【DB哲・あのナメック星人たち】できたのにやらない差別。無意識による差別。
晋子(しんこ)@思想家・哲学者
生き返る世界で、生き返らない命がある。その選別は何を意味するのか…
『ドラゴンボール』のナメック星編を改めて読むと、そこには単なる少年漫画の戦いを超えた、深く重い構造が潜んでいることに気づく。それは、意図的に描かれた差別や暴力ではない。むしろ、作者自身が無意識のうちに映し出してしまった、時代の常識と世界の空気の反映である。鳥山明自身が差別的な意図を持って描いたとは思わない。しかし、創作というものはいつの時代も、作者の意識を超えて、その時代の思想や価値観を映す鏡のようなものになる。1980年代、日本が経済的に上昇しながらも、まだ人種や他者への意識が浅かった時代。そこには「異質な存在」への無意識な距離感があり、漫画の中でもそれが当然のように表現されていた。ナメック星人という「緑色の異種族」がそうした文脈で描かれたのは偶然ではない。
ナメック星人は、自然と共に生き、争いを好まない平和な民族だ。彼らは戦いよりも調和を重んじ、技術よりも精神を大切にする。その姿は、まるで現実の地球における少数民族や先住民のようでもある。彼らが持つドラゴンボールは、彼らの文化や信仰の象徴であり、誇りそのものだ。ところが、その文化的象徴がフリーザやベジータたちの手によって奪われ、蹂躙される。資源を奪う者と奪われる者。文明を掲げる者と、自然と共に生きる者。その構図はまさに植民地支配の縮図そのものだ。西洋列強がアジアやアフリカを侵略し、金や資源を奪った歴史と重なる。『ドラゴンボール』の世界では、ドラゴンボールそのものが“資源”であり、ナメック星人はその守り人でありながら、奪われる対象となってしまう。
そして、もっと深刻なのは、ベジータが彼らを殺した後の描かれ方である。ベジータはフリーザの仲間ではなかった。むしろ、フリーザを倒すために動いていた。だが、彼の手で命を奪われた『あのナメック星人たち』は、その後ドラゴンボールで生き返らせてもらっていない。ここが決定的に大きい。「できるのに、生き返らせない」。それは、物語の都合の問題ではなく、命の扱いに対する根本的な倫理の問題だ。『ドラゴンボール』の世界では、死は“やり直せるもの”として扱われる。悟空もクリリンも、何度もドラゴンボールで蘇る。それがこの作品の一つのルールであり、救済の象徴でもある。だが、ベジータに殺された一部の『あのナメック星人たち』は、生き返らないまま物語から消えた。できたのに、やらなかった。その「できたのにやらない」という行為の中にこそ、最も深い差別の構造が潜んでいる。
この場合の差別とは、悪意ではなく「無関心」と「忘却」によって成立するものだ。ベジータ以外のキャラクターたちは、このことを知らない。悟空も悟飯もクリリンも、誰もその事実に気づかない。だから誰も何も言わない。けれど、知らないということは、責任を免れる理由にはならない。知らないまま、世界が平和を取り戻し、物語が次へと進んでいく。その構図こそ、現実社会における差別の再現である。社会でも同じように、加害者の罪や被害者の痛みは「知らなかった」「もう昔のこと」で片づけられてしまう。それは意図的な悪ではなく、むしろ沈黙の共犯関係であり、「語られないこと」こそが差別の最も深い形である。
そして、ベジータ自身も何もしない。彼は殺したことを自覚しているはずなのに、ナメック星人たちを蘇らせることはない。ドラゴンボールを知り尽くし、蘇りの力を理解しているにもかかわらず、彼は何もしない。これは単に冷酷だからではなく、ナメック星人を“自分とは違う存在”として見ているからだ。つまり、彼にとってその命は、自分や仲間の命より軽い。差別とはまさにこの「命の重さに差をつけること」だ。自分に近い命には涙し、遠い命は忘れる。それが差別の根本であり、ベジータの行動(あるいは無行動)はその象徴である。
さらに深刻なのは、読者や原作者自身がその事実を“忘れていられる”ということだ。もし悟空が生き返らなかったら、読者は悲しみ、作者も物語の焦点を当てたはずだ。だが、ナメック星人たちが生き返らなくても、誰も気にしない。これは“忘れても構わない命”として扱われていることを意味する。忘れても物語は成立する。つまり、彼らは「思い出される価値のない存在」として位置づけられている。それは明確な悪意ではなくとも、無意識の差別以外の何物でもない。
現実社会でも同じように、「忘れられる命」が存在する。遠い国の戦争の犠牲者、飢餓で死ぬ子どもたち、貧困地域で失われる命。それらは多くの場合、ニュースで一瞬報じられても、すぐに人々の記憶から消えていく。「知らない」「仕方がない」「自分とは関係ない」。その言葉の裏にあるのは、無関心という形を取った差別である。ベジータに殺されたナメック星人たちは、物語の中で死に、読者の記憶の中でも死んでいる。二度殺された存在なのだ。
『ドラゴンボール』の世界には、明確な命のヒエラルキーがある。悟空たちのような主要キャラクターは何度でも生き返る。主要ではないキャラも時には復活する。しかし、名もなき人々や背景の命は、物語の中で無視され、蘇ることはない。命の価値は、物語の中心にどれだけ近いかで決まっている。これは単なる漫画の構成ではなく、社会の縮図でもある。ニュースで取り上げられる命、無視される命。記憶される悲劇、忘れられる悲劇。『ドラゴンボール』の世界は、私たちの社会と何も変わらない。
ナメック星人の肌が緑であることにも象徴性がある。緑は自然や生命の色である一方で、「異形」「異民族」を示す色としても機能する。西洋の文化では、緑の肌は「モンスター」「宇宙人」「不気味な存在」として描かれることが多い。そこには、白=中心、緑=他者という無意識の色の階層がある。ナメック星人が「緑」であることは、彼らが物語の中で「人間ではない存在」として距離を取られていることを示している。つまり、彼らは見た目の段階から、差別されるためのデザインを背負わされていたともいえる。(ナメック星人の緑は、そもそもピッコロ大魔王が緑色だからという理由ももちろんあるが)
そのうえで、ベジータやフリーザのような「文明と力の象徴」である存在たちが、自然的で平和なナメック星人を蹂躙する。これはまさに“文明による自然の破壊”であり、“支配による搾取”の再現だ。力が正義であり、強者の論理が世界を支配するという価値観が、無意識のうちに描かれている。少年漫画の枠組みではそれは当然の構造だったが、その当然さの中に、見えない暴力が潜んでいる。
そして重要なのは、この差別が意図的ではなく“空気”として描かれていることだ。鳥山明は善悪や道徳を説く作家ではない。だからこそ、当時の時代精神や社会の無意識が、そのまま作品の中に染み込んでいる。80年代の「強い者が正しい」「勝った者が主役」「異質なものは脇役」という空気。それがナメック星人の扱い方に現れている。
差別は、悪意を持って行うものだけではない。最も根深い差別とは、「思い出されないこと」「語られないこと」「忘れられても構わないこと」である。ナメック星人の死はまさにそれだ。彼らは殺されただけでなく、誰にも悼まれず、誰にも思い出されない。ドラゴンボールという万能の力がありながら、誰もその復活を願わない。その沈黙が差別であり、同時に「命の軽視」の極致でもある。
ベジータは改心し、仲間となり、家族を持ち、読者にも愛される存在になった。しかし、彼の過去の罪は誰も問わない。物語の中で赦され、忘れられる。力を持つ者、人気を持つ者の罪は、時間と物語によって消されるのだ。それは、現実でも同じである。支配者や権力者の罪は歴史の中で薄まり、被害者の声は記録されずに消える。
そして、私たち読者もまた、その忘却の一部になっている。読んで感動し、笑い、熱狂しながらも、あのナメック星人たちを思い出すことはない。差別とは誰かを憎むことではなく、「誰かを思い出さないこと」であり、私たちはその構造の中で無意識に加担している。
『ドラゴンボール』のナメック星編は、少年漫画という形を取りながら、人類史そのものの縮図を描いている。力による支配、侵略による犠牲、そして忘却による二次的な暴力。ベジータが何もしなかったこと、悟空たちが知らなかったこと、作者が忘れたこと、読者が気にしなかったこと。これらがすべて重なって、構造的な差別が完成している。
差別とは、誰かが悪意を持って行うことではなく、誰も悪意を持たずに成立してしまうもの。だからこそ怖いのだ。あのナメック星人たちが生き返らなかったという事実は、漫画の中の出来事でありながら、現実社会の倫理を鏡のように映している。忘れられるということは、存在を奪われるということ。彼らの死は、二度目の殺害によって完結した。
けれど、だからこそ今、私たちは思い出すことができる。あのナメック星人たちの死を思い出すという行為は、単なる作品の分析ではなく、命の価値を再考する哲学的な営みなのだ。そして、思い出すことは、差別の構造を超える第一歩でもある。
それでも――ドラゴンボールはやっぱり面白い。作品の中にこうした構造的な問題があっても、物語の魅力やキャラクターの力は失われない。むしろ、だからこそ私たちは「面白いものの中にある影」に気づける。あまり細かいことを気にせず、楽しむこともまた、人間らしさの一つだと思う。楽しみながら、その奥にある構造を見抜けること。それこそが、成熟した読み方なのだと思う。
【DB哲・あのナメック星人たち】できたのにやらない差別。無意識による差別。 晋子(しんこ)@思想家・哲学者 @shinko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます