女神皇主の受難〜十年探した初恋の王子に死ぬほど溺愛されています〜
如月ニヒト
序章
第0話 初めての冒険
――あの夏の日。
まだ世界が広くて、私が何ものにも囚われていなかったころ。
「わあ、きれい!」
「レティシア、そんなに乗り出したら落ちてしまうわ」
「いざとなったら結界術を使うから大丈夫ですわ!」
「ははは、レティシアには敵わないな。ほどほどにしてくれよ?」
その日は両親と友好国の式典に出席するため、初めてドラゴンの運ぶ船に乗っていた。
巨大な竜の背には屋根のついた船体が取り付けられ、近衛や侍女を含め15人乗っても余裕がある。
前後には護衛の竜騎士が付き、風を弱める魔力シールドも展開されて空の旅は快適だった。
やがて岩山の麓に赤土色の城壁が見えてきた。屋根から城下の大通りにかけて色とりどりの布が飾られ、建国百年を祝う熱気が伝わってくるよう。
ドラゴンと空を渡るだけでも胸が躍るのに、異国の光景に子供心は大騒ぎ。早く探検がしたくてたまらなかった。
重力を操るというドラゴンが城の前庭にそっと降りる。
船の出入り口が開くや否や、私は両親より先に駆け出した。慌てる大人たちの声を背に、異国の空気を胸いっぱいに吸い込む。匂いがまるで違う。
廊下を進むうち、無骨な岩肌は次第に精緻な彫刻へと変わっていく。よく見るとどの彫像も表情が豊かで面白い。
細かく跳ねる弦楽器の音色がどんどん大きくなる。追いついてきた両親の手を引いて踊るように歩いた。
案内された広間には見たことのない料理が並び、何百人もが談笑している。
入るなり人がわらわらと寄ってきた。隣の大陸から来た物珍しさのせいだろうか。
「まあ、この姫君がセレスティア神の生まれ変わりなのですね!」
「なんてお美しい……」
私、有名人みたい。
「レティシア・セレスティア・アンサリムと申します。お会いできて光栄です」
微笑んで名乗ると、空気が静まり返った。抑えていたつもりだったけれど、神聖力に当てられたかしら。
慌てて見えない結界で力を閉じ込める。すると場が和み、再び賑わいが戻った。
やがて両親も歓談に夢中になり、近衛の目も緩んだ。
これは、チャンスかも。
私は結界に効果を上乗せし、周囲の認識から自分を外した。
念のため、現実から気をそらす癒しの術も使う。
これで両親と近衛は一時的に私のことが気にならなくなる。
初対面の人々には私の印象すら残らないだろう。
これでほんの少しだけ、自由だ。
音も立てないよう結界を調整し、空気になったみたいに会場を抜け出す。
今日の私はいつも通り、ドレープが柔らかく流れる白のドレス。瞳に合わせて装飾はすべて金だ。
外を駆けると腰まであるプラチナブロンドが風に揺れ、ドレスの裾がひらりと舞う。
いまの私は、きっと世界で一番美しい幽霊だ。
暮れかけた空に見慣れぬ花々が咲き誇り、庭園は幻想的な空間だった。
誰にも見つからなくて少し退屈。
神聖力の遮断以外は結界の効果を解いた。生垣に身を隠しながらスリルを楽しむ。
「何やってるの?」
不意に背後から声がした。心臓が跳ねる。
子供の声だ! これは、冒険の予感。
決めた、仲間にしよう。
幽霊はやめて……そうだ!
「わたしは怪盗ビビアン。お宝を探しているの!」
振り向くと、ストロベリーブロンドを縦ロールに巻いた、とても美しい女の子が立っていた。
体格が変わらないから、私と同じ八歳くらい?
フリルとリボンを惜しげもなく使った、深い紫色のドレスを完璧に着こなしている。妖艶な色気まで纏って、私とはまるで対照的だ。
何より綺麗なのは紫が散ってキラキラと輝く銀の瞳。
見つけた――私の、宝物。
「あなた、暇ならわたしの相棒になりなさい! 名前は……そうね、自分で決めて」
戸惑うように頬を染めるその子に畳み掛けた。
「えっと……じゃあ、レイア」
「レイアね! わたしの本当の名前とちょっと似ているわ」
こうして私たちは怪盗コンビになった。
私は嬉しさに舞い上がり、離さないようしっかりと手を繋いだ。
城中を探検して回ると、レイアは見た目に反して身軽で器用だった。鍵を開け、先回りして私を引き上げてくれる。
ぶっきらぼうに話す怜悧な表情が、はにかんだような笑顔でやわらぐのがたまらなくて。
私は夢中で大好きな冒険小説の話をして、彼女の笑顔を引き出そうとした。
「ハハハッ。ビビアンは最初天使かと思ったけど、凄く人間だね」
こっそり食べ物を拝借して興味津々で食べていたら、お腹を抱えて笑われた。慣れない味にリアクションをする様子がよほど可笑しかったらしい。
「天使はやめて。愚弄だわ」
「そうなの? すごく神秘的に見えたから」
「わたしもレイアのことお人形みたいって思ったから、許してあげる」
「人形も……あんまり嬉しくはないね」
それから舞踏会を上の階から眺めて、こっそりとレイアの顔を盗み見た。すぐ近くで何度も目が合うたび、胸が怖いくらいに高鳴って。
「ねえレイア、わたし、最近使えるようになった術があるの」
そろそろ両親たちが探しているはず。
いま別れたら、二度と会えないかもしれない。
「良いことだらけの術よ。かけてもいいかしら? その、親友の……証に」
ドキドキしながら聞いてみた。
とっておきの、特別な印。
「もちろんいいよ!」
私はレイアの左手を取り、甲にそっと触れた。
刻む紋様を思い描き、強く願う。
まっさらの肌に花の紋様が浮かび上がり、虹色の光を放つ。
「わあ……すごい……」
レイアは頬を紅潮させながら銀の瞳をキラキラと輝かせた。
「わたしの近くにいると力が湧くのよ。何日か離れてると効果が切れちゃうけど、近づけばまた戻るの」
「永遠に消えない証なんだね……ありがとう」
レイアは花がほころぶように満面の笑みをこぼすと、左手で私の手を取って頬に押し付けた。
なぜだか酷く驚いて、思わず息をのんだ。
どうして……嬉しいはずなのに、こんなに胸が痛むの?
「どのくらい離れても平気なの?」
レイアがうっとりとした声で聞いてくる。
「えっと……」
私は恥ずかしさに耐えられなくて手を抜き取った。
レイアが残念そうに眉を下げる。
「かなり遠くても大丈夫なはずだけれど、分からない」
「じゃあ、なるべく近くにいなきゃね。ビビアンは、どこの国に住んでるの?」
そうだ、自己紹介をしなくちゃ。
「もうビビアンごっこにも満足したからきちんと自己紹介するわ。わたくしは――」
大きな足音が近づいてきて、つい言葉を止めてしまった。
「姫様!」
近衛のタイラーだ! 階段を駆け上がってくる。
「待って! お友達に自己紹介だけさせて」
「いけません。姫の友と知れたら、その子が危険です」
そんな……
タイラーは悩む隙に私を抱え上げた。
また階段へと走っていく。
「タイラー離して! いやっ、レイア!!」
必死にもがいたけれど、タイラーの硬い腕からちっとも抜け出せない。
「ビビアン!」
レイアが追いすがり手を伸ばす。
私も必死にその手を掴もうとしたけれど――
聖印の光が次々と色を変え、滲んでいった。
大丈夫、聖印があればお互いに居場所がわかる。
すぐにまた会えるはず。
外に出ると、夜の冷たい空気に包まれた。
真っ暗な空を背に、ドラゴンと竜騎士が異様な迫力で待機している。
「レティシア!」
「良かった。誘拐されたのかと思ったのよ」
タイラーがそっと地面に下ろしてくれる。
くしゃくしゃの泣き顔をしたお父様とお母様に、苦しいほど抱きしめられた。お母様の冷たい体が震えている。
「わ、わたし、そんなつもりじゃなくて……」
「わかっているわ、すぐに、帰りましょうね」
「え? 帰るのは、明後日でしょう?」
帰ったらレイアに会えなくなっちゃう!
「ごめんなレティシア。レティシアの力を侮っていた。許しておくれ」
「そんな……お友達ができたの」
「あとで調べてあげるから、お手紙を出しましょうね」
「や、いや。帰りたくない! お父様お母様お願い。少しだけ待って」
ボロボロと涙が溢れて息が詰まるなか、無理やり船に乗せられる。
抵抗する
大事な両親をこれ以上泣かせる勇気は、どうしても出なかった。
――聖印の効果は、隣の大陸までは届かない。
私はいつまでも、初恋に囚われたまま。
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