辺境追放の俺、実は神々の“秘匿加護”持ちでした —スローライフ予定が、美少女とついでに世界救済—
妙原奇天/KITEN Myohara
【第1話 夜に家を建てる話】
辺境に家を建てるなら、誰にも見られない夜がいい。
だから俺は夕焼けが森に沈むのを待って、斧と縄と古い図面を抱え、獣道を抜けた。
名前はユウト。昨日、勇者パーティを“円満解散(実質追放)”になった。理由は派手さが足りないから。火も雷も出ない。出るのは、黙って仕事を片付ける俺だけの加護——【秘匿加護】。発動条件は単純にして厄介だ。“見られていないこと”。視線が外れた瞬間だけ、力も勘も手際も三段跳びで良くなる。見られた途端、平凡以下。ひどいが、俺の性格には合う。静かなのは好きだ。
杭を打ち、丸太を組み、土台を敷く。夜風が葉を揺らし、手は勝手に動く。釘の角度が自然に決まり、梁が鳴く前にひと手間が入る。月が雲に隠れた一拍で、屋根が形になった。
ため息。寝床は確保。朝になったら畑の区画を——
助けて、という声がした。
振り向くと、獣道の先に小さな影。白い布、泥だらけの足、胸元で抱えた光る石。
「おい、大丈夫か」
駆け寄ると、影がかすかに身じろいだ。
「……見ないで」
「見ないと助けづらい」
「あなたが、見なければ、わたし——色が……」
意味は分からないが顔色は悪い。俺は彼女を抱き上げ、まだ温かい新居の床へ運ぶ。湯を沸かし、干し肉と野草でスープをつくる。こういうのは、見られていても上手い。
彼女は湯気を三口で飲み、ほっと息をついた。虹彩の中央が淡く揺れる、不思議な目をしている。
「助かった。わたし、リサ。神殿の……逃げてきた巫女」
「ユウト。逃げてきた元・雑用」
リサは笑い、すぐ真顔に戻った。
「この辺り、色が濃い。よくないものが集まってる。放っておくと、村が一本ごと沈む」
「一本?」
「水脈。古い井戸が塞がって、地下の道がねじれてる。夜のうちに正せたら、朝には畑が生き返る。人が集まる前じゃないと、色が絡まって間に合わない」
「なるほど」
視線が合う。彼女の目が、俺の周囲を確かめるみたいに細められた。
「あなた、変な匂いがする」
「心外だな」
「違う。“見られないと強くなる匂い”。巫女の目は、原因の色が見えるの。あなたの周りだけ、色が薄くなる」
外して歩ける男、ということらしい。向いている仕事だ。
「すぐ行こう。場所は?」
「北の窪地。月が二手に割れるくらいの広さ」
「比喩が詩的だな」
「巫女、文学やる余裕ない。早く」
俺は灯りを落とし、工具袋を肩に掛けた。リサは立ち上がろうとしてふらつく。
「君は休め。戻ったら朝ごはんを派手に作る」
「朝ごはんは派手じゃなくていい」
「大丈夫。派手なのは見られてない時だけだから」
窪地までの道は、獣と湿気の匂いが濃い。月が雲に入るたび、【秘匿加護】は背骨を撫でる。土の硬さ、石の角、草の倒れ方——全部が地図になって足の裏に浮かぶ。
古井戸は浅いが頑固に詰まっていた。昼間なら人手を頼みたいが、俺の加護は“独りの夜”が最適解だ。音を殺し、縄を結び、枝と石で即席の滑車を組む。石を一つずつ上げては脇へ。眠っている土は、派手な音を嫌う。
最後の石が抜け、冷たい息が地面から上がった。地下水が、おはよう、と笑う。
「おはよう」
誰にともなく返し、底に細工を施す。割れた導水板を組み替え、自然勾配に合わせて小さな水路をつくる。昔、城の排水を直した時と同じ手。見られていないから、指先は迷わない。やがて足裏に、つながった感触が通る。水が方向を思い出した。
帰り道、月が雲から出て、森の色が薄くなった。遠くで小川が喉を鳴らす。朝になれば、村は魚の音で起きるだろう。そこに俺はいない。
家へ戻ると、リサは毛布にくるまり、半分だけ起きていた。
「終わった?」
「終わった。朝には賑やかになる」
「よかった。あなたの色、やっぱり薄い。頼っていい?」
「静かにやる範囲で」
「静かに、世界を救おう」
言い切る声は弱いのに、不思議と強かった。
少し眠って、鳥の声で起きる。扉を開けると、谷から歓声が風に乗ってきた。
「魚が戻ったぞ!」
「畑に水が走ってる!」
だろうな、と心の中で頷く。俺は鍋に火を入れ、卵と野草でとろみのある粥をつくった。リサは湯気を眺めて微笑む。
「……いい匂い」
「朝ごはんは派手じゃなくていい派、だったな」
「うん。でも、ちょっとだけ派手でもいい」
彼女は一口食べて、目を細めた。虹彩が淡く揺れる。
「ねえユウト。村に下りる前に、お願いがある」
「言ってみて」
「わたしの身元を、しばらく秘密にして。神殿の人たち、わたしを“色”の装置としてしか見ない。逃げた巫女が生きてるって知れたら、追ってが来る」
「了解。“見られたくないものを外す”のは、俺の得意分野だ」
粥を食べ終え、片付けをしていると、扉が叩かれた。
「おーい、新しく来た人!」
二人の農夫が立っていた。顔に泥、目に笑い皺。
「夜のうちに誰かが井戸を直したらしい! あんた、知らんか?」
「夜? 俺は寝てたよ」
「そうか! とにかく助かった! 礼がしたい。昼に祭りみたいに皆で食うから、来てくれ!」
彼らが去ると、リサが小声で囁いた。
「うまい」
「何が」
「“知らんか?”に“寝てた”で返す。色が薄い返答」
「褒められてる気がしない」
村の広場は、昼前から本当に賑やかになった。干上がっていた小川に、銀の跳ね。子どもは裸足で走り、大人は桶を抱えて笑う。俺とリサは人混みを少し離れたところから眺める。
そこへ、革の書類鞄を抱えた若い男が現れた。ギルドの使いらしい。鼻で笑って、声を張る。
「ここの新参! “井戸の改修はギルド管理外工事につき罰金三十銀!” お上の許可も取らずに勝手な真似をしては困る!」
広場が静まる。農夫たちの顔に影。
リサが袖を引いた。
「どうする?」
「夜まで待とう」
「夜まで?」
「俺は昼間、平凡以下なんだ」
夕暮れ、使いは広場の小屋で帳簿を広げ、勝ち誇った顔で酒を飲んでいた。村人は罰金の額に肩を落とす。
夜が来る。月が雲に隠れ、人の視線が散る。
俺は静かに小屋の裏手に回り、窓枠の隙間から書類の束を覗く。条文は知っている。“緊急避難的改修”は、被害拡大の恐れが明白で、かつ公的機関が即時対応不能だった場合——罰金免除。ただし、申請書式は翌朝までに提出。
机の脇に、未記入の用紙が山のように詰まれていた。使いは知らないのではなく、面倒がっている。
なら、俺の出番だ。
人気のないカウンターへ回り込み、羽根ペンを取る。インクの減り具合、紙の目、押印の癖。全部、指が覚える。手は音を立てず、必要事項だけをすべり書きで埋める。村の代表者名、現場の状況、写真代わりの簡略図、証言欄に沿った文章。夜の間に十枚。俺の字は地味で読みにくいが、正しい。
朝。使いが目をしょぼつかせて机に戻ると、そこには整然と綴じられた書類。
「……は?」
彼は慌てて条文を引いた。読み、読み、顔色が変わる。
「緊急避難改修……免除……正規の図面……押印……」
村の長が胸を張る。昨夜、俺が書いた書類に印を押してもらっておいたのだ。
「ギルド殿の規定どおりだ。罰金は免除でよろしいな?」
使いは唇を引きつらせ、渋々頷いた。
広場に拍手が起こる。俺は端っこでリサと目を合わせる。
「小さなざまぁ、成功」
「見られないときの手際、恐るべし」
夜は家を建て、井戸を直し、書類を片づける。昼は粥を作り、村の笑い声を遠くで聞く。これが続けばいいと思う。続くはずが——続かないのが世の常だ。
帰り際、村の老人が耳打ちした。
「北の街道で、黒い馬車を見た。神殿の紋が付いておった。何か、探し物があるようでな」
リサの肩がわずかに強張る。
「……色が濃くなる前に、動かないと」
「静かにな」
のんびり暮らすつもりが、予定はもう世界のほうで勝手に進み始めている。
――
次話予告:『夜間工事:星空の配管』——夜のうちに水路は街道へ。朝、川魚は跳ね、ギルドは黙る。問題は黒い馬車と、神殿の“見通す眼”。
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