第一章 漆黒の悪魔と女神の皇女

第1話 皇女とドラゴンに乗った誘拐犯

「わたくしの愛する戦士たちに、稀なる力を」

 

 陽光に輝く笏杖を掲げ、白馬の上から五千の兵とその先を見渡す。

 私の、守るべきものたち。

 白銀をまとう精鋭たちの後ろには、紅葉した山野と美しい街並みが広がる。

 けれど、私の後ろは荒涼とした茶色の地面ばかり。

 楽園と、その外側。

 

 薄紫に光る花びらが空を舞い落ち、兵に吸収されていく。

 美と豊穣の女神セレスティアは眠りにつく際、子孫に祝福と結界の力を残した。

 祝福を受けたものは女神の神力しんりょくと繋がり、様々な能力が活性化する。


 魔術師すらも珍しい今の世界で、神がただの伝説ではないと世に知らしめる唯一の証明アンサリム皇国。その奇跡の力と豊かな国土が狙われるのは、致し方のないことかもしれなかった。

 

 戦闘用の祝福に鼓舞された兵に、隣から将軍の激が飛ぶ。

 鬨の声に空気が震え、役目を終えた私は本陣までゆっくりと馬を歩かせた。


「それで、どうだったの?」


 副官も務める近衛騎士団長に声をかける。

 

「ストロベリーブロンドは見当たらないようです」

「そう、良かった。銃火器は?」


 良かったと言いながらどうしてもがっかりしてしまう。

 あれから十年、髪の色が変わっていたらどうしよう。レイア、いまのあなたは、どんな姿をしているの?

 

「前回姫様に跳ね返されて懲りたのでしょう。銃兵も大砲の類もないと報告が来ております」

「ではわたくしの役目も終わりかしら。でも今回は帝国の術師も警戒しておかなければね」

「皇帝がどんな策を弄しようと、姫様のおわします限り負けることなどありません」

「ふふっ、そうね」


 ――ゴウッ。

 風が唸ったかと思う間もなく、体が宙に浮いた。

 な、何――!?

 慌てる兵たちの声が遠くなっていく。

 腕ごと胴体を硬いものに掴まれて身動きが取れない。


 混乱のさなか全身に鳥肌が立った。

 異常な魔力と殺気が近づいてくる!

 なんとか頭を持ち上げ魔力の源に目を向けた。

 真っ黒なドラゴンと騎士?

 ソーマ王国の竜騎士!?

 もしや私を拐っているのも??


 こちらの大陸には近づかせないはずなのに、なぜ……

 まさか、とうとうドラゴンが帝国のものに?

 黒い竜騎士がみるみるうちに接近してくる。体を傾けながら翼を広げたその体長は五メートルはありそう。

 すれ違いざま、ドンッと音と振動が伝わり体が自由になった。

 落ちる!! け、結界、結界張らなきゃ!

 

 術を発動する間もなく、息が詰まるほど濃密な、禍々しい魔力に包まれた。

 衝撃は何も感じないのに、恐怖に、侵食される――

 震えながら目を開くと、黒衣の竜騎士の腕の中にいた。

 ……助かったの?

 この人は、いったい――

 

 私を乗せた黒竜は逃げる褐色のドラゴンに迫っていた。目の前で槍先が弧を描く。

 私を拐ったと思われる男の首が胴から離れ、大量の血が噴き出した。

 この竜騎士は、私を助けてくれたの?

 それとも、獲物の奪い合いを、しているだけ?


 

 ほんの数秒で戦場からかなり離れ、貴族の別荘とおぼしき山荘の前に着地した。

 男が私を抱いたままふわりと跳び、ドラゴンから降りる。

 地面に下ろしてもらえたけれど脚が震えて上手く立てない。男の黒い騎士服にしがみついてしまった。


「大丈夫か?」

「は、はい。申しわけありません」


 なんとか自分自身に気合を入れて脚に力を込める。

 脇の下を支えられ、しがみついていた手の力を抜くと男の顔を見上げた。

 頭ひとつ分以上は身長差があるみたい。

 

 私をじっと見つめる男は、真っ黒のつやつやとした髪に銀色の瞳の、恐ろしいほど整った容貌をしている。

 恐ろしいほどというか、本当に恐ろしい。悪魔のような妖しい美貌の人だった。

 銀の中に紫の光が見えたような。まさか……

 

 先ほどの凄惨な光景にこの魔力とプレッシャー。体は凍りつくのに心臓は痛いほど鳴っている。

 歯の根も合わないなか、一刻も早く帰りたくて必死に声を出した。


「あ、あの。た、助けてくださったこと、感謝いたします。わ、わたくしは――」

「名前は!?」

「え?」


 なんだか必死な感じで聞かれた。

 名乗れと言っているの? いま名乗ろうと思ったのだけれど。

 でも、身分を明かせば危険が増える。

 やめたほうがいいかしら。どう見ても邪悪そう。


「名前を教えてくれ! 俺はレギアス」


 レギアス、聞いたことがあるような。

 でも、黙るのも嘘をつくのも怖い。

 皇女の名前と、気づかれませんように。


「わたくしは、レティシアと申します」

「レティシア……レティシアか」


 噛み締めるようにつぶやくと、レギアスと名乗った男は心底嬉しそうに笑みをこぼした。邪悪さなんて欠片もなくなって、同年代の、二十歳に満たない男の子に見えてくる。

 な、なんなの? この破壊力のある笑顔は。

 どうしよう、心臓がますます苦しい。


「あの、わたくしを仲間の元へ戻していただきたいのですが。お礼はいたしますので」


 すると、突然レギアスの雰囲気が不穏なものに変わり……


「ダメだ」


 突然柔らかな感触が唇に触れた。

 私、キスされてる?

 すぐ目の前に長い睫毛に囲まれた銀の瞳が……

 虹彩に細かく散った紫……これは、この瞳はやはり!

 押し付けられた唇が離れていき――


「お前はもう俺のものだ」


 また唇を塞がれた。

 繋がる熱に体の力を奪われる。

 なんとか逃れようと足掻いたけれど、レギアスの体はビクともしなくて。

 これってまた私、拐われてしまうのかしら。

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