのめされた。


 ――わたしなんかの言葉、当てにしない方がいいですよ笑。


 受賞者インタビューで語った言葉を、それだけを、わたしはまだ覚えている。偉そうな言葉も、自分を特別に見せたがってるのがバレバレの自意識過剰も、もう今は忘れたけど。そういう変な劣等感だけはまだ残っている。だってわたしは、臆病者だから。もう忘れてしまった。あの苦しみも、痛みも、それによって得られた幸せも。だからまだ、あの夏に置き忘れたままでいる。わたしの唯一を。きみの夏は、どうですか?



 ――ねえ、取りに帰ろっか。

 チャイムが鳴った。大学の空き教室から、もう一度、あの日の忘れ物を。

 

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なつのにわか 冷田かるぼ @meimumei

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